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国宝ホヤホヤの《和漢朗詠集》を皇居三の丸尚蔵館で堪能してきました

先日、3月15日に、「文化審議会の答申(国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定等及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録)」という、文化庁の報道発表がありました。↑ 全部読もうとすると頭がパンクするほど、難しい日本語ですが、要は「今度、国宝や重要文化財になる(と、ほぼ決定した)作品リスト」ということです。

その中にある「解説(5MB)」というPDFを開くと、次に国宝などに指定される品々が写真付きで解説されています。それをなんとなく眺めていたら、今年もまた皇居三の丸尚蔵館の所蔵品が国宝に指定されると知りました。

これは何も文化審議会や文化庁が、皇室や宮内庁に忖度しているからではなく、これまでは皇室の御物である三の丸尚蔵館の所蔵品を「国宝などに指定しなくても、きちんと管理できます」などの理由で、国宝級のものでも指定しない慣例があったんですね。数年前に、この慣習をやめたことから、同館の所蔵品が、じょじょに重要文化財や国宝に指定されていっている……という流れです。

というのも三の丸尚蔵館は皇居三の丸尚蔵館に名前が変わっただけではなく、宮内庁の管理下から離れて、国立博物館や美術館と同じような扱いになったんです。それで今までは、同館の所蔵品を積極的に外に貸し出すこともなく、たいして広報もしていなかったし(する必要がなかったので当然です)、名品がたくさんあるのにも関わらず国宝も重要文化財もゼロでしたので、一般の人には「三の丸尚蔵館ってなんだ?」という、広く知られる存在ではなかったんです。だいたい皇居=旧江戸城なわけですが、その大手門(正面玄関)から三の丸に、誰でも無料で予約なしに入れるなんて、城好きや皇室ファンでなければ知られていないわけですから……そもそも関心がないでしょうから、当然、その中に博物館(美術館)があるなんて、博物館や美術館好き以外は、思いも寄らないことだったでしょうね。

と、いつもどおりに前置きが長くなりましたが、上述した答申の解説PDFを見ていたら、《和漢朗詠集(雲紙)》というのが、新たに重要文化財に指定されると同時に、国宝へ……と記してありました。

画像は、文化庁の報道発表PDFより

添付されていた上の画像を見て……あっ、何日か前に見たやつじゃん……となったわけです。

というのも、皇居三の丸尚蔵館では現在、開館記念展『皇室のみやび 受け継ぐ美』が開催されています。3月12日から5月12日までは第3期の『近世の御所を飾った品々』が見られます。ちょうどこの第3期に《和漢朗詠集(雲紙)》が展示されているんです(5月12日まで展示されています。途中で巻替えがあるそうです)。


■『光る君へ』にも登場する藤原公任と藤原行成に関連

詳しいことは分かりませんが、解説パネルを読む限りでは、作品名は《雲紙本和漢朗詠集 巻上》であり、執筆者は藤原行成ゆきなりと伝わっています……伝 藤原行成です。『和漢朗詠集』は藤原公任きんとうが撰んだ歌集なので、大河ドラマの俳優名で言うと……

藤原公任=町田啓太さんが撰んだ歌で構成される『和漢朗詠集』を、藤原行成=渡辺大知さんがしたためものが、皇居三の丸尚蔵館にある《雲紙本和漢朗詠集》だということになります。

ちなみにこの《雲紙本和漢朗詠集》は、公任や行成が生きていた11世紀の平安時代に書かれたものですが……作品をじかに見ると、保存状態がとても良いので、1,000年以上も前に書かれたものだというのが本当に驚きです。

前述の答申の解説PDFには「本巻は、上下2巻からなる完本」とあります。欠けていないということですね。さらにですね、同じく皇居三の丸尚蔵館が所蔵する《粘葉本(でっちょうぼん) 和漢朗詠集》とともに「和漢朗詠集の最古の遺例」なのだそうです。

ということはですよ……今回の「雲紙本」の和漢朗詠集が国宝になったのなら、普通に考えると「粘葉本(でっちょうぼん)」も、国宝になりますよね……どうなんだろ?

