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【根津美術館】メトロポリタン美術館蔵の李公麟《りこうりん》さん《孝経図巻》を解説【前編】

メトロポリタン美術館が所蔵する、李公麟りこうりんさんの《孝経図巻》が、根津美術館で12月3日まで開催の、特別展『北宋書画精華』で展示されています。


■《孝経こうきょう図巻》って何?

ところで《孝経こうきょう図巻》ってなんじゃろ? という人が大半だと思いますが、これは紀元前350年から紀元前200年の間に作られた「孝経こうきょう」という、中国の儒学で聖典とされる十三経のうちの一つを、李公麟りこうりんさんが図巻にしたものだそうです。

……? そんなこと言われてもね……と、わたしなどは思ってしまいますが、その儒学の元となる書籍は、おそらく無数にあったのでしょうね。その中から「これは重要だ!」と言われるようになったのが、最初は六経あり、(中国王朝の)かんの時代に五経に絞られ、それが後漢になると七経となり、その中の何冊かが分離して十一経となり、唐の時代に十二経、宋の時代に十三経となりました。まぁ誰が決めたの? ということに触れる資料は、ほんの少し調べた限りだと不明でした。

この十三経のうち、『論語』や『春秋左氏伝』、『孟子』などは、岩波書店などから出ている解説本を見かけることがありますよね。それで思い出すのが、十三経と同じように「儒学の重要経典」だとされる「四書五経」です。それらの関係について、渋沢栄一は下記のように記しています。

論語は経書の一つである。而して経書と云ふのは四書(大学、中庸、論語、孟子)。五経(詩経、書経、易経、礼記、春秋)。九経(五経に孝経、論語、孟子、周礼を加へたもの)。十三経(九経に公羊伝、穀梁伝、周礼、爾雅を加へたもの)などを云ふのである。殊に九経は経学者の大いに尊重おかざる処のものである。

デジタル版「実験論語処世談」

渋沢栄一さんの解説に拠って「孝経とは何か?」をみると、「四書五経には入らないけれども、九経や十三経には選ばれている、いずれにしても儒学において重視されてきた本の一つ」といえそうです。

『孝経』に話を戻せば、孔子がその門弟の曾参(そうさん、前505〜前435、一般には曾子)に孝道を述べたのを、曾参の門人が記録したものといわれているそうです。

そして、ざっくりとですが《孝経こうきょう図巻》の中身を読んでみると、いわば教訓……教え……を、絵本にした絵巻でした。言葉だけだと難しい道徳的な話を、絵を加えて誰でも分かるようにしたもの……という感じですね。まず絵が描かれて、その絵にまつわる『孝経』の文章が添えられ、また絵が描かれて文章が続く……といったことが繰り返されます。だから「図巻」と呼ばれていますが、日本の「絵詞えことば」に近い感じです。

そして、《孝経こうきょう図巻》を書いたのが、北宋時代を代表する画家の一人、李公麟りこうりんさんだという点が重要です。だから珍重されています。

まぁでも現代のわたしたちからすると、何が描かれて何が記されているのか、さっぱり分からない……という人も多いはずです。今回は、所蔵されているメトロポリタン美術館でパブリックドメインとして見られる、《孝経こうきょう図巻》の画像データを使って、解説していきたいと思います。

■【社長さん向けの格言】まずは親を敬うことから始めましょう

最初の絵を見ると、街中を進む馬車が描かれています。馬車には屋根があり、馬をひく者や護衛の家来などが描かれているので、それ相応の地位に就いている人に違いないでしょう。

…..愛親者不敢惡于人,
…..於囗親囗囗囗囗囗囗也。…..

