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考古学(特に縄文・弥生・古墳時代)を知りたければ、国学院大学博物館へ迷わず行くべし!(01)

なんだか、ものすごいタイトルをつけたなと思っていますが、この大学には思い入れがあるので、許していただきたいです。

先日、国学院大学の博物館へ行ってきました。卒業してから行くのは今回が2回目。前回は、4〜5年前だったか、博物館のある建物へ行ったものの、仕事で行ったため、博物館へは寄りませんでした……というか、同じ建物に博物館があることすら気が付きませんでした。改めて行ってみると「前回、なんで気が付かなかったんだろ?」と思うほどに、博物館の入口は分かりやすいです。

ちなみに、同大で考古学を学んだわけでも、文学部に通っていたわけでもなく、ここの法学部出身です。進学の時には迷いました……好きな文学系へ進むか、それとも就職などでつぶしが効きそうで興味もある法学部(政治系)へ行くか……。それで迷った揚げ句に政治系へ進むことにし、いくつかの大学を受けた中で、文学部が有名な国学院もいいかもね……ということで、そこの法学部を受けるに至りました。ややこしいですけど、文学部は受けていないけれど、ここに文学部がなければ法学部を受けていませんでした。

思えば、受験の日には体調を盛大に崩していて……テストの合間の休み時間には、係の人が近くの窓を開けていっていたのですが、わたしは寒気でぶるぶると体を震わせていました(今、こんなことを現役受験生がXなどでつぶやいたら、大炎上でしょうね……「そんな体調で行くんじゃねえよ」と)。そんなことがあったからか、他の学校の受験に関しては忘れましたが、ここの受験だけは、断片的に覚えています。国語のテストで、松尾芭蕉の奥の細道の冒頭が出題されていたなぁとか……当時は汚れたコンクリ校舎で薄暗くて、寒かったなぁとか……。

そういうわけで……一度は行きたい博物館として、常に筆頭にあったのが同校の博物館でした。ただ……駅から遠いw しかも渋谷という、わたしが最もソワソワする場所からの、歩いて10〜15分ですから。でも、そんな同館で、『榧園ひえん好古図譜ー北武蔵の名家・根岸家の古物たから』という、特集が組まれていたので、おもしろそうじゃん! ということで、行ってきました。かれこれ1カ月前の話になります。

さて、その『榧園ひえん好古図譜ー北武蔵の名家・根岸家の古物たから』については、「おもしろかった?」と聞かれれば、「おもしろかったので、ぜひ行ってみてください」という感じなのですが、既に他の方が詳細なnoteを記されていたので、改めて書くこともないなぁと思っています。今週には終わってしまいますしね。

ここでは、わたしが「ここ、すごいな」と思った、同館の常設展についてnoteしておきます。

■考古資料に全振りしている博物館

博物館をぐるっと巡ってみて思ったのは、「源氏物語」を中心とした文学的な資料がほとんど置いていなかったことです。同大といえば、考古学もですが平安文学も得意だったはず……。そこも少し期待していたのですが、全くありませんでした。それではがっかりしたかと言えば、全くしませんでしたし、むしろ中途半端に全時代を網羅していなくて良かったと思いました。

では、どんなものが観られるのかといえば、主に考古資料です。同館スペースの多くが旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代に使われています。まぁほかに、神道=神社スペースがあったり、学校の歴史コーナーがありますが、何と言っても考古学です。そして置いてあるだけでなく、解説などを読むことで、しっかりと縄文時代を把握できますし、よりマニアックなことを知ることもできます。

ということで、ここでは主に縄文土器についてnoteしていきたいと思います。

●縄文土器の総覧

これまで縄文時代のことって、実は深く考えたことがありませんでした。ただただ土器の模様がおもしろいなぁとか、土偶が独特だよねぇとか、そんな時代のイメージみたいなのがあっただけです。ただ、なんとなくですけど、縄文時代の前には旧石器時代があり、その後には弥生時代があったというのは覚えています。

で、縄文時代ってなんじゃろ? というのを今回は解説パネルを読みながら、もう少し具体的にイメージしていきたいと思いました。わたしのイメージなので、史実とは異なるかもしれないので、注意が必要です。

まず地球という生き物が、どういう変化をしていたかと言えば、長らく「更新世(こうしんせい)」という時代でした(地質時代)。聞くところによれば、この更新世時代は、地球全体が寒い時代だったそう。それが徐々に気温が上がっていき、哺乳類の多様性が広がってきたのでしょう。その中には、わたしたちヒトも含まれます。そして我々ヒトは、火を使えるようになったり、石を砕いて槍を作るようになり、他の動物を捕獲し、食べるようになりました……旧石器時代ですね。そうしてしばらくは、食べられる動物を追っかけ、移住しながら生活をしていったんですね。