ちょうど誰も見ている人がいなかったので、写真で記録してきました。ちなみに皇居三の丸尚蔵館に生まれ変わってからの同館は、著作権が切れている作品に関しての撮影は自由です。真意は分かりませんが、作品をどんどんSNSなどでアップしてもらい、知名度を高めたい! という感じではないでしょうか。とにかく色んな挑戦をしていきたいという館長の志がヒシヒシと感じられる、とても好感の持てる博物館(美術館)です。ちなみに館長は、九州国立博物館から移ってこられた島谷弘幸さん。日本書道史が専門ということなので、まさに今回の国宝指定には一枚噛んでいるかもしれませんね。

前述の答申の解説PDFには「本巻の各料紙は、右下と左上の対角の位置に藍の雲形を漉すきかけた雲紙を用いている。雲紙の完品の遺品としては現存最古であり、雲紙を対角に配した例は他に知られていない」のだそうです。

↑ まだまだ見えない部分がたくさんありますね。この巻物は、縦が27.6cmで、全長が1,468.9cm……約14m68.9cmもあります。←巻の上下を合わせた長さかもしれません……要確認。

■藤原定家がしたためた『更級日記』の写本

平安時代の菅原孝標女がしたためた『更級日記』を、鎌倉時代の貴族で歌人だった藤原定家が書写したものも、絶賛展示中です。こちらも国宝に指定されています。

菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)というと、ずいぶんと長い名前だな……なぁんて思う人は少ないと思いますけど、いちおう……江戸時代までは、女性の名前が記録に残っていることはとってもレアだったんですね。それで、たいていはお父さんや兄弟の名前や官職名を使ったニックネームが、そのまま通称されています。あの紫式部だって、大河ドラマでは「まひろ」となっていますが、「まひろ」は、まったくの当てずっぽうです。菅原孝標女の場合は菅原孝標の娘さんということです。

で、大河ドラマの『光る君へ』と無理やり関連付ければ、『更級日記』の作者と言われる菅原孝標女の叔母さんが、『蜻蛉日記』を残したと言われる藤原道綱母……つまりは財前直見さんです。で、藤原道綱というのが、上地雄輔さんということになります。藤原道綱母は、ドラマでは藤原寧子(やすこ)という名前が付けられていますが……これはお父さんの藤原倫寧(ともやす)から、ドラマ用にテキトーに付けた名前だと思われます。

そろそろ『更級日記』に話を戻すと、この写本は「後水尾上皇の仙洞御所に伝来し、後西天皇のご遺物にも含まれており、禁裏御所(京都御所)伝来の品と考えられます」と解説パネルにあります。もう、一般庶民のわたしが、こんなものを拝見してよいのでしょうか? というレベルのものですね。まぁ気兼ねなく、写真まで撮らせていただきましたが…。

そして当然、なにが書いてあるのかな? って思いますよね。同館は素晴らしいので、ちゃんと記してくれていました。このページには次のようにしるされています。

人もまじらず、几帳の内にうち臥して、引き出でつゝ見る心地、后の位も何に代はせむ。昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり、火を近く灯して、これを見るよりほかの事なければ、をのづからなどは、そらに覚え浮かぶを、いみじきことに思に、夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五巻をとくならへ」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思かけず、物語の事をのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、盛りにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめと思ける心、まづいとはかなく、あさまし。五月一日ごろ、つま近き花橘の、いと白く..

……ということが書かれているそうです。上の文章を参考にして原文を見てみると、なんとなく読めそうな気もしてきます。そして生成AIのBardで現代語訳してみると、おおまかに下記のような感じでしょうか……どれだけ合っているかは保証できません。

誰にも邪魔されず、几帳の奥に寝そべって(源氏)物語を読みふける私の気持ちは、后の位にさえ代え難いほど幸せです。昼は日が暮れるまで、夜は目が覚めている限り、灯火を近くに灯して、この物語を読む以外何もすることがありません。自然と物語の内容が頭に浮かんでくるのには、本当に驚くほどです。夢の中では、とても清らかな僧侶が黄色の袈裟を着て現れ、「法華経五巻を習いなさい」と告げるのです。しかし、誰にも話さず、習おうとも思えず、物語を読みふけるあまり、現実世界を疎かにしすぎてしまったようです。ただ年頃になれば、顔立ちも限りなく美しく、髪もとても長くなるだろう……わたしも光の源氏の夕顔や、宇治の大将の浮舟の女君のように美しくなるに違いないと思っていましたが……。そんな浅はかな思いは、すぐに消えてしまいました。五月一日の頃、近くに咲いている橘の花が、とても白く……

Bard訳

少し調べると分かりますが、この菅原孝標女は、文学少女だったんですね。特に源氏物語が大好きだったと。皇居三の丸尚蔵館に現在展示されている『更級日記』には、彼女が寝ても覚めても源氏物語についてばかり考えていた頃のことが記されています。

さて、『更級日記』の著者は菅原孝標女ですが、それを書写したもののなかで、最も古いのが現在展示されている藤原定家のものです。ただ、解説パネルには、とても不可解に感じる一文が記されていました。

