初めての死

平成13年春〜

あの年は桜の開花が遅く、4月の初旬にも満開の桜があちらこちらで人々を喜ばせていたな。

じいちゃんが、転倒により大腿骨を骨折し、手術のために入院した。

80を越えた齢で外科手術とは、、、かわいそうに。

じいちゃん、頑張って早く帰ってくるんだぞ。


俺はそのぐらい軽い気持ちでじいちゃんを見送ったっけ。


当時の俺は、どうしようもないガキだった。

どデカいリーゼントに革パンと革ジャン。
ロックンロールに没頭して原宿や山下公園でツイストを踊るような、所謂“不良”というやつだった。

犯罪こそは手を染めることはなかったが、チーム同士のケンカに明け暮れ、タバコと酒で身体を苛め、女のケツを追い回すことしかすることがなかった。

〜〜〜〜〜

高校を出て、大学受験に失敗。
俺は実家に住みつつ碌に勉強もせず、予備校に通うと家を出てはパチンコ屋に入り浸る最悪な浪人生活を送っていた。

興味があるのはパチンコとパチスロと麻雀と、酒と女とタバコのみ。

自身の内面の弱さを隠すべく、外見のみに気を使い、流行りの服で着飾っていた。


そんなある日、当時人気を博していた某雑誌社の街角モデルとして掲載されたんだ。

“お兄さん、カッコいいのでお写真撮らせてもらってもいいですか?”

写真?雑誌に載るの?別に減るもんじゃねぇし、構わねぇよ。

そのぐらいのテンションで、カメラマンの指示に従って素人のクセに大げさなポーズをキメてみたり、請われてもいないのに中指を突き立て舌を出すような表情を作ってみたり。

要は、舐めていたんだよな。
世の中を、大人を、社会を、完全に舐めきっていた救いようのないガキだった。

中身の無い、すっからかんのクソガキだった。

しかし、この件が俺の人生を大きく変えることになる。

数週間後。

俺のキメたポーズはどんなもんだ?と、コンビニに陳列された件の雑誌を手に取り、街角モデルのコーナーをペラペラと探す。

俺が載っていた。

俺のファッションを、専門家が褒めていた。


その瞬間、俺の脳から全身に何かが流れたんだ。

衝撃的な何かが全身をビリビリと痺れさせたんだ。


俺は恍惚となりながらその雑誌を手に取り、レジへと向かった。


人前に出るって凄ぇ!

スポットを浴びてぇ!

芸能人になりてぇ!


夢をみつけた俺はすぐに動き出した。


翌日から、その雑誌を握り、タウンページの情報を頼りにあちこちの芸能プロダクションに自身を売り込みに行った。

どこもかしこも門前払い。

良くて、各種応募やオーディションへのエントリの案内を受けてお引取り願われたっけ。

当然だわな。

それでも俺は諦めず、都内を中心にあちらこちらの芸能プロダクションを歩いてまわった。


数週間は続けた。
足が棒になるほど歩き続けたっけ。


やっぱりそんな甘ぇわけねぇか。

明日からまたパチンコ屋に入り浸るか、、、

そんな投げやりの思い半分、とある小さな事務所のドアをノックした。

“突然スンマセン!俺を事務所の所属タレントとして…”

言い切る前に「お引取りください」と事務員に促されるまま、ため息をつきながら踵を返そうとしたその刹那、奥から太い声が俺を呼び止めた。


“おい小僧、コーヒーでも飲んでいけ”


