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「料理はするもの」という無意識

拙著『自炊力』へのご感想で「(まずはじめはコンビニでどう買うか、次にはどう足すかというところまで)引き下げなきゃいけないというのは、いかに料理をしない人が多くなったかということですね」的なコメントをいただきました。

なんか、そこからいろいろ考えちゃったんですね。
現代は昔と違って「家事に専従できない時代」でもあり、また「分担の時代」でもあります。そして今までが「料理できること=当然」と思い過ぎていた時代だ、と思うのですよ。

さらにいえば「女が料理できること=当然」でありすぎたのではないでしょうか。だから「料理しない人がいかに多くなったか」ではなく、「料理は別にできなくても、やりたくなければやらなくてもいい」を選べる時代に着実に変わってきたと思うんです。以前なら声をあげることすらできなかったのが、あげられるようになってきたと。

「女が料理できること=当然」の時代が過ぎゆくということは「男が料理できないこと=当然」の時代もすでに終わりつつある、ということです(地域文化による温度差的なことは常に話題になりますが)。
ゆえに私は男女年齢関係なく、今は「自分の生活スタイルに見合った自炊力を早めに身につけたほうがいい」と拙著で書きました。

なるべく若いうちに、ある程度の自炊力を身につけておけばそれは一生の財産です(別にこれは一通りの料理ができるようになるとか、そんな高いレベルのことじゃなく。そのあたりは本を参照してください)。
自炊という、生活の中の料理(買い出しから献立決め、調理、あまった食材の保存と使い切りという一連の行為)を体験しておくと、誰かと暮らしたときに共有できるものの深さ、互いへの思いやりがグンと違うから。やってないとわかならないし、「料理なんてやってみれば簡単でしょ」「みんなやってるじゃん」的に思う人、少なくない。

今までは「料理好きからの発信」のみがクローズアップされすぎていた、とも感じています。料理雑誌やらグルメ雑誌って、食べること作ることが好きな人たちに向けてのものですからね。「このぐらいのところから教えてほしい」という声を見逃している部分、あるんです。
料理好きのまわりには料理好きが集まる。料理が苦手、という人の声はさらに拾われなくなっていく。「料理は好きだけど、あんまり上手くなくて」「料理はやってこなかったけど、やろうと決意したんです」的な人向けの本は、いくらでもあるけれど、それ以外の人に向けた本は少なかった。

そして「最低ラインのところから教えてますよ。分かりやすいでしょう」的な目線は、料理しない人、料理苦手な人にとって愉快なものではありません。無意識の「そういう感じ」が、今までの料理本には少なからずあったと思っています。また「このぐらい簡単だったら大丈夫でしょう?」的な作り手の無意識も、ビギナー向けの本では感じられることがある。これもよくない。
こうじゃないんだよな…こういうことじゃないんだよなあ……という違和感が『自炊力』を書いたひとつのモチベーションともなっていました。

話はいろいろ飛びましたが、「料理しない人が増えているのか」というコメントから、「料理はしなくてはいけないもの」という無意識にあらためて気づかされたというか。料理しない自由、料理しないという選択はあってしかるべきです。「でも、料理ってこんなに楽しいんだよ!」「自分で作ったごはんは格別だよ!」と料理好きは言ってしまいがちなんですよね。
そこも、分かる。
そういうときはあなたが一番苦手だった教科を思い出してほしい。「数学の楽しさ、教えてあげるよ!」「こうやったら体育、きっと好きになる」と得意な人から、大人になったいま誘われたらどう思うでしょう。

食事は毎日のこと。料理ってすごく身近なもの。だからこそ、コンプレックスが刺激されやすい。ナーバスな問題だなとあらためて思い、書き留めておきたくなりました。

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