奥書には、定家所持本の紛失により再度書写した旨があり、本紙には出典等を注記した「筋物(注記のこと)」が残ります。

解説パネルより

この太字部分の日本語って、普通に読むとヘンテコだと思うのですが……これを読んだ時に、近くにいた同館のスタッフに聞いたみたんです。「この部分については、藤原定家が書写した本を紛失して、改めて書写したんですか?」と……。この時は、なんか変な文章だなと思ったのですが、何が変に感じたのかしっかりと伝えられずにいたんです。それで、スタッフの方からは「そういうことになりますね」という返事しかいただけませんでした……「なにが変なのですか?」という感じでした。でも変ですよね。紛失した本を、どうやって書写するんですか? と……

今日まで悶々としていたのですが、美忘録さんのnoteを読んで、だいたいの事情が飲み込めました。

現在展示されている藤原定家の《更級日記》には、奥書という、メモ書きというか注意書きが残されているんです。その注意書きもパネルで展示されているんですね。わたしは、展示室で観覧した時に、ちゃんと読んでいませんでした。

この奥書を、また生成AIのBardに現代語訳してもらうと……

以前書き写したこの草子は、原本を人に貸したところ、紛失させてしまった。そこで、原本を写した人の本を借りて、改めて書き写しておく。書き写される過程で、文字の間違いが非常に多くなっている。不審な箇所には朱線を引いておく。もし原本を入手することができれば、照らし合わせて修正する必要がある。時代背景を考慮するために、旧記なども参照した。

まず藤原定家は『更級日記』(更級A本)を手に入れて、自分で書写したんです。その書写本(更級B本)を、人に貸したら、そいつが更級B本をなくしてしまった。仕方がないから、藤原定家は、改めて『更級日記』を自分で書写した。この、改めて書写した時に参考にしたのが更級A本だったのか、はたまた紛失した当人が更級B本を書写した更級C本だったのかは不明とのこと。

ただし、上述の奥書をじっくりと読むと「件の本」というのは「問題となった本」的なニュアンスがあるので、「紛失された本=定家書写本(更級B本)」だと解釈します。次に「仍って件の本書写す人の本を以って更にこれを書留む」というのは、(更級B本)を書き写した人の本(更級C本)を、さらに書き写したのが、皇居三の丸尚蔵館に所蔵されている《国宝 更級日記》ですよ……というのがストレートに読んだ時の解釈になる気がします。で、(更級C本)ですが、これは定家書写の(更級B本)は、紛失される前にも何人かに貸していたんだと思うんですよね(ド素人のわたしの推測です)。しかも、(更級B本)を紛失するようなヤツが、最後まで書写できるとも思えません。ということで、《国宝 更級日記》が元にした(更級C本)は、紛失したヤツとは別の人が書写したものだったと、ド素人のわたしは推測します。

それで、今回参考にした(更級C本)は、伝言ゲームの結果、字の誤りが多いと……ちょっと定家さん怒ってます? と思ってしまう書き方です。「もし証本を得れば、これを見合わすべし」と……「証本」とは、定家が最初に参照した(更級A本)でもいいし、自分が完璧に書写した(更級B本)でもいいから、手に入れたら、今回の《国宝 更級日記》と照合しなさいと。その時に役立つように、《国宝 更級日記》には誤字が疑われる箇所に、赤字の履歴を入れておきますからね……と。

想定外に長い文章になってしまいました。ほかにも見るべき展示品があったのですが、一旦ここまでとします。

2024年3月30日は、午前中に東京国立博物館(トーハク)へ行った後に、妻と息子関係の友だちなどと、ソメイヨシノが咲いていないなかでの花見……というかピクニックへ行ってきました。中国系オーストラリア人とベトナム系オーストラリア人、それに息子の友だちAとBの双子と、それとは別にBの友人C ←ここは子供だけ参加。それに息子の幼馴染のDちゃんは参加せず、ママだけ来るという……異色すぎるグループw 17時頃に帰宅。

■開催概要

皇居三の丸尚蔵館 開館記念展「皇室のみやび―受け継ぐ美―」
第3期「近世の御所を飾った品々」
会期:2024年3月12日〜5月12日
会場:皇居三の丸尚蔵館(Googleマップ
料金:一般 1000円 / 大学生 500円 / 高校生以下、18歳未満、70歳以上は無料
※会期中、一部展示替えあり
※出品作品はすべて国(皇居三の丸尚蔵館収蔵)の作品

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