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なんてつまんねえんだ、大相撲

 同じ敷地内の別棟に住んでいた祖父母は大相撲が大好きで、場所中の夕方にはいつもテレビがつけっぱなしになっていたものだ。「門前の小僧、習わぬ経を読む」で、高見山や魁傑といった力士のことを記憶している。そういえば亡くなった義父も大相撲が大好きだったものである。
 
 おとなになってからは、若貴ブームで世間が沸いていた頃はともかく、熱心にフォローすることはやらなくなった。還暦を迎えたいまも、平日は会社にいるので「熱心にテレビ桟敷」ということもない。
 
 それでも昨日のひどさにはビックリ仰天させられて、行く末が心配になってしまった。
 
 新大関の豊昇龍は千秋楽にやっと勝ち越して、「なにより勝ち越しかたったので、よかったです」とコメントした。NHK解説の舞の海さんがさっそくの苦言である。「またこんなことを言うと叩かれるかもしれませんけど、やっぱり大関が『勝ち越してほっとした』とか、あまりそういうのを聞きたくないですよね」。そのとおり。「大関として情けないです。来場所はこんなことがないようにします」と言えないのか。
 
 優勝決定戦は今場所を大いに沸かせた熱海富士とカド番大関貴景勝。11勝4敗同士のというレベルの低さだ。「実力が拮抗している」というより「どんぐりの背比べというべきか。そしてあのはたき込みである。初土俵からわずか18場所のニューヒーローに大関が取る相撲がこれか。盛り上がった土俵をぶち壊したね。

 けさの新聞報道によれば佐渡ヶ嶽審判部長は「(決定戦で)ああいうのは見たくなかった」と言ったという。舞の海さんは「勝つにしても、立ち会いでひとつ、当たって欲しかったでけどね」「相手は平幕、若手ですからね。受け止めてほしかったですね」「貴景勝の気持ちもわかるのですけどね。どんな内容でも勝って責任を果たさなければならない、という気持ちも」とつなぐのがやっとだった。
 
 「勝ちさえすればいい」のであれば、それはプロレスなどの格闘技と同じ。「国技」を名乗るのであれば、そこには仮託すべき意地や美学があるべきではないのか。
 
 もし来場所で貴景勝が優勝したら横綱になることを認めるのか?わずか11勝、しかもあの勝ち方で優勝した今場所もちゃんとカウントされるのだろうか。

 とにかく土俵に華がない。ワクワクさせてくれるスターが不在なうえにこんなテイタラクでは見る気がしない。「伝統」に胡坐をかいて継続するだけでいいのだろうか。
(23/9/25)

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