それがですね……ヒトは、もう1つの道具を発明しました。「土器」です。解説パネルによれば「更新世末の約1万6000年前に、日本列島最古の土器が出現」とあります。縄文時代の始まりです。「この革新的な出来事によって、生のものと火を通したものだけでなく、様々な食材を用いた煮物も食べることができるようになった」と、解説パネルには記してあります。

更新世は寒かったと記しましたが、その更新世の晩期には、じょじょに地球全体が暖かくなってきました。暖かいと言っても、今みたいな温かさではなく、寒暖の差が激しかったようです。ただし平均した気温は上がっていっていた……ということで、ヒトが捕集できる動植物などの種類も変化していたのでしょう。それまでは長い槍を使って大きな動物を捕らえて食べていましたが、じょじょに中小の獲物を狩るようになります。もしかすると中小の動物たちが、その生息範囲を広げて、ヒトの近くにまでやってきたのかもしれません。そのため、弓矢が発達します。さらに土器を使うことで、単に動物を捕らえて、皮を剥いで肉を食すだけでなく、煮ることを覚えたり、もしかすると燻製にしたりして、保存できるようになったかもしれません。魚類も増えたでしょうし、植生も変わっていったことでしょう。解説パネルには「縄文文化は、新石器文化にも関わらず農耕や牧畜を伴わない。特定の作物に依存せず、季節に応じた狩猟・漁務・採集活動によって、多様な食用資源を獲得していたのである」としています。更新世が晩期に差し掛かり、ヒトを含む全ての生物の生活環境が変化していきました。また、この地球が暖かくなっていくのと同時に、地面が離れていったのか、海面が上昇したのかは分かりませんが……地続きだったユーラシア大陸と日本との間に海ができます。そして更新世から、より温暖な日が続く完新世へと移っていきました。

こう書くと、なにか一気に気候の変動が起こったかのようにも感じますが、もちろんそんなことはありません。諸説あるでしょうが、更新世は約258万年前から約1万年前までの期間を言うそうです。ざっと257万年も続き、その最後のほんの少しの期間……といっても数千年もの期間に、今の日本列島に住んでいたヒトたちが発明したのが、土器です。それを縄文土器と言い、その期間を縄文時代と呼んでいるわけです。

縄文時代は、約1万2~3千年前から約2千3百年前まで続きました。その縄文人が、どんな人たちでどんな暮らしをしていたかを、わたしたちが知る手がかりとなるのが、縄文土器です。これも諸説ありますが、その縄文土器の変遷を中心に歴史を考えた時に、縄文時代を、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に区分するのが一般的です。これは単に、土器の形が変わっていっただけでなく、土器の変遷は、縄文人の暮らしの変遷を示すものです。土器はもちろん、そこに施された文様、それに土偶や土版、石棒などとあわせて、縄文人がどこに住み、何を食べ、何を大切にしていたかなどを知るための手がかりになるものです。

そうしたことを頭に入れつつ、土器などの遺物を見ていくと、また何か違うものが見えてきそうな気がします。今は、あくまで気がするだけですけれど……。

●底が尖っている草創期と早期の縄文土器

現在の日本列島で土器が使われ始めたのは、更新世の最後の頃……約16,000年前のこと。解説パネルには「中国の華中・華南地域やロシアのアムール川流域などでも、12,000年を超える古さの土器群が出土しており、日本を含めた東アジアは世界最古の土器の起源地として注目されている」とあります。

縄文土器と言うと、土器を作る工程で、縄をゴロゴロと転がして、いろんな文様がついている……とイメージしますが、縄文土器のはじめは文様のない無文の土器だったようです。つまり縄文土器とは、今のところは、日本列島に住んでいたヒトが、最初に使っていた土器を言い……文様の有無は必須の条件ではないということですね。

左・縄文時代草創期《微降起線文土器》長野県須坂市石小屋洞穴遺跡
中・縄文時代草創期《円孔文土器(模造)》新潟県十日市 壬遺跡
右・新石器時代《尖底土器》ロシア連邦・グロマトゥハ遺跡
縄文時代早期の条痕文系土器(野島式)
神奈川県川崎市宮前区 馬網遺跡

こういう底の尖った土器を見るたびに、これをどうやって使っていたんだろう? と考えてしまいます。解説パネルには「出現期の土器の用途は未解明だが、煮炊きによる炭化物が付着した深鉢が多い」とあります。えっと……じゃあ煮炊きに使ったんでしょ? とも思うのですが、学者さんたちの間では、「まだ用途は未解明です」ということのようです……さすが学者さん。

