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東京国立博物館で、いま見られる名刀【2024年1月9日時点】

先日は、国宝にも指定されている《三条宗近(名物・三日月宗近)》をnoteしましたが、さすがに名刀だけあって、東京国立博物館(トーハク)での人気も凄まじいものがあります。近くで人の流れが途絶えるのを待ってみたりするのですが……絶えません。そんな待ち時間に、普段はボーっとしていることが多いのに「ボーっとしていたらもったいないな」と思い、他の名刀をじっくりと見ていきました。


■筑前の名工・左文字の子が作った《短刀 左安吉(名物 一柳安吉)》

わたしは刀剣の良し悪しは全く分かりません。良し悪しを判断する基準が、自分の中にないからです。それでも解説パネルを見ていると、どれが良いものなのかは分かってきました。

例えば《短刀 左安吉(名物 一柳安吉)》ですね。こちらは重要文化財に指定されています。まぁでも、戦後のアメリカの占領期に、刀剣の多くが重要文化財もしくは国宝にバンバン指定されました。一説には、GHQなどのアメリカ軍に接収されないためだったとか……。そのため、重要文化財だからと言って、手放しで「これは名刀なり!」と言えるかどうかは心もとない気もします。

《短刀 左安吉(名物 一柳安吉)》銘左安吉・南北朝時代・14世紀
渡邊誠一郎氏寄贈

でも、こちらの《短刀 左安吉》は、「名物 一柳安吉」とも表記されています。「名物」とは、暴れん坊将軍こと江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗が、「天下の名刀を漏れなく記載した名刀図鑑を作れぃ!」と命じて、1719年(享保4年)に編纂させた、『享保名物帳』にリストアップされた刀剣のことを言います。

誰が命じられたかと言えば、本阿弥さんの13代の本阿弥光忠こうちゅうさんです。あの本阿弥光悦さんの家系とは異なるというか、本家筋にあたる系譜です。

そして『享保名物帳』には全274振がリストアップされていて、それらが「名物」と呼ばれています。274振って多くないか? と思われるかもしれませんが、江戸時代は、現代のビジネスマンがパソコンを持っているような感覚で、侍たちが1人何本も刀を持っていた時代。その頃の、274振ですからね。物凄い名品揃いだということは、言うまでもないでしょう。

でも《短刀 左安吉(名物 一柳安吉)》の解説パネルを見ると、さらに重要なマークが入っています。「渡邊誠一郎氏寄贈」と記されているのがそれです。渡邊誠一郎さんと、そのお父さんの渡邉三郎さんについては、過去noteに記しました。《短刀 左安吉(名物 一柳安吉)》は、渡邊誠一郎さんがトーハクへ寄贈した選りすぐりの刀の1振。国宝の《名物・三日月宗近》や《名物・亀甲貞宗》を含む13振のなかの1振となります。

《短刀 左安吉(名物 一柳安吉)》銘左安吉・南北朝時代・14世紀
渡邊誠一郎氏寄贈

作ったのは、左安吉さん……なんて読むかと言えば「“さ”のやすきち」さん。筑前国(福岡県)で著名な刀工、左文字さもんじさんの息子だと言われているそうです。

解説パネルには「短刀としては大振りで、身幅が広く寸延びの刀身に、のたれ刃で沸づいた刃文を焼入れています」と記されていますが……まぁ簡単に言えば、くねくねと曲がったのたれ刃で刃文の縁がふわぁっと沸づいたしている様子を言うようです。詳しい解説は、『女社長の刀剣指南』というサイトが、写真付きで分かりやすいです。

