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暑中見舞いと私の現状

皆様ご無沙汰しております。

2ヶ月半ほど、お暇を頂いておりました。

…頂いておりました。
いいえ、もう少しゆっくりするかもしれませんが。

この2ヶ月半ほど、色々とありました。

何があったのか、具体的に言いますと
まず最後の投稿の少し後、6月の頭
酷い腹痛に襲われ1週間ほどダウンしていました。

実は今年の3月末より、毎月月末月初酷い腹痛に襲われ、苦しんでいました。
そして6月頭、気を失いそうなほどの腹痛に襲われ、出勤時駅のトイレに倒れ込むようにこもったことがありました。

汚い話、出る時と出ない時の差が激しく、特に苦しいのは出ないのに出そうで、出そうとするとお腹から下、下半身全てが気が狂いそうなほどの激痛が走り、そんな苦しみに1日に何度も襲われていました。

今まで2つの病院にかかり、原因は不明。
新たに行った病院でもやはり原因不明。
但し少し落ち着いたことが。
エコーを撮ったところ腎臓から石が消えていた!
そう、実は私、生まれ持っての体質上、異常にカルシウムを体に溜め込みやすく、汗が出にくい体質なのです。
その加減で9歳の時に腎臓結石を患いました。
もちろん当時は震動波手術で砕いて自然摘出したのですが、その2年後ぐらいにまた石が出来てきました。
幼少期よりそんな体質だったため、てっきり今も石があると思っていたのですが、なんと石が無かったのです!

この腹痛、因果関係は分かりませんが、この腎臓結石も1つの原因かもしれないと睨んでいた私にとっては、石がないということはとてもありがたいことで、腹痛はありましたが少し落ち着きました。

そして6月後半。
実は私、高校野球に携わる職業に就いています。
それも記者などではなく、がっつり現場での作業をせっせとこなすような業務。
そんな私は6月後半からはとても忙しい日々を送ることになりました。
しかしそんな私の生活は充実しており、大好きな高校野球がもうすぐ始まるぞ!と、ニコニコと一生懸命働いていました。

そんな私に悲劇が起こりました。

右足腓骨骨折及び靭帯損傷

怪我をしました。

仕事中、自転車で移動していた時、雨上がりのアスファルトに生える草にタイヤを奪われ、坂道でスリップたのです。

自転車から体は飛び出し、ポケットに入っているスマホも地面に叩きつけられ、私の右足は自転車の下敷きとなっていました。

横転した瞬間、痛みよりまず何が起こったのか分かりませんでした。
とにかく自転車を起こそうと立ち上がり、自転車を起こして跨りました。
自転車はこげる。
足も手も頭もやっていない。
自分自身に安心感が戻り、少し自転車をこいで会社に戻りました。
しかし自転車を降りた瞬間、酷い激痛が右膝から下にかけて走り、痛みで声が出てしまいました。
膝と足首の痛みは全く別物。
歩こうとしても、右足を地面につけると激痛が走ります。
膝の痛みは強烈ですがジンジンして、耐えられる程度でした。
しかし足首の痛み、これが酷かった。
とにかく百均で買った傘を杖代わりに、びっこを引きながら事務所に戻り、先輩社員に事の顛末を話しました。
元々大学病院の事務に就いていた先輩は、応急処置をテキパキと施し、直ぐに上司へ連絡を入れてくれました。
私は即座に最寄りの整形外科を探し、電話を入れましたが如何せんこの時の時間は夜の7時半。
病院も閉まる時間帯です。
何とか電話は着いたものの、既に先生は帰宅しており、救急病院の電話番号を教えて頂きました。
直ぐに連絡を入れ、職場からは離れているものの、私の自宅から比較的近い病院へ手配が整い、母に連絡を入れて迎えに来てもらい、そのまま病院へ向かうことに。
時間外外来ということで、9時頃に着いた夜の病院で2時間ほど待ち、やっとレントゲンを撮ることになりました。
その後夜間診察を行ったところ、7cm骨折しており、そのうち2cm程はあまり良くない折れ方、そして靭帯を損傷していました。

全治2ヶ月

それが私の安静期間となりました。

絶望しました。
今が一番職場にとって大切時期であるにも関わらず、大変な怪我をしてしまったこと。
何より今まで頑張ってきた高校球児のみなさんに申し訳が立たないこと。

膝下までギプスで固定。
松葉杖生活。

私は今回の骨折が初めてではありません。
手足含め系4回は骨折しています。
他にも診断を受けていないものを含めると、恐らく8回ほどは骨折しているでしょう。

しかしここまでの絶望を味わったのは初めてでした。

そこから私は在宅勤務を初め、事務作業をこなしつつ、足の回復に専念しました。
そんな私に今回の経験を機に、会社からTwitterアカウントを託されました。
この在宅期間中、高校野球の実況と結果報告をして欲しい。

今夏より、全国の高校野球選手権大会がインターネット配信で視聴することが可能となっており、私はこの配信を見ながら徹底的に頑張ろうと心がけました。

無論、成果と呼べる程の成果は出せていません。
しかし足の痛みを堪えつつ綴った、140文字の球児に伝えたい思いは、ほんの少しだけ、いつも広報が担当するTwitterの更新よりも、良い反響を頂きました。

これを怪我の功名とは呼べなくとも、私はなんだってこれを怪我の功名と呼び、自分を慰めてやろうと思っています。

今ギプス生活も大体半分を越え、後もう半分を必死にもがきながら生きていかねばなりません。

辛く苦しいことばかりが続く人生の中にも、何か小さな、米粒よりも小さな光を見つけたく、生きていくことが何よりも人生との闘いにおいて大切なことなのではないかと、時々思います。

今とまだ痛みは続きます。
朔日ギプスを替え、小さくなったことで骨が圧迫されて痛みが増し、ふくらはぎも鬱血して、酷くなれば明日にでもまた病院に行こうかと思っています。

痛みが酷いと文字を書くことはおろか、読むこともしたく無くなります。
この痛みは身体的な痛みと言うよりも、心の痛みを指します。

それでも明日はやってくる。
少し前をむこうと思い、久しぶりに更新してみました。

まだ完成間近の作品が1つ、長編が1つ、手探りが1つ
など、怪我の前に考えているものがいくつかあります。

私が私でいられる理由。
きっとこの生活もそのひとつで、新しい1歩なのでしょう。




さぁ、甲子園を盛り上げようじゃないですか!
私の推し高校の話、していなかったですよね。
智辯和歌山高校と言って、とても有名な学校なんですけどね、べつに和歌山に住んでいるわけではないのですが、とてもとてと大好きなのです。
 
このお話をするには少し私の容量が足りませんので、またいつか、気の向いた時にでもこのお話の続きを綴ろうと思います。

頑張ろう、日本!

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