早期の縄文土器は、まだ縄を使っておらず、なにかで引っ掻いたような文様。

縄文時代早期の条痕文系土器

●狭い底が平らになった前期の縄文土器

前期になると、土器の底が平らになる。ただし上部は大きく作られているので、バランスが悪くないか? とも思ってしまう。そもそも底が平たいということは、凸凹の地面に置いていたわけではなく、平らな場所があったということなんでしょうか。

草創期と早期の土器は出土例が少ないそうで、展示例も少なかったのですが、前期になると一気に出土例が増し、展示されているものだけでも40前後にのぼります。それらには文様がつけられていて、形も様々。ということで、「諸磯b式土器」や「興津式土器」、「円筒下層d2式士器」などといろんな分類がされています。この名前の付け方に規則性があるわけではないのが、難しいですね。例えば「興津式土器」であれば、「茨城県興津貝塚出土の土器を標式」としたものということで、素人には、興津がどこにあるのか、いつの時代の貝塚だったのかなどはさっぱり分かりません。

諸磯b式土器
諸磯b式土器
諸磯b式土器
興津式土器
出土地不詳
円筒下層d2式士器
青森県青森市三内
寄贈:三宅徹也

●様々な縄文が観られる中期の縄文土器

縄文時代といえばコレ! というのが、中期にブームとなった「火焔型土器」ですよね。縄の文様の時代なのに、縄文ではない火焔型の露出度が多いので、歴史が苦手な学生には、さっぱり意味が分からないでしょうね。

縄文時代中期
火焰型士器
新潟県長岡市岩野原遺跡出士

↑ この文様は、いったい何なんでしょうね。意味があるのか、単に美的感覚に任せて作ったのか……。それにしても火焔型土器は、東日本の200以上の遺跡で出土していて、大半が信濃川流域、特に新潟県域の中流域から見つかっているそうです。このあたりは当時も豊かな生活……良い意味で暇な時間が多かったんでしょうかね。こんなの狩猟採集にヒィヒィ言っていたような地域では作れないと思うんですよね。

その他にも、いろんな形や文様、装飾がほどこされた土器が、中期に集中しています。

火焔土器
新潟県小千谷


北関東加曽利E式土器
出土地不詳
加曽利E式土器
出土地不詳
勝坂Ⅲ式土器
東京都町田市 原町田遺跡
寄贈:永田憲一

●後期の縄文土器

後期に入ると、さらにバリエーションが増えます。火焔型土器のように、盛り盛りの装飾は減りますが、器のシルエットが派手なものがあったり、急須のようなものが出てきたりもしています。

《堀之内1式土器》東京都町田市相原町 相原遺跡
寄贈:吉田恵二・青木豊
《加曾利B2式土器》
千葉県鉄子市粂山町 余山貝塚
寄贈:野口義麿

↑ よくこんな形の土器が、何千年も土の中で眠っていたなぁとも思います。

●晩期

安行3b式ほか
大洞BC式土器
出土地不詳
大洞BC式土器
出土地不詳

↑ 徳利のような形も不思議ですが、高杯(たかつき)など盛り付けようの食器が現れるのも晩期の特徴のようです。

↑ ここだけヘンテコな……かっこいい演出の展示がされています。明暗が強すぎて、わたしのカメラではきれいに撮れませんでした。こうしたミニチュア土器の出土も、縄文晩期です。

ミニチュア土器の1つ

●土偶もゴロゴロ……バラバラ……

土偶や石棒なども、無造作とも言えるような感じで、ゴロゴロと置かれています。いやまぁでも、下の出品リストを見ていれば、じょじょに、このバラッバラに置いてあるようにみえる土偶やかけらたちも、なにか順序だてて置かれているのかもしれません。

それにしても、こういう「名もなき土偶たち」みたいな雰囲気が、ものすごく良いです。自分も土偶を発掘したいなぁ……なんて思ってしまいます。ずっと眺めていられますよ。


■縄文のパターン帳みたいなのがズラリッ!

「この博物館、すごいなぁ」と思ったのが、縄文のパターン帳のようなもの……縄文原体標本が、何十……100通りくらいあるんじゃないか? という点です。下の写真のように、いろんな方法で結束した縄と、その縄を土器にこすりつけた時に付く文様……いわゆる縄文……それに縄文土器の例の3点が、セットになって展示されています。

下の写真のように3点がワンセットになって、ずらりと見ていけるんです。なるほど、こうやって文様をつけていたのかぁと分かるわけです。

とまぁ、この他に旧石器時代から縄文時代の遺物が、これでもか! と展示されているゴイスーな博物館です。この時代に関して言えば、東京国立博物館(トーハク)よりも大充実していますし、縄文時代の土器を体系的に知るのには、わたしが知る限りでは最も適した場所だと思います。

noteしておくのは縄文時代だけにしようと思っていましたが、機会を作って、その他の展示品についてもnoteしていきたいと思います。

それでは






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