「父母を愛する者は、人を憎むことを敢えてしない。
 また、父母に対しては、常に恭敬の心を持ち、服従する。」

上の画像の挿絵の右側に記されている文章です。「孝経」というだけあって、まず最初に「親を敬い支える“孝”」の大切さをバシッと記しています。

『孝経』は、教育を受けたものであれば誰もが知っておくべき書です。この《孝経図巻》に記されている言葉も、なにも李公麟りこうりんさんのオリジナルではなく、『孝経』という原典があるわけです。そのため李公麟りこうりんさんの《孝経図巻》では「何が書かれているのか、判読できない文字」があったとしても、原典にあたれば、ほぼ書いている内容が分かります。

そして、この最初の項について言えば「愛親者不敢惡于人」の後に、原典では「敬親者不敢慢於人」とあります……「親を敬ふものは、敢へて人をあなどらず」と。

それだけでなく「孝行者は、人を憎んだり侮ったりしない」……つまり、“孝”を実践する人が増えれば、家族だけでなく他者……社会全体が……争うことがなくなる……ということでしょうか。儒教ではなくても、例えばキリスト教でも「まずは隣人を愛せ」みたいなことが言われているのと似ているかと思います。

そして挿絵の左側には……

上不驕,高而不危。制節謹度,滿而不溢。高而不危,囗囗囗囗也。滿而不溢,所以長守富也。富貴不離囗囗囗囗能保其社稷,而和其民人,蓋諸侯之孝也。《詩》:“囗囗兢兢,如臨深淵,如履薄冰。”
諸侯が驕傲《きょうごう》でなければ、高位にありながらも危険に陥ることはありません。欲望と必要のバランスを適切に保ち、節度を守るべきです。そのような節度によって、富は満ちていても、無駄に溢れることはありません。そしてこのように、富と身分は、彼の国家と民衆を守ることができるのです。これが諸侯の孝行です。詩曰く:
戦々兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履くが如く(つまりは……慎重には慎重を期して国を治めましょう……ということ)。

これもまぁ、誰もが知っているような道徳ですよね。「驕り高ぶるな」ということです。ただし「偉くなっていくと、驕り高ぶってしまう」というのもまた人間のサガなのでしょう。いわゆる「調子に乗っちゃう」っていうやつですね。

そこで、偉くなったら(地位が上がったら)「戦々兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履くが如く」と、もう「あらゆる注意を払って、節度を守るべきだ」と注意しています。そうしないと、国と民衆を守れず、亡国へと進みますよと。

「国」という単位で言うと、今は「日本が滅びてなくなる」なんてことはあまり想像しにくいですけど……頭の中がお花畑のわたしは……、これを「会社」や「家庭」などとすると、実感が湧きやすいかもしれません。

挿絵の「諸侯」と思われる人を描いた部分を拡大してみました。これが「驕慢な諸侯」を描いているのでしょうか……それとも自身を律した諸侯を描いているのか……分かりづらいですね。個人的には、なんとなく前者のような気がします。

こちらは上のと同じ画像データですが、「https://vanceai.com/ja/」で、ノイズ除去をしてみました。まぁまぁスッキリしますね。

■【部長さん向けの格言】先人の教えには従った方が良いですよ

2つめの挿絵では、皇帝なのか王様なのかが座る前で、臣下が拝礼している様子が描かれています。皇帝または王の周りでは、その様子を見つめる側近たちがいますね。

挿絵の左側には、『孝経』の一節が記されています。

囗囗王之法服,不敢服。非先王之法言,不敢道。非先王之德行,不敢行。 是故非法不言,非道不行,囗無囗囗囗無擇行,言滿天下無囗過, 行滿天下無怨惡。三者囗囗囗囗能守其宗廟,盖卿大夫之孝也。《詩》 云: “夙夜囗囗囗事一人。”
天子の服装であっても、王の法に定められていないものは、着用しない。
先王の教えであっても、王の法に定められていないものは、口にしない。
先王の徳行であっても、王の法に定められていないものは、行わない。
そのため、法に定められていないことは口にせず、道に定められていないことは行わない。また、言動に差別や偏見がなく、言行が天下に行き渡り、誰からも非難されず、恨まれることもない。
これらの三つを備えることで、宗廟を守ることができ、それが卿大夫の孝行である。『詩経』には、「夜も昼も休まず、一人を敬い仕える」とある。

Google Bard解説

まぁこうして解説を読んでもさっぱり意味が頭の中に入ってきません。というのも、これは先に紹介した文章が君主向けだったのに対して、諸大夫の心得について記しているからでしょうね。これらを、どこかの企業の代表取締役や部長クラスなどが読むと、またググっとくる言葉なのかもしれません。

