水道管は割れるもの

モザンビークの首都マプトに生活するようになって4年目に入った。昨年は10か月間コロナ禍のため家族の元へ退避していたので、ここの生活もまだ2年半ほどだが、毎朝の徒歩通勤中しばしば歩行ルートが水のために遮られてしまうことがある。原因は概ね二通りで下水か上水。下水の方は雨の多い雨季に困らされることが多いが、雨の少ない今の季節はほぼ上水の問題だ。

旧植民地の中心都市というのは中々にインフラが整備されていたようで、市の中心部限定ではあるものの排水網が張り巡らされている。歴史が長いもので、メンテナンスしないと詰まって仕方がない。特に独立後(1975年)は内戦もあったし、そうでなくとも経済状態もよろしくなくほとんど掃除などされず。いかに突然の豪雨にも備えた排水溝といえどカッチンコッチンに汚泥やらゴミやらが固めてしまっていて、その機能を果たしてくれない。オープン・ドレインでなく暗渠であることや、当国の人々はところかまわずというか道路脇の排水用の溝をゴミ捨て場と認識しているという環境教育の行き渡らなさなどが拍車をかける。私の居処から職場にかけてのいわゆるダウンタウン地区はその昔はとても美しい街だったそうなのだが。

下水のみならず上水の方も、十分に発展した国で育った私からするととても意外だ。水道管が破裂するなんてのはとても寒かった昔に耳にしたぐらいで、街を歩いていてどこからともなくしかし大量の水が溢れ出てくるなどという光景にはついぞ出くわしたことがなかった。ここに来てからも水が溢れていると下水の溝が詰まっているのだろうと思っていた。

水道管というものはいずれ割れてしまうものなのだ。

安定した長期雇用の限られた当国のこと、ダウンタウン地区の商売の一つに洗車がある。駐車誘導と保全業務も兼ねているのだが、水は不可欠な商売道具。街は暗渠でドブ川などもなく、水道からとって来なければならない。しかし心配するなかれ、取水ポイントは結構いくらでもあるのである。

じわじわと非常によい具合に漏れ溜まっているところはよいのだが、管の割れ方といったって一様であるはずもなく、滝のようにじゃあじゃあ漏れ出しているところにもちょくちょく出くわす。ビルの2階や3階辺りからのものは文字通りの滝である。さすがにこの手のものは一両日中には対処されるのであるが完治とはいかない模様で、同じところで何度も起こる。最初の内は上水だしもったいないなぁと思っていたが、慣れというのは怖いもので、今では自身の行く手を阻む障害物として敵視するのみになってしまった。

今朝は家を出て間もなくにある運転免許試験場隣の空き地。ここも中々完治しない。

今回もあまりの水量と地形のせいか、わりと広い歩道なのにほとんど避けようがない。別に踏んだって大したことはないのだが、革靴で入って行くのはイヤだ。しかしこのような場合でも諦めるのは早い。誰が処置するのか、ここぞというポイントに飛び石が置かれているのが常。本日もやや不安定ながら三つの飛び石を踏み、靴を濡らすこともなく無事登庁することができたのであった。

貧乏な国なんだしやっぱり水ダダ漏らしはもったいないよ。。。

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