13.無知は馬鹿だが恥ではない

自分がいれば他人がいるのも世の常である。おそらく他人がいなければ自分も存在していない。残念ながらそんな単純な事を理解していない人間は多い。

表題の件。特に人と関わると必ずと言っていい程感じること。

とある無知な人間がいました。彼は自分以外の"普通"を知らない人間でした。それは容姿であれ内面であれ変わらずでした。
「キモイ」「ウザい」「死ね」「最悪」が口癖でした。
とある時なにかの拍子で機嫌を損ねたのか咄嗟に「死ねっ」と口走りました。私の大切な人はその少し前に亡くなったばかりだったので酷く彼を軽蔑しました。彼が家に帰るのを見届けると幸せそうに笑い合う彼の両親や兄弟が見えました。私の感想は「よくもまぁあんな化物を世に放っておいて笑えるな」というだけでした。

彼にはそれが普通でただ無知で馬鹿だっただけなのだと思います。しかし、そういった人の影響で傷付くのは周りの人間。恥を感じずにこれからもずっと幸せそうに生きていくのです。そう思うたびに私はこうはなりたくないなと思うのです。
人に傷つけられようとも自らが誰かを周囲に嫌な思いを振りまきながら生きていくのだけは耐えられない。そんな恥をさらしながら生きていけはしないなと。いつであれどんな時であれ気遣いや周囲を無視した言動を行うような人間のふりだけした化物にはなりたくありません。

私の場合、これが友人だった時も耐えられないので教えるようにしています。弱者を軽蔑したり、人の背景を無視した心無い言動をした際には「じゃあ君の子どもがそうだったとして同じことを言えるのかい?」
身内に言えないようなことを平気で他人にぶちまける、そんな輩が跋扈しているという現実を知ったときのショックは計り知れません。ですがそれも現実。それに耐えてこその現実だと言われた日にはもっとショックだったことでしょう。綺麗ごとだという人もいるでしょうが、綺麗ごとを求めなくなった世の中のどこに面白いものがありましょうか。

無知は知らぬ間に誰かを傷つけている。
私は無知なりに考えながら生きていくことを選択する。
誰かを傷つけた上での刹那的な幸せなどいらないのだから。
それでも貴方が無知で馬鹿で恥を知らない人間になったのなら、その時手を差し伸べられる人間でありたい。

辛い顔をするよりは前に進むための建設的な相談を。
なんだか講釈じみた文になってしまったが明るさとポジティブさとその裏側までを考えることのできる人間でありたいなという私の、私だけの教科書とでもいっておきましょうか。
最後に断言する。「無知は馬鹿で恥である」恥でないと思って生きていくような人間にだけはなりたくないと。

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