またメトロポリタン美術館の訳と解説が、原文……《孝経図巻》ではなく『孝経』の原文を忠実にトレースできていない気もします……。《孝経図巻》では読めない文字を「□」で表示していますが、『孝経』の原文(卿大夫章 第四)は以下の通りです。

非先王之法服、不敢服。非先王之法言、不敢道。非先王之徳行、不敢行。是故、非法不言、非道不行。口無擇言、身無擇行。言滿天下、無口過、行滿天下、無怨惡。三者備矣。然後、能守其宗廟。蓋卿大夫之孝也。詩云、夙夜匪懈、以事一人。
先王の法服に非ざれば、敢へて服せず。
先王の法言に非ざれば、敢へて道(い)はず。
先王の徳行に非ざれば、敢へて行はず。
是の故に、法に非ざれば言はず、道に非ざれば行はず。
口に択言(たくげん)無く、身に択行(たくこう)無し。
言(こと)天下に満ちて、口過(こうか)無く、行ひ天下に満ちて怨悪(えんお)無し。三者備はりて、然る後、能(よ)く其の宗廟(そうびょう)を守る。蓋(けだ)し卿大夫(けいたいふ)の孝なり。
詩に云ふ、夙夜懈(おこた)る匪(な)く、以て一人(いちにん)に事(つか)ふ、と。

ここで言う「先王」とは、昔の「聖王」のことだといいます。「聖王」とは、つまりは「伝説上の王」のこと。つまりは「こういう王が居たらいいな」と思って、後世の人たちが盛りに盛った、倫理や道徳的に完璧な王様のことです。

その先王=聖王の定めた制度には絶対に従うべき……従ってさえいれば、臣下に何を指示すればよいか迷うこともなく、施政に迷うこともないし、誰も傷つかず、誰からも恨みを買うこともなく、宗廟を守れる……亡国に陥ることもありませんよ……ということですね。これが諸大夫の(支配階級にある者の)“孝”というものですよとあります。詩経にも「詩に云ふ、夙夜懈(おこた)る匪(な)く、以て一人(いちにん)に事(つか)ふ、と。」書かれているじゃありませんか。

最後の詩経の引用が分かりにくいのですが、直訳というか解釈によれば「朝から夜まで日々を怠惰することなく、ひたすら御一人がために心を尽くせ」ということのようです。この、心を尽くすべき「お一人」というのが「天子=主君」としている人もあるのですが……ここでは「先王」とするのが妥当でしょうね。「ひたすら先人の教え……過去に培われた道徳や倫理観に忠実であれ」という意味でとらえると、自然な気がします。

はじめは、挿絵を見れば何が描かれているか分かりやすいはず、と思っていましたが……正直、挿絵を見ても『孝経』について知識が深まりそうもありませんね。ただし『孝経』という、いわば知っておくべきだけれど詰まらない……教科書のような文章が羅列されていても、儒者以外の誰も読みたいと思わないでしょうから……まぁ新聞連載の歴史小説の挿絵程度に考えておくと良いのかもしれません。

■【一般社員向けの格言】無理をせず自然の摂理に従って生きましょう

さて、次の絵を見ると、夫婦が食事している前に、ひざまずいている一人が描かれています。給仕する女性も見られますが、こちらはひとまず脇に置いておきましょう。

挿絵の左側の文章を読んで見ると……下記のように読み取れると、メトロポリタン美術館の解説文に記されています(他の文章も同館解説に拠るものです)。

囗囗事父以事母,而愛同。資於事父以事君,而敬同。故母取其囗囗囗取其敬,兼之者父也。故以孝事君,則忠以敬事長則順,忠囗囗囗以事其上,然後能保其祿位,而守囗祭祀,盖士之孝也。囗囗囗興夜寐,無忝爾囗生。

