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ヒトラーの本音の言葉を聞こう『続・わが闘争』を紹介

今回はヒトラーが書いた数少ない本の一冊、『続・わが闘争』を読んでとりわけ印象に残った彼の言葉を紹介していきます。ヒトラーの言葉には力強い意志が感じられ、彼の言葉を聞く者に勇気と力と感動を与えてくれます。私は過去に様々なジャンルの本を読み、考えを深めていました。そのあらゆる面をヒトラーは理解し言及している姿を見て、改めて彼の知識の深さに驚くとともに、私の考えは決して間違っていなかったのだと思わされました。ぜひ、あなたもヒトラーの言葉から何かを得てください。きっと魂が揺さぶられるはずです。

ヒトラー自身が語り書いた本は意外と少ない

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ヒトラーの書いた本と言えば誰もが知っている通り、『わが闘争(Mein Kampf)』です。上下2巻で構成されるヒトラーがミュンヘン一揆の後に逮捕され獄中で執筆した書籍のタイトルです。1945年までの発行部数は1200万部。2015年12月31日に著作権が失効し、2016年1月に再びドイツで出版され今や一般のドイツ人でも読まれています。ヒトラーに関する本は全世界で3千点以上とされていますが、ヒトラーの言葉が書かれた本というのは非常に少ないのです。以下が確認されている日本で訳されているヒトラーの本です。私は全部持っていますが、『ヒトラーは語る 1931年の秘密会談の記録』はもう絶版かもしれませんので、急いで買ってください。

『我が闘争』
『ヒトラーの遺言』
『ヒトラーのテーブル・トーク』
『ヒトラーは語る 1931年の秘密会談の記録』

ちなみに上記とは別に『ヒトラーの日記』、『ヒトラーとの対話』、『ヒトラー 上下』については偽物でヒトラーの言葉ではないと分かっています。わざわざ偽書と分かっていて読みたい人はよっぽどの人だと思いますが、どうしても読んでみたい方はその前提で読んでください。

『続・わが闘争』は『わが闘争』が読めなかった人にこそおすすめしたい

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今回紹介する『続・わが闘争』とは一体何なのでしょう?こちらは書籍化されていない草稿のものをのちに書籍化したものですが、学問的研究からほぼこの草稿は本物とされています。草稿段階ですので、章も年も書いておらず、一体いつヒトラーが書いたのか?となっていましたが、ヴァインベルクの調査によれば、時期が1928年頃と推定されています。ですので、ヒトラーが政権を取る前の内容です。

『わが闘争』と似ているのですが、『続・わが闘争』はかなり読みやすいです。気になる内容はというと、主に「生存権と領土問題」、「イタリアとの同盟」、「ユダヤ人との闘争」について書かれています。読んだ感想としては、やはり草稿というだけあって、『わが闘争』よりも表現の自由度が高いという点です。ヒトラーの怒りなどは特に顕著で、『わが闘争』では冷静さがありましたが、『続・わが闘争』では感情を露わにしているように感じるなど、ヒトラーの本音がより分かります。『わが闘争』はルドルフ・ヘスが口述筆記を務めアドバイズもしていますし、それを出版用に綺麗に編集されていますから、いくらか表現がマイルドになったり、出版用に変えていたりするのですが、それがないのです。同じ訳者なのですが、日本語訳はかなり読みやすく、『わが闘争』が読みにくい、難しい、途中で読むのをやめたという人が多いと聞きますが、『続・わが闘争』は優しいので、ヒトラーの言葉に触れてみたいという方にはおすすめで、絶対に読むべきです。

ちなみに、『続・わが闘争』は、別に秘密文書でなく書籍化も想定されて書かれていたのですが、それでも草稿のままだった理由は、①『わが闘争』と競合し売れ行きが二分化してしまう点②内容に不都合が出た点(ヤング案反対、本書の市民的政治家の批判を書き改める必要性があり、当時総選挙など政治活動に修正するだけの時間が足りなかった)とされています。

さて前置きはこの辺に、ヒトラーの言葉を見ていきましょう。

戦争は逆淘汰である

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すなわちこの場合では、おびただしい数の人間からこの上もなく有能な人間が選び出され、凝縮集団の形で戦場へ派遣されたのに、民族の中で最も優秀な者が戦争の犠牲者となる率は非常に高くなり、一方ではその逆に最も俗悪なる人間の方が生きながらえる率が高まってくるわけである。つまり民族共同体のためとあれば、自らの命を喜んで犠牲にするこの上もなく極端に理想的な男たちがいるのに対し、自分自身のまったく私的な生活を維持することが人生至高の課題であると考えている無数の卑劣なエゴイストたちがいるのである。英雄は死に、犯罪者は生きながらえるのだ。

