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『憧憬のニーナ』発刊記念~白色黒蛇が書きたい物語の話~

どうもおはこんばんにちは、白色黒蛇です。

昨日、約半年ぶりに新作小説を発刊いたしました。NovelJamが終わった後、あたしと同じ編集の枠で出場していたつきぬけさんに「蛇さんの作品を診させてくださいよ」と言われ「じゃあやろう」と息巻いてから半年、やっと発刊に至りました。表紙を書いてくださった波野發作さん、ともども御礼申し上げます。

今回は今作のことを踏まえながら「白色黒蛇が書きたい物語」について、ざっくばらんに語っていこうと思います。

①唐突だが、大半の物語はおおよそ一方的な気がする

小説、漫画、ゲーム……色んな物語を見ているとつくづく思うことがあります。それがこの章題の一点。

率直に言って大半の物語は『主人公の目線に従順すぎる』と思うのです。

例えばなろう系の異世界転生モノ、異世界から来た主人公は転生先の世界と元居た世界のギャップに困惑しながら色々と活躍していくわけですが、物語と言うのはある種一つの『世界』なのに主人公、あるいは主人公サイドの人物のみが悩み苦しみ頑張っているように見せられている。その点をフィーチャーさせられているような気がするんです。

例えるならば、勇者が魔王を倒す物語があったとして、当然勇者陣営の背景は色濃く書かれ、複雑な人間模様が映し出され葛藤や努力、課題に立ち向かう様が描かれます。しかし、思うにそれは魔王サイドも同じだと思うんですよね。

人間を滅ぼそうとする魔王だって、もしかしたら『人間が滅びないと自分たちの種族が平和に暮らせない』と言った理由があるのでは? と言うことです。そうすれば、1つの村の人間を皆殺しにしたって仕方ないはずです。自分たちが生き延びるためなんですから。

それに、魔王サイドにもいろんな奴がいて、皆殺し派の魔物共存派の魔物がいて、意見の食い違いがあるでしょうし、それを統べる魔王も『どっちの言うことも分かるけど……』といった葛藤もあるはずです。しかしどうにも、そこはかなり省かれて描かれることが多い傾向にある気がします。ほんの数シーン、数行で書かれて『あぁそうだったんだ』で済む程度。勇者たちが踏みにじるものの重さが感じられないものが多いなって思うんです。一方的と言うのはそう言う意味です。

②そんな中衝撃を受けた『NieR Automata』

先のことは結構前から、大学入学したあたりから感じていたんですが、そこでこの『NieR Automata』そしてその前作『NieR Replicant』と言うRPG。
奇才ヨコオタロウが生み出した傑作です。

このゲームは最初は主人公が敵(魔物、敵機械生命体)を倒していき、その親玉(魔王、アダムとイブ)を倒す物語が展開されますが、2周目以降になると今まで『自分が殺してきた敵の背景』をまざまざと見せつけられます。
そして、それを知った上で『もう一度その敵を殺さなければいけない』立場におかれます。

双方の事情を知るとプレイヤーはこう思うはずです。
『主人公は本当に正しいのか?』

また『NieR Automata』では2Bと9Sと常に肩を並べ、協力して戦っていますが、見ている現実はそれぞれ全く違います。何も知らない2Bと(これも少し違うんだけどネタバレになるんで伏せます)とそれらを知ってる9S、そして最初は敵だったA2。三者三様の価値観、見識を思うと彼らのすれ違いや物語の展開がより切なく、悲しく見えるのです。

これは現実にも言えることですが、分かりあうということは斯くも困難なことなんです。

③『憧憬のニーナ』で書きかった『どうしても避けられないすれ違い』

『憧憬のニーナ』では、NieR Automataも参考文献の1つとして白色黒蛇が思う『どうしても避けられないすれ違い』を描きたいと思いました。

主人公の1人アンドロイドの『シイハ』は期待と好奇心を胸に第六六番区域へと赴きます。彼にとっては楽しみな『初めての冒険』なのですが、シイハの案内をする『ニーナ』はそんなシイハが過去にも第六六番区域を訪れたことも、そのシイハが第六六番区域で何度も大破してきたことも、その度に第六六番区域での記憶をリセットされて懲りずにまたやってくることも理解しています。その回数実に219回。
219回シイハに第六六番区域を案内し、219回シイハが壊れるのをニーナは目撃しているんです。

当然、根本から認識が違います。うわべは協力しているように見えてその裏では真逆のことを思っている。彼らはどうしても分かり合えません。

そのすれ違いがニーナに何をもたらすのか、今作の見どころなので是非お楽しみください(宣伝かい)

④物語の世界を描きたい、楽しみたいのです。

物語は『世界』です。現実とは違う、そこから乖離した世界なのです。
当然、そこに住まう人々やその世界独自のルール、規範、道徳、価値観があります。

主人公たちだけの世界であるはずがないんです。

その世界のありとあらゆる、バックヤードまで見るとその物語の『本質』が見えます。白色黒蛇が見たいのはその『本質』です。
キャラクターやカッコいい技、名場面や名シーンよりもその『本質』こそが、物語の奥深さを演出するスパイスとなるのではないでしょうか?


ではでは今宵はこの辺りで、
お相手は白色黒蛇でした~♪


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