手で握るための柄があしらわれるなかごの部分には、作刀した「左安吉」の銘が刻まれています。

《名物 一柳安吉》の通称は、この作刀した「左安吉」と、所蔵していた美濃の戦国武将・一柳直盛の名前を合体させたものです。「一柳さんが持っていた、左安吉」という感じですね。解説パネルには「のちに加賀藩前田家に伝来した」とあるのですが、一柳直盛さんは、豊臣秀吉の配下であったものの、関ヶ原の戦いでは東軍(徳川方)に付き、合戦後は5万石となり、最終的には6万3000石余にまで加増されています。その後、3人の息子たちが、それぞれ分かれて藩を立て、長男家が孫の代で改易されるものの、次男と三男の家系は、幕末まで続いています。

ちなみに、下の写真も現在は展示されていないのですが、昨年9月に見た《刀 伝筑州左》です。左文字の作と伝わる一品ですが、「これは左文字の作刀ですぞぉ!」と誰が言ったかといえば、本阿弥家11代の光温さんです。ということでなかごには、本阿弥マークが刻まれています。

《刀 伝筑州左》南北朝時代
トーハク蔵
現在は展示されていません

■本阿弥さんの折り紙付き(?)の《来国光》

《刀 らい国光くにみつ》は、その名のとおりに来国光さんが作った刀です……っていうのは分かるんですけど……この来国光さんの刀って、なんか見たことがある気がするんですよね。調べてみると、鎌倉時代の刀工で、かなり多くの刀が現存しているそうです。

《刀 らい国光くにみつ》(金象嵌銘)来国光 スリ上・本阿(花押)
鎌倉時代・14世紀

注目は「無銘ながら刀剣鑑定の権威である本阿弥家の光室が京・来派の名工国光の作と極め、茎に金象嵌銘を入れています」と解説パネルに記されている部分です。おぉ〜そうなのかぁ〜と思って、展示ケースの側面に回って、なかごの裏側を覗いてみました。

↑ 暗くて見えづらいのですが「本阿弥」マークは、これですね。「これは間違いなく来国光の作刀です」と(10代)本阿弥光室さんが(なのか弟子とかがなのかが)、なかごの表側に「来国光 スリ上」と刻み↓ 裏側に「本阿弥」マークを刻んだのです。いわゆる本阿弥家の折り紙が付いていたかは分かりませんが、付いていたのでしょう。ただ……ほんとに来国光なのか? というのは分かりませんが、これでこの刀の価値が瀑上がりしたはずです。ということで、現在も「重要文化財」というランクです。

なお「スリ上(磨り上げ)」とは、この刀の場合には、もともと太刀たちだったものを、短くして刀にしたということです。あれ? でもこの刀、磨り上げしているのに、目釘孔が1つしか開いていませんね。目釘孔の位置って、長さとか全体のバランスとかって、あまり関係ないんでしょうか。

解説パネルには、この刀の姿を「身幅が広く力強い刀身、よく鍛えられた精美な地鉄」と記されています。たしかに写真で見るよりも力強い印象を受けましたが、「よく鍛えられた精美な地鉄」というのは、目で確認できるものなんですかね。まぁ表面を見ると、とてもシュンッとした精美さというか、美しい表面です。この美しさが、「よく鍛えられた」証拠となるのかもしれません。

また「冴えた直刃すぐは調の刃文」とも記されています。これは、前項の《名物 一柳安吉》のくねくねと曲がったのたれ刃調子ではなく、シュッと線を引いたよう真っ直ぐな刃文ということです。直刃は特に珍しいわけではありませんが、これも《来国光》の特徴の一つなのだそうです。

で、なんで本阿弥光室さんは、わざわざこの刀が「来国光さんの太刀を磨り上げした刀である」と宣言したのかと言えば、当然、来国光さんが物凄い人だからです。そしてトーハクには、国宝の《太刀 来国光》も所蔵されています。並べて展示してよぉ〜って思いますけどね。そうはいきません。

下の写真は、2022年に撮った国宝《太刀 来国光》です。刀身の反り具合が印象的だったからなのか、広角レンズで角度をつけて撮ってしまい、正面からの写真がないので正確な姿は分かりませんが、なんだか力強い感じがします。そして刃文を見て明らかなのは、「直刃すぐは」だということ。

