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手法(刺繍)

さて「刺繍」について。

これも切り絵同様に美術、アート評価において険しい技法ですね。

こういったことについては奈良女子の山崎明子先生が本にしてくださっているので、詳しく知りたい場合は一読をおすすめいたします。

「現代手芸考 ものづくりの意味を問い直す」←まずはこれが読みやすいかと。

「近代日本の「手芸」とジェンダー」

「「ものづくり」ジェンダー格差:フェミナイズされた手仕事の言説をめぐって」←こちらは未読。。。

山崎先生の研究室へお邪魔したことがあり、資料を見せてもらいつつお話しするお時間をいただけたのは私には重要なものだったなと思います。が、活かしきれていない現実。

何故活かしきれていないのかというと、切り絵同様に私が「アートのおいて刺繍の地位を!」という野心がないこと。そしてジェンダー問題に疲れ果てて諦めている自分がいること。

言い訳になるでしょうが、「ジェンダー問題に捕らわれすぎると、私にとっての本質を失う」ということもあってジェンダー問題に結びつきやすい「刺繍」「手芸」は私にはキャパオーバー。

そして、私の視野では縫う手法作品はアート業界において抽象というのか、ランダムに縫われたものは見かけることも多いし評価対象になっているイメージ。

具体的なモチーフで刺繍技法を使ったものにはあんまり出会うことがないです。

具体的なモチーフで針跡のわかる(ステッチが明確な刺繍技法)ことをすると、とたんに「手芸」とされることについては私自身とてもすごくモヤモヤしております。

具体的モチーフではそれこそ社会問題がテーマになってないとダメそう、、、いや、それがアートなのかもですけども。

以上、「刺繍」をアートの土俵で語るには私の知識不足と、今まで散々逃げてきているのでこの辺でやめておきます。

逃げた先として、私にとっての「刺繍」を語ります。
前書き長かったな。

書き始めて早々になんですが、正確にいうと私のは刺繍ではないです。なので私のしていることを「刺繍」と言ってしまうのは、刺繍をされている方々に失礼になるのではないかと思っております。
私の技術力と理由であれを「刺繍」といっていいのか本気で悩むのです。

私自身は「縫い作業」と「糸遊び」のほうがしっくりくるなと思っています。

とはいえ、便宜上「刺繍」と表現することが多いです。
刺繍という言葉に乗っていうと、私がしているのはサテンステッチと呼ばれる刺繍技法です。

このサテンステッチは線(糸)をひたすら重ねることで面となり、切り絵の「面から線へ」と相反するものです。

「線から面へ」「面から線へ」は次回に書きますが、こういったことが「糸」を使う理由の一つです。

そもそも針を持って縫うをしたのは、ものを作る工程に「繋ぐ」行為が欲しかったから。
そして、私にとって糸は相性の良い素材だったようです。
「縫う」という工程も自分の思考癖に非常に似ていて、作ること=考えることと捉えている自分に合致しているのです。

自分の思考を目に見える形に出来る、ということで針を使い糸で形作っています。

多分そういった意味でなら、NUI PROJECTでの作品や、ランダムに縫うスタイルのアーティストさんと似ているのかもしれません。
※NUI PROJECTは別分野と考えるべきなのかもしれませんが、ここから発表される作品たちに私は共感に近いといえる刺さるものがある。

けれど私は無から何かを始められるタイプではないことからランダムに縫うことは出来ませんでした。
私が何かを作るにはモチーフ(考える種)が必要だったのです。

モチーフは「美しいもの」「人の作ったものが好き」という理由から花卉を選びました。
※花卉については個展「キレイとキタナイ」ステートメントをお読みください。https://www.instagram.com/p/CuAs_6pyop2/?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==

そんなわけで、私は己の思考癖の視覚化としての縫いと糸であるので「刺繍」よりも「糸」でジャンル分けされる方が合っている気がしていますが、このジャンル分けは第三者に任せます。

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