10.風通しの良い密室

それは私にとって教室でした。窓を全開にして風が通り抜ける。でもそこには同時に透明な膜が張っていて息苦しい閉鎖的な空間でした。風は通るのにまるで酸素だけが薄い。そんな雰囲気を持った場所。

勉強の成績や運動能力においては多様性を大いに認める。だが、考え方には"学生らしさ"を刷り込ませようとする。平坦であることが求められる。出る杭は打たれるなんていいますが、打たれていればどれだけよかったでしょう。出た杭は無関心に無視されます。打たれていればまた出ればいいだけのこと出たままの杭はそのまま野ざらしに錆落ちるだけです。
私は特段そのなかでも"変人"だと言われていました。

いじめがあったわけではありません。そういった早とちりが災いの種だということも心得ているつもりです。ただ自分には他人と変わった部分があるのだという自覚が少しだけ悩みの種になってしまっただけのことです。
変わったヤツだと思われた人間の思う事を考えたことがあるでしょうか。

自分のどこがいけないんだ。どこを間違えた。なぜみんなと違うんだ。
"変わった"ことは自然と"いけないこと"に置き換わっていきました。当時の私は周りに合わせること、演じること、ピエロであることに徹するのでした。それは『人間失格』を読む前の出来事です。後に彼に強く共感したことはいうまでもありません。変人にいいイメージなど当時の私にはありませんでした。周りの生徒だけならまだしも先生にまで言われると強くそれを自覚する。それは呪いのように私を蝕んでいきました。

教室では色んな仮面を被った生徒が演劇に興じている。仮面を外したものから舞台を降りていく。そんな世界でいて何が面白いのか。
無邪気を素に表せるものほど幸せだ。そのなかに混じっている無邪気を演じているモノもいることを忘れてはいけない。
息苦しいそこを出る為だけに酸素を求めた魚類の如く勉強を死に物狂いでしました。そうして、得た次のステージでもおおよそは同じ結果でした。
変人はどこに行っても変人でした。しかし、そこで得た教訓は"変わったことはいけないことではない"ということ。当たり前な単純な事を肯定できるようになりました。変人は変人なりに生きていくしか道はない。他に合わせるよりはそれを肯定した方がいくらかマシなのです。
もしAIが人間を目指すなら私は究極のAIになればいいというはずです。

貴方がもし息苦しいのならば少しだけ顎を下げてみてください。
ネクタイの絞めすぎや縮んだセーターなんかが少し邪魔をしているだけだってことに気づくと思います。

それでももし辛いのなら私に言ってください。
年長者の言うことは万能薬にはならなくても、頭痛薬程度にはなり得るでしょうから。

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