国宝《太刀 来国光》銘 来国光 嘉曆二年二月日
鎌倉時代・嘉暦2年(1327)

そして、こちらの本物は、ちゃんと「来国光」という銘が刻まれている上に、「嘉曆二年二月日」と、おそらく完成した日付まで入っているんですよね……。で、上の重要文化財の方は、銘がない……無銘です。自分の名前を入れたり入れなかったりするものなんでしょうかね……。

■「男爵いも」の川田龍吉さんの《刀 長船勝光・宗光》

《刀 長船勝光・宗光》は、「男爵いも」で有名な川田龍吉氏から寄贈された一品です。備前長船の刀工の中でも、室町時代末期……戦国時代に活躍した、末備前の名工・勝光と宗光によって作られました。実は、この1振も昨年9月に展示されていました。

《刀 長船勝光・宗光》銘「備前国住長船次郎左衛門尉勝光 同左京進宗光」
室町時代・15~16世紀
川田龍吉氏寄贈

解説パネルには「刃渡りが短く先反りのついた刀身に、互の目乱の派手な刃文を焼入れ、末備前の特徴をよく示しています」と記されています。その解説のとおり、刃文を見てみると、かなりぐにゃぐにゃと派手にのたうっていて、見ごたえがあります。

《刀 長船勝光・宗光》
《刀 長船勝光・宗光》
《刀 長船勝光・宗光》

こうやって頻繁に展示されるということもありますが、川田龍吉さんの寄贈された太刀や刀は、しょっちゅう見ている気がします。

《刀 長船勝光・宗光(F-17069)》←今回の展示品
《脇差 長船宗光(F-17083)》
《短刀 長船長義(F-17053)》
《短刀 勢州村正(F-17084)》
刀 伝古備前正恒(F-17062)
刀 長船祐定(F-15820)
《太刀 古備前高綱(F-17051)》
太刀 長船康光(F-17057)
《太刀 来国俊(F-17050)》
刀 関兼元(F-17073)
確認できるものだけで、これだけの刀または太刀、脇差などが寄贈されています。そのほかに多数の鍔や小柄なども寄贈してくれている方です。ありがたいことです。

《刀 長船勝光・宗光》

■青江正恒

“正恒”というと、同時代に同名の刀工が何人も居たそうです。トーハクにも、今回の「(古)青江の正恒」さんのほか、「(古)備前の正恒」さんなどの刀や太刀が所蔵されています。まぁそれぞれどのような特徴があるのか? という話は専門領域に入るので、踏み込まないでいようと思います。ただ、その何名かの“正恒”さんの中でも「(古)青江の正恒」さんと「(古)備前の正恒」さんは、少なくない名刀を残しています。


■文化庁所蔵の《脇指 長船元重》

トーハクにも備前長船の刀剣がものすごく多いです。こちらもそんな一品。なぜ撮ってきたかと言えば、重要文化財なうえに文化庁の持ち物だからです。文化庁が所蔵する刀剣を含む美術品を時々見かけますが、なんで文化庁が持っているんですかね? 文化庁の所蔵なのにトーハクまで来ないと国民が見られない……って、わたしが気軽にトーハクへ行けないところに住んでいたら、民主党にチクってしまうでしょうけどw まぁトーハクで見られるから良いのですが……。

《脇指 長船元重》銘備州長船元重・南北朝時代・14世紀
文化庁

それにしても南北朝時代に作られたものとは思えないほど、刀身がきれいでぴっかぴかですね。もう少しちゃんと撮ってくればよかったと、ちょっと後悔しています。

ということで、先日、国宝の《三日月宗近》の行列がすくのを待っていた時間に、さらっと寄って気になった刀剣をnoteしてみました。これだけ価値の高い、10振前後の刀剣が、常に見られる場所っていうのは貴重です。定期的にチェックしていきたいと思います。


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