【やっちまった!!】マドリーしくじりの歴史~🇦🇷編~

マドリー最初の黄金期はアルゼンチンサッカー史上最高で『唯一無二の存在』アルフレッド・ディ・ステファノが導いたと言っても過言ではない。

フロレンティーノ・ペレスが会長職に就任して最初の名誉会長であり、カスティージャは彼の名を冠したスタジアムを使用しているのはご承知のとおりだ。

銀河系時代の幕開けに際し、ドン・フロレンティノが連れてきた時のスーパースターへ『ブロンドの矢』から白きユニフォームが渡されるのが通例となった。

もちろん、この恒例行事は2014年に彼が旅立つまでこの行事は続けられた。

ディ・ステファノ以外にもレドンドやカンビアッソ、そしてまだピピータだった頃のイグアインといったアルゼンチン代表クラスの選手達がマドリーで活躍したのだが、そんな南米の強国出身であってもマドリーでは思うように活躍出来なかった選手達も存在する。

今回はそんなしくじり補強となってしまったアルゼンチン人選手にスポットを当て、ランキングを作ろうと思う。

長身ジャンガジャンガCB

★第5位
ガライ

カンタブリアの古豪ラシン・サンタンデールとマドリーの縁はチャンピオンズカップ創世記まで遡ることになる。
先日、ディ・ステファノやプスカシュのもとへ旅立った『パコ』ヘントが所属していたクラブだからだ。

ちなみに2016年10月からディ・ステファノの後を継ぎ、2代目名誉会長に就任した。  

そんなラシン・サンタンデールには02-03シーズンに貸し出したムニティスに手痛い失点を喫したことがあった。
それが元で一時期マドリーは貸し出した選手はマドリー戦に出場出来ないという契約を結んでいた。

かつてはインド人の詐欺師に騙されたクラブから2008年に推定1000万€の移籍金でやって来たのがガライだ。

ラシンが世界的な詐欺師に騙されたの2011年の11月頃からだが、サンタンデールはこの男が資金投入もせずに給料未払いが続いていたにもかかわらず、経営権を手離さなかった為に2年連続の降格という憂き目にあった。

マドリーとの契約提携がされたガライだったが08-09シーズンはサンタンデールにマドリーから期限付きでそのまま残った。

09-10シーズンからはマドリーの選手となり、当初は控えと見られていたが、ペペの負傷や「あの」長期に渡る出場停止処分などがありスターティングメンバーに名を連ねることもあった。

メスタージャでのバレンシア戦で初ゴールをあげるがペペの壁は高く、また2011年6月には当時マドリーのアドバイザーだったジダンの進言により「全盛期の」ヴァランがやって来たのも重なり7月にベンフィカへと移籍している。

マドリー時代のガライは可もなく不可もなかった為、無難な選手だった気がする。
大きなミスが無くある程度の安定しているが地味。

故に記憶にほとんど残っていない。
そんな選手だ。

今になって当時を振り返ると逆に、わざわざヴァランを獲らなくてもよかったのかもしれないが、それは晩年のヴァランに安定感が無かったのを観ているから言えるのだ。

なにせ2011年のモウリーニョ政権2年目にやって来たラファエルは『全盛期』だったのだから。
けっきょくヴァランのことを述べる為の「噛ませ犬」みたいな存在になってしまっているガライ。

マドリディスタの心を掴むには与えられた時間が少なかったのが悔やまれる。

THE Walter

★第4位
サムエル

アルゼンチンの『サンタフェ』生まれ。

04-05シーズンにローマからやって来た、当時バレンシアに所属していたアジャラが欲しかったマドリーにとって待望のCBだった。

はずだった。  

02-03シーズン優勝後に、放出されたイエロ以降、マドリーはエルゲラを筆頭にパボン、不正賭博容疑の主犯格、メヒアなどのカンテラーノで守りを固める方針を貫いていた。

ミリタオやアラバ、リュディガーなどを積極的に補強している現代からするとあり得ない方針だ。
いや…当時としてもこれで大丈夫かと半信半疑な目では見ていた。

その不安定極まりない、聖イケル大活躍(遠い目)なディフェンスラインに安定をもたらすと期待されたのがサムエルである。

結果としては、元デンマーク代表の自称トミーがやってくるまで、中盤から先は攻撃へ全振りしており、CBの能力だけでは賄いきれないほどに水漏れしていた。

そんなブラック企業に嫌気を差すのは自明の理で、サムエルは1シーズンの在籍のみでインテルへと移籍した。

ユベントスが審判操作による不正で降格したためにカンナバーロがやって来るのが06-07シーズンだったことを想えば、2シーズン残っていれば彼とコンビを組む可能性もあった。

