微細な動きが察知できると

残酷な現実が見えてくる。

しかし、それは必ずしも悪いことばかりではないのだ。

いや、むしろ、できる限り誠実に向き合うべきなのだ。「ない」ものとして自分自身をだまくらかすよりも。

第一に、無邪気であるか悪意であるかの判別ができる。

同じ残酷さであっても、両者の間には雲泥の差がある。

第二に、安易な二項対立による結論付けを避け、しばらく留保する寛容さと忍耐力が備わる。

つまり、無邪気な残酷さは許せても、悪意のそれは許すまじ、というような一見明瞭な人生訓を排することができる。

残酷さはいかようにしてでも減らした方がいい。

ならば、無邪気である者にはそれに応じた対応が、悪意の者にはそれに応じた対応が求められるわけである。

この一見して困難に見えるブレーキのレバーを握っているものは、自分自身をおいて他にはどこを探しても存在しない。

微細な動きを察知する、とは、まずは自分自身のことなのである。

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