弱者などいらない

危機、災難、政治的圧迫、宗教的強制力が民衆にのしかかってきた場合もやはり同様、これに対してあえて抵抗を行おうとするのは、常に最も健康かつ抵抗力のある人間なのである。まっさきに、屈服するのは常に弱小者なのだ。勝者にとって、このような弱小者たちの存在を維持することは、本国が残留組の面倒をみるのと同様に、たいした利益はない。

平和主義者は過去の不正によって暮らしていると非難されるべきだ

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戦争という名の危機から、平和という名の日々の糧が生み出されてくるわけである。武力はもともと農耕への道を切り開く開拓者であったし、人権を語る上で戦争はこの最高の権利に貢献した唯一のケースなのだ。戦争は民族に大地を与えてきたのだ。(略)それゆえ健全で素朴な民族は全て、土地を獲得することに罪の意識を持つことはなく、むしろこれを自然なことであると捉えている。だがこの神聖なる権利を否定する現代の平和主義者らは、そうすることによって少なくとも過去の時代の不正によって暮らしを立てているのだ、と非難されるべきなのだ。

産児制限は価値の高い人間を消滅させる

たかだが六千人のスパルタ人たちが三十五万人もの奴隷を支配していたという歴史的事実は、スパルタ人が人種的に高い価値を有する人々であったせいである、としか考えようがない。これはまさしくスパルタで、計画的に人種保存が実行なされた結果なのであり、このスパルタ国家に我々は民族主義の萌芽を見ることができるのである。スパルタでは病気を患っていたり、虚弱体質であったり、障害があったりした子どもを放棄すなわち処理してしまったわけだが、この手法は現在我々が抱いているどうしようもない妄想に比べると、実際のところ、何千倍もヒューマンであると言えるのだ。我々のやり方といえば、何しろその妄想のおかげで、病弱な人間などそれこそあらゆる犠牲を払ってでも生きながえさせようとし、片や産児制限をとったり、堕胎薬を使用したりして、何十万もの健康に生まれてくるはずの種族が後々出現するように培養を行なっているようなものである。(略)産児制限の実施は、最も高い評価を有する人間を消滅させ、国外移住は平均的人間の価値を破壊することになるのだ。

どんなこともエネルギーを出し最後までやりきるのだ

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例えばある人が癌になり、死ぬのは必至という状況になったとする。ここで手術が確実に成功するパーセンテージが低いとか、また成功したとしてもなおかつ患者が百パーセント健康を取り戻すとは言い難いという理由で、手術を受けるのを拒否するというのは、馬鹿げたことであろう。しかしその医者自体が成功の見込みがあまりないからといって、自分の能力を出し切らなかったり、半分のエネルギーで手術をすませてしまうならば、それは一層馬鹿げている。ところがこの最も馬鹿げたことをするのを、こういう人々は、国内政策、外交政策の面で絶えず待ち受けているのである。彼らは成功するのが百パーセント確実でないからといって、あるいはその結果が余すところなく満足のいくものとはならないだろうという理由からして、政治上の手術を実行に移すのをやめてしまうばかりでなく、こういう場合でも労力を目いっぱい注ぎ込むのはよして、ただひたすら退却するための抜け道は開けておけるのではないか、というつつましやかな希望にしがみつき、出す力は手控えるにもかかわらず、この手術が行われるのを期待しているのである。これはまるで野戦で戦車攻撃を受け、抵抗しても成功の確信がないと考えて、最初から半分の力しか出さない兵士のようなものだ。そのうえこの兵士の抜け道は逃走であり、またその迎える結末は、確実にやってくる死なのである。いや、これではいけない。今日ドイツ民族は略奪欲に満ちた敵の暴徒によって、内側からも外側からも襲いかかられている状態にある。この状態がこのまま続けば、それは我々の死を意味する。この状態を打開するどんな可能性も逃してはならない。たとえその結果にいくら弱点があろうとも、疑わしい面があろうとも、だ。そしてその場合、そうした可能性は全て、エネルギーを出し切って最後までやりぬかねばならない。