判読できない文字「□」が多いので、原典にあたって見ると、下の通りです。

資於事父,以事母。而愛同。資於事父,以事君。而敬同。故母取其愛,而君取其敬,兼之者父也。故以孝事君則忠。以敬事長則順。忠順不失以事其上。然後能保其爵祿。而守其祭祀。蓋,士之孝也。詩云。夙興夜寢。無忝爾所生。
父に事(つか)える心と同様に母に事(つか)えなさい。そこに生ずるは同じです。また父に事(つか)えるの心を以て、君に事(つか)えましょう。そこに生ずるもまた同じです。
故に母にはそのを取り、君にはそのを取る。 そして愛敬を兼ねるは父です。だから親に事(つか)えるのを以て、君に事(つか)えればであり、を以て年長に事(つか)えればとなる。 この忠順の心を失わずに上……君に事(つか)えるの道を全うしましょう。そうすれば、禄位を保ち、その先祖の道を継いで失職することはありません。 これを士の孝といいます。詩経では、次のように詠われています。
朝早く起きて夜更けに寝る、汝の先祖を恥かしむること無かれ、と。

だんだん分かってきましたね。『孝経』というのは、まず天子や国王が守るべき「孝」を説き、その次に、諸大夫が守るべき「孝」を説き、今回は「士」が守るべき「孝」を説いています。

例えばこれを企業社員に当てはめて考えると……昨今では問題発言ととらえられかねませんねw まず父母に愛をもって接しなさいと……その両親に接するように上司に仕えなさい……それが「忠」というものですとあります。また先輩社員や上司を敬うことが「順」であり、この「忠順」の心を見失わずに働けば、先祖から受け継いだ職を失うことはありませんよ……とw これらを、士が守るべき「孝」としています。

記された一節を読んでから、描かれている内容を見ると……これは愛と敬の心で接すべき両親にひざまずいている「士」が描かれているということなのでしょうね。

ただし、この項では、上述の一節だけでは終わらず、下のような2つの文章が続けて記されています。

用天之道,分地之利,謹身節用,以養父母,此囗人之孝也。
故囗天子至於庶人,孝無終始,而患囗及者,未之有也。

「天の道を用い、地の利を分ける。身を謹み節を用いる……」なんて釈文を読んでも、どういうことなのかさっぱり分かりません。Google Bardに分かりやすく説明してもらうと、下記のように返ってきました。

庶民は天の道に従うべきであると述べています。これは、自然の法則や原理に従って生きることを意味します。また、地の利をわきまえるべきであると述べています。これは、自分たちに与えられた資源を賢く効率的に利用することを意味します。さらに、行いを慎むべきであると述べています。これは、誠実さと尊敬を持って行動することを意味します。最後に、用を節約すべきであると述べています。これは、お金を賢く使い、無駄にしないことを意味します。
本章では、天子、諸侯、卿大夫、士、庶人という、異なる身分の人々の孝道について、簡潔にまとめています。それは、人間には貴賤の差はあっても、両親を敬う気持ちは、貴賤に関係なく、常に続くべきものであるということです。もし、能力がないから孝行ができないと心配する人がいたら、それは決してあり得ないことです。

Bardの解説を読んで、なるほどねぇと思うのもなんですけれど、さらに「孝道は普遍的な道徳であり、人類社会の共通の価値観です。両親を敬うことは、すべての子女が果たすべき義務です」と諭されてしまいました。

前半では、自然の摂理に従って生きましょうと記しつつ、その自然の摂理の一つには「子が親を敬うこと」が含まれているのでしょう。また貴賤を問わずに「親を敬うこと」を守れば、秩序が保たれ、みんな平和に暮らせる世の中になるということでしょうか。

以上で『孝経』……《孝経図巻》に記されている、先王、諸侯・諸大夫、士民・庶民、それぞれの“孝”とは、どんなものかを解説してきました。これで終わりか……と思ったら、まだまだ続きます……。正直、心が折れましたw 毎日、コツコツとnoteに記してきましたが、書き終える前に、根津美術館で12月3日まで開催されている、特別展『北宋書画精華』が終わってしまうのではないかと思い始めたので、ここまでを前編として、以降は今後の課題としておきたいと思います。

<続き(中編)はコチラ>

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