彼もまた、マドリディスタのハートを掴むには期間が短すぎた。
 

金髪の地平線

★第3位
エインセ

ペペと同時期に強い方のユナイテッドからやって来た『穴』。

ちなみに、98-99シーズンの1年だけバジャドリーに在籍していたが、5試合のみの出場で2得点しかあげられなかった「あんまり巧くない日本人」は次のシーズンに加入したので被っていない。
この日本人には現バジャドリー会長、かつ『バロンドーラー』ベンゼマのアイドルである大五郎の方のロナウドから是非とも出禁及びバジャドリーの話をするなと通達してほしいものだ。

ディフェンスに関してはスライディングで潰しに行くタイプ。
タイミングさえ合えば素晴らしいのだが、ミスってピンチを招くことが度々ありブチ切れていた記憶しかない。

カンナバーロとペペの活躍もあり、正直なところ前年に退団したロベルト・カルロスの穴埋めはマルセロだけでは不十分と、ペレスじゃない時期の会長が思ったから補強されたのだろう。

移籍金は800万ポンドだった。
ちなみにPSG時代はポチェッティーノとCBコンビを組んで、01-02シーズンのリーグアン最小24失点に抑えたこともあったらしい。

サムエル同様、思ってたほど安定感は無かった選手である。
もしかするとマドリーという土壌はアルゼンチン人DFには合わないのかもしれない。

レドンドになり損ねた男

★第2位
ガゴ

かつてマドリーの中盤でエレガントにパスを供給していたレドンド。
彼と同じくボカで育ち、そして女子ウケする顔立ちだったガゴ。
06-07シーズン冬の移籍市場で獲得した他2名のマルセロ、イグアインよりもダントツで期待値が高かったのが、このアルゼンチン人センターハーフである。

相手からボールを奪う能力が高く、足を出して簡単にボールを奪ったり、絶妙なタイミングでスライディングから攻守を切り替えることが出来た。
ミドルレンジのパスや中盤の底からサイドチェンジを行うパスも得意で素晴らしい演出家だった。
マドリー時代はあまり魅せることがなかったがスルーパスの精度もなかなかのものだ。

当時はマドリーの中盤が混迷を極め、かつ人員過多なところもあり、本来の能力を発揮しきれていないなと感じることも多々あった。

監督人事が安定せず、エメルソン、マアマドゥ・ディアラ、ラス、スナイデル、"ラフィー"ファン・デル・ファールト、グラネロ、デラレーなどのメンバーと毎シーズン出場機会を奪い合うような状態だった。
挙げ句に、グティが下がることもあった。

2010年にモウリーニョが監督に就任すると出場機会が激減。
また怪我に苦しみ、シャビ・アロンソやケディラの間に割って入ることが出来なかった。

翌シーズンにローマへ期限付き移籍となるが、マドリーに戻ること無くバレンシアへと移籍した。

入団当初から期待値が高く、マドリディスタの要望に応えきれなかった印象が強いガゴ。

個人的にも期待していた選手だけに、輝ききれずにいることにモヤモヤしていたものだ。

マドリー退団後も怪我との戦いが多かったガゴ。今は指導者への道へと歩みだしている。 

coneja

第1位
★サビオラ

クライファートとともにバルサ暗黒時代を謳歌したサビオラ。
同郷の天才リケルメがチームに馴染みきれなかったこともありチームは低迷。
後にエトーやラーションが加入し出場機会激減。
モナコやセビージャへレンタル移籍させられることとなる。
05-06シーズンのセビージャ初のUEFAカップ獲得に貢献した。

07-08シーズンにやってきたサビオラ。
バからの禁断の移籍だが、なんと移籍金はゼロである。
マドリー自体はリーガ連覇を達成するが負傷もあり、ほとんど試合に出場することはなかった。

バジャドリー戦でのゴール以外記憶に無い。

2009年6月にベンフィカへ移籍。アイマールとのコンビで活躍した。

ちなみに、最もバルセロニスタから愛された選手の1人らしい。

禁断の移籍というインパクト以上のマドリーにおける活躍が無かったサビオラ。
彼以外に1位が居たら、コメントください。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆P.S.
近年稀にみるアルゼンチン絡みのしくじりは、間違いなくカタールとFIFAだと確信している。


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