我が民族の裏切り者に対する私の憎悪は永遠に消えない

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我が民族の指導部は永遠の歴史的事実と民族の知見に反して、戦争責任を自国に引き受け、それによって我々民族全体を苦しめているからである。そもそも敵が圧迫を加えてきたのは、我が民族の内部に何千となる従順なる支援者を見出しているからである。逆に我が民族の偉大な行為の時代を恥ずかしげもなく侮蔑し、いつの時代にも尊敬を払うべき国旗を唾棄し、いや、思いっきり汚し、世界を震え上がらせた帰還兵たちの名誉ある帽章を引きちぎり、旗をクソまみれにし、勲章や名誉章をもぎ取り、ドイツの最も偉大な時代への思い出自体を何千回となくおとしめる連中がいたからである。敵といえども、十一月詐欺の代表者が汚したほどにはドイツの軍隊を侮蔑しなかった。ドイツの軍指導者たちの偉大さを疑ったのは敵国ではなかった。新たなる国家理念を代表するルンペン連中がそれを誹謗したのであった。(略)ドイツの名誉の名において、今日行動しようとする者は、まず第一に、ドイツの名誉を悪魔のごとく汚す者たちに情容赦ない闘いを宣言しなければならない。だがそれはかつての敵たちではない。十一月犯罪の代表者たちにである。我が民族を今日の無力状態に突き落としたマルクシズム的、民主主義的・平和主義的・中央党的売国奴たちの一団にである。国家の名誉においてかつての敵をののしり、国内において敵と手を組んでいる下劣な同盟者たちを主人として迎えるのが、今日のいわゆる国民的市民階級の国民的尊厳にこそふさわしい。私は素直に告白する。私は当時の敵の誰とも和解できる。しかし、一連の我が民族の裏切り者に対する私の憎悪は将来にわたって和解を知らない。

人種交配が価値の低い人間を生む

アメリカ民族に対するユーロッパ民族の劣等価値ゆえにアメリカへの行動権を失う状態からヨーロッパ国家を救うのは、民族を意識した人種政策のみである。ドイツ民族がそれを採用せず、ユダヤ人によって行われている劣った人間との計画的交配、それによっておこる人種水準それ自身の低下、さらには模範となる個人の何十万にものぼる流出継続によりドイツが最も優れた血の所有者を捨て去るならば、ドイツ民族は劣等な、それとともに能力のない、価値の低い民族にゆっくりと没落してしまうだろう。

裏切り者だけに役立つ戦争には絶対に反対する

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その頃1919年、1920年に私は講和条約署名という不名誉に反対を表明していた。しかも、壁の後ろでひそひそと囁いていたのではない。公然と表明していたのだ。諸君らはなお当時卑劣であり、我々の集会に来る勇気さえ持ち合わせていなかった。諸君らの今日の外交同盟者、すなわちマルクスト的浮浪者、にたたかれるのが怖かったのである。サン・ジェルマン講和条約の署名者も、ヴェルサイユ条約署名者も国家社会主義者ではない。彼らは数十年間にわたる祖国の裏切り行為にこの署名によって最後の仕上げを画す政党関係者であった。今日南ティロールの運命を少しでも変えようと望む者は、今日の抗議者たちがすでに一度放棄しているわけだから、再び放棄できるわけがない。せいぜいのところできるのは再占領くらいのものだろう。もちろん、私は、それに全力で反対する。私はそのような試みに強硬に対抗する。予告しておく。私は、我が民族をこのような愚かな上に血を求める冒険に引きずり込もうとする面々に対しては燃え上がる憎悪を持って闘う。私は戦争の内実をレストランでの話題を聞きかじって知っているのではない。私は、戦争で何かを命令したり、指示したりするような連中の一人ではなかった。私は、四年半にわたって命令され、それにもかかわらずその義務を忠実に真摯に果たし終えた平凡な兵士であった。それによって幸運にも私は戦争を、戦争はどのようなものであるか、そして、どれほどまでに見たくもない実態であるか、を知った。私はこの戦争の最後の瞬間まで一兵卒であった。それゆえに戦争の、勝利に我が民族の救いがあると信じていた戦争の、陰の面をも知った。しかし今は、陰でこそこそと仕組まれた平和の中にいる。私は、ドイツ民族には役に立たず、我が民族の流した血の犠牲をすでに不埒にも自分たちの利益のために売り渡す連中のためだけ役立っている戦争には、絶対に反対する。私は確信している、いずれこの私に、必要となればドイツ民族の血の投入にも責任をとる決断が求められるだろう。しかし私は、一人のドイツ人だけが戦場に引っ張り出され、その血を持って愚者や犯罪者だけは自分たちの計画を太らせるような実態には抵抗する。近代戦争のもたらす驚愕と苦痛の前代未聞の恐ろしさを知り、民族の精神力が無残に酷使される様子を検討している人は、血の投入に匹敵しない成果のためにそのような犠牲を求める考えには二の足を踏まざるを得ない。

