名前は「はるか」と読みます。 美術家。 制作においてのメモ的なもの。

名前は「はるか」と読みます。 美術家。 制作においてのメモ的なもの。

最近の記事

ストレスとの向き合い方

別に心配して欲しいとか、気遣ってもらいたいとかではなく、単純に「人の心身は興味深いね」という体験談として。 私は十年以上前にストレスから、パニックに陥り心身で不調になってしまった。 半年くらいは外出するのが一苦労だったし、病院へ行くという判断もできないままにもとに戻るのに一年ちょいはかかった。そしてそれは昨年にも起こってしまった。 兎に角しんどいのは、なにかとパニックを起こすメンタルの不安定さ、背中の痛みと呼吸の浅さゆえの始終の息苦しさという身体症状。なので常に疲れてる

    • オクシモロン

      今回の個展タイトル「キレイとキタナイ」は “ Fair is Foul, and Foul is Fair ” 「 きれいは 穢 い、 穢 いはきれい」 (『マクベス』新潮文庫 ウィリアム・シェイクスピア/著 福田恆存/訳) 「マクベス」に出てくる魔女のセリフからとったもの。 これは相反する言葉が並ぶオクシモロン、撞着語法、矛盾語法と呼ばれるもの。 私自身の思考癖がまさにこれで、子供のころから私の頭はまるで合わせ鏡のようだと思っていた。 相反するはずのものが当たり前

      • 手法(刺繍)

        さて「刺繍」について。 これも切り絵同様に美術、アート評価において険しい技法ですね。 こういったことについては奈良女子の山崎明子先生が本にしてくださっているので、詳しく知りたい場合は一読をおすすめいたします。 「現代手芸考 ものづくりの意味を問い直す」←まずはこれが読みやすいかと。 「近代日本の「手芸」とジェンダー」 「「ものづくり」ジェンダー格差:フェミナイズされた手仕事の言説をめぐって」←こちらは未読。。。 山崎先生の研究室へお邪魔したことがあり、資料を見せて

        • 手法(切り絵)

          切り絵も、糸を使う今のスタイルもアートとしての評価は難しいでしょうね(私の肌感覚) とはいえ、これに関しては悲観しているわけではない。 そもそも私の作品の力不足もあるので自作品で評価を変えていく道は険しい自覚もある(頑張るけど) そして、私自身手法で評価されたい願望はほぼ無い。 作品、で頑張りたい。 そこに手法の評価が付随されれば良いなと思っています。 ただ、これらの手法を使う以上はそれなりに気にしてはいるので、切り絵も刺繍も認知度も評価も低いなぁ、とはとても思う(私

        ストレスとの向き合い方

          私と切り絵

          そもそも私は切り絵で制作をスタートさせた。 そしてギャラリーで扱ってもらうようになることで、見てくれる人が変わったな、と実感した。 掛けてくださる言葉が「凄いね」だけではなくなったのですね。 結構言われたのが「切り絵はやめとけ」でした。 細かさを競う超絶技巧がクローズアップされやすいことと、当時の主なモチーフである花と骨の組み合わせも要因だったのでしょう。 私自身も、一枚紙の切り絵は画面越しや印刷されたときに線画と変わらなくなってしまうことへの不満から 切り絵である

          私と切り絵

          「わからない」ということ

          現在、語学勉強をしている。 無謀にも独学でフランス語、である。 なんでそうなったのかの話は置いといて、アルファベットの発音からという、本当に本当に自分の中に何にもないゼロからのお勉強を、しかも独学。 なにから手を付ければ????だが、取り敢えずフランス語学校の王様アテネ・フランセの「ゼロからスタートフランス語 文法編」の購入。 NHKラジオ講座。 フランス語学習アプリで日々5分学習から始めた。 アテネ・フランセのテキストはページをめくるも内容は良く出来ているのだろうがさ

          「わからない」ということ

          「共感」とは幻想であり願望なのではないか?

          同じ言語で言葉を交わしても、発信者の真意を理解し、共感出来るかは難しくて。 いつだって曖昧なままの共感で生活している(私は)。 「あなたに伝わってますか?」という不安。 「私はあなたを理解できてるの?」という不安。 不安を誤魔化す為の「曖昧」という着地地点。 恋人同士のセックスにおいてでも「触れたい」という思いは同じでも、それが性別の違うもの同士であれば尚更体感は違う。満たされる心も違う。 同じ映画を見て同じように笑ったり泣いたりしていても、本当に同じなのかな?とつい

          「共感」とは幻想であり願望なのではないか?

          一つの作品を作る前の儀式について

          作品制作に取り掛かる時の流れは毎回決まっている。 もうそれは「儀式」のようなものだと思っている。 なんだろこの儀式はと思いつつこなしているのでメモ書きの様に残しておこう。 住居の簡単な掃除。 一つの作品が終わる、終わりに近づき次の作品を視野に入れ始めると掃除をしたくなる。 制作中、掃除が疎かになっているからその始末なのかもしれないけど。 メンタルとしてはどろりとしたものを欲するようになる。 「どろり」というのは人のエゴだとかのネガティブなものたち。 私はそれを舞台や本から

          一つの作品を作る前の儀式について