祖国ドイツの裏切り者が消滅するのが私のライフワークの目的であり、国民社会主義運動の課題である

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いずれにしても私としては誇りを持って自慢できる。私は一人前の男子となって以来我が民族の強化に参加していたし、戦争が勃発した時にはドイツ西部戦線において四年半にわたって戦い、戦争後にはドイツに不幸をもたらした腐敗分子との戦いに日を送った。私はこの時以来、祖国ドイツへの裏切り者とは内政においてであろうと、外交に関してであろうと妥協していない。彼らが近いうちに消滅するのが、私のライフワークの目的であり、国民社会主義運動の課題である。これを毅然として宣言しておく。私は怯懦な市民主義者の野良犬どもや愛国同盟者たちの罵声も遠吠えも平気で聞き流せる。私にとっては言語に絶する軽蔑すべき対象でしかないこれらの木偶の坊たちが持っている低レベルの臆病さというものを、私はあまりにもよく知っているからである。彼らもまた私という者を知っている。だから彼らは私に向かって叫び立てるのだ。

寄生虫ユダヤ人と戦うのは国民社会主義者しかいない

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ユダヤ民族は独自で生産する能力を欠けているので、空間的に理解されている種類の国家形成を実現できない。自分の生存基盤として他国民の創造的活動と労働を必要とする。それゆえにユダヤ人自身の存在が他民族の生存内での寄生虫的存在となる。すなわちユダヤ人の生存闘争の最終目的は、生産的活動を行なっている諸民族を奴隷にするところにある。この目標は実際はいつの時代にあってもユダヤ人の生存闘争に見られたものであるが、それを達成するためにユダヤ人はその本質の集合体全体に見あうあらゆる武器を使用する。(略)外交においてはユダヤ人は諸民族を不安に陥れ、諸民族をその真なる利益とは別な方向に導き、民族を相戦わせ、そのようにして金の力とプロバガンタの助けでゆっくりと支配者に成り上がろうとする。その最終目標は脱国民化であり、他民族との交雑であり、最高民族の人種水準を低下させるところにある。民族的知識階級を根絶し、人種混淆を導き、自分の民族所属者をもってその知識階級の代わりを務めさせようとするのである。ユダヤ人の世界闘争はそれゆえに常に血なまぐさいボルシェヴィズム化で終わるであろう。すなわち内実は、民族と結びついている当該民族独自の精神的指導者層の破壊である。それにより、指導者をなくした人間たちの支配者にユダヤ人自身が昇ることができるのである。その際にユダヤ人の手助けをしているのが怯懦、愚昧、劣悪さである。交雑によってユダヤ人は他の民族隊に侵入する第一歩を確実に獲得している。ユダヤ人支配の最後は常に個別文化の衰退であり、最終的にはユダヤ人自身の狂気である。なぜなら、ユダヤ人は民族の寄生虫であり、彼らの勝利が意味しているのはその犠牲民族の死滅であり、彼ら自身の終焉であるからだ。(略)19世紀が、利息思想に立脚した金貸し資本の拡大によって、ユダヤ人に諸民族の経済内での支配的位置を与えている。株を経由してユダヤ人は最終的には生産現場の大部分を所有するに至り、株式取引所の支援を得て次第に公的な経済的生存の君主にだけではなく、最終的には政治的生存の支配者までになるのである。これは、フリーメイソンの支援を得ている諸民族の精神的堕落と、ユダヤ人への依存を強める新聞の働きに支えられている。かつて市民階級が封建支配を破壊する要素であったのに似て、ユダヤ人は、市民的な精神支配を破壊する潜在力を、新興の肉体労働者の第四階級に見い出すのである。その際、市民的な愚鈍、無作法は厚顔さ、貪欲な金銭欲、怯懦、これらがユダヤ人に手を貸している。彼らは肉体労働の階級を特別階級に仕立て上げ、国民的知識階級に対して闘わせるのである。マルクシズムがボルシェヴィズム革命の精神的父親となる。それがテロの武器である。ユダヤ人はその武器を今や情容赦なく冷酷に使用している。(略)ユダヤ人の勝利をめぐる激しい闘争は現在ドイツで繰り広げられている。人間性へのこの呪わしい犯罪に対する闘争を一人で引き受けているのが国民社会主義運動である。

最後に

『続・わが闘争』の口コミには、「人類が二度と同じ過ちを繰り返さないためにも,本書は読んでおいて損は無いと思う」、「あらためて、ヒトラーは狂っていると言える内容だった」、「ヒトラーを反面教師として捉えてもおもしろい」などというよくあるコメントが見受けられましたが、中には、「あの当時で将来を見越してよくここまで考えていたものだと感心させられる」、「ヒットラーを狂人と呼ぶのは行き過ぎではないか」と言っている人もおり、ユダヤ人のプロパガンダに騙されない人がいる、日本人も捨てたものではないと思いました。あなたはどうでしょうか?『続・わが闘争』を読んで自分の答えを導き出してください。また、私はヒトラー、ナチス関連のnoteをメインで書いているので、ぜひ他の記事も参考に読んでくださいね。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

白狼(はくおう)ちとせ🐺

参照:『続・わが闘争』
p26、29、37、42、57、82、156、172、293、320、330、332、335、396、400より

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