俺をロックンロールバンドでメジャーデビューさせてくれた社長との出会いだった。

捨てる神あれば拾う神ありとはまさにこのこと。

俺は努力を重ね、あらゆる課されたレッスンに真剣に取り組み、デビューを果たした。

初めての仕事はテレビコマーシャル。

某食品会社のメインキャラをつとめる大きな仕事だった。

「笑っていいとも」放送中のCMに流されたほどの大きな食品会社だった。

ギャラは4万。

そのギャラで、俺は社長に鰻をごちそうした。

嬉しかった。

舞い上がった。


その後、デビューを控えたロックンロールバンドのベーシストとして加入し、某大手レコード会社からメジャーデビューを果たした。

シングル4枚、アルバム2枚。

全国ツアー2回、単独ライヴは毎月やった。

不動産会社のCMキャラクターにもなった。

ラジオ番組も持てた。


俺たちは舞い上がり、調子に乗った。
調子に乗ったが努力は怠らなかった。

しかし、現実は甘くなかった。
特異なビジュアルだけが特色の俺たちのバンドにはそもそも音楽性という概念がなかった。

ロックンロールはスリーコードが基本となり、似通った楽曲しか生み出すことができなかった。

皮肉なことに、演奏のスキルが上昇するにつけ、人気は徐々に下がっていった。

CDの売上は全く伸びず、ライヴ会場の客も疎らになっていった。


それでも俺たちは前進をやめなかった。

売れたかった。必死だった。

CDやチケットを手売りし、バンドのメンバー全員がアルバイトを掛け持ちし、練習スタジオの費用を捻出し続け、研鑽に明け暮れた。

チャンスを虎視眈々と待った。


飢えていた。
脚光に飢えていた。

売れたかった。富を得たかった。女にモテたかった。


しかし、そんな活動に突如終止符が打たれることになる。

ドラム担当のメンバーが、脱退を申し出たのだ。

ヤツの付き合っていた女のお腹に新しい生命が宿ったのだ。

ドラマーはスティックを置き、安定した収入を得るために俺たちの元を去る選択をした。


ドラムはバンドの屋台骨。

ヤツの刻む乾いたスネアを同じように叩けるやつはいなかった。


数ヶ月後、俺たちは解散することになった。
事務所の所属を外れた。
俺は25歳になっていた。

進学を投げ出し、夢を追い、散った。

25歳で学歴も職歴もない俺を受け容れてくれるほど、社会は甘くなかった。

俺は再びどうしようもないガキに成り下がっていた。

トレードマークのリーゼントをポマードで固め、悪い連中とつるみ、原宿や山下公園でツイストを踊っていた。

日銭をバイトで稼ぎ、乱暴な食生活にタバコと深酒で彩りを加えた。

〜~~~~

“母ちゃん、じいちゃんの手術はいつになった?”

「うん、それがなかなか決まらなくてね……」

「それよりアンタ!毎日ダラダラしてないで早く仕事みつけて出ていきなさい!」


うるさくて強気な母親。

しかし、話題がじいちゃんのことになると表情が曇る。

俺はその違和感を気のせいにして、たまにじいちゃんの見舞いに行っては、

“とっとと手術終わらせて、早く家に帰ろうぜ”

と、軽口を叩いていたんだよな。



平成13年4月12日


バイトの休憩中、俺は昼メシを食うためにコンビニにいた。

おにぎりを物色していたときにポケットの携帯電話が震える。

ディスプレイに浮かぶ【母ちゃん】の文字。


何故か嫌な予感がした。

すぐに着信に応じたところ、

「おじいちゃんが危篤!!すぐに病院に向かって!!!」

一方的に通話は遮断され、俺はコンビニのレジ前で呆然となった。

ハァ?なに言ってんだ母ちゃん。
じいちゃんがキトク??キトクってどういうことだ??

訳が分からないまま、俺はバイト先に連絡をいれ、最寄り駅まで走った。


電車に飛び乗り、何故か貧乏ゆすりが止まらなかった。

じいちゃんの入院先に一番近い駅に到着し、タクシーを探す。

居ない。

タクシー乗り場を探す。

そこには数人がタクシーを待っていた。

俺は咄嗟に走った。

全速力で走った。

タバコと酒でなまった身体が悲鳴を上げた。

肺が燃えるように熱くなり、心臓がデタラメに暴れていた。

滲んだ汗は疲労によるものではなく、嫌な感じの冷たい脂汗だった。


桜並木の長い国道を走り続けた。

遅咲きの牡丹桜が舞い狂い、俺の顔に花びらが容赦なく当たった。

渇ききった口の中に花びらが飛び込む。

湿気を失った俺の口は花びらを吐き出す機能さえ失っていた。


病院に到着。


エレベーターのボタンを乱暴に連打する。


ゆっくり近づいてきやがる。舌打ちをする。


エレベーターに飛び込むと、3階のボタンを連打し、ゆっくり閉まる扉に再び舌打ちをした。

病室に飛び込んだ。

じいちゃんの寝ているベッドを挟むように、ばあちゃんと伯母の姿があった。


「おじいちゃん、死んじゃった」


伯母が俺に語りかけた。


俺はその場に膝から崩れ落ちた。



手術が出来なかった理由。

それは、じいちゃんの全身に拡がった癌のせいだった。

末期の大腸癌だった。

俺は何も知らなかった。

後から到着した母ちゃん、父ちゃん、兄貴。

家族は葬儀の準備に取り掛かった。


俺は、遺体安置所に横たわったじいちゃんを独りにしたくなかった。

じいちゃんの横たわるストレッチャーの傍らにパイプ椅子を置き、泣き続けた。


なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?
じいちゃん、なに死んでんだよ!!起きろよ!

死後硬直が始まったじいちゃんの冷たい手を握る。

握りかえせよ!じいちゃん、生き返れよ!!


顔に掛かった白布を取る。

真っ白な顔で口を開けたじいちゃんは何も喋らなかった。


再びパイプ椅子に座って泣く。

湖のような水たまりが床をびっしょり濡らしていた。
人はこんなに涙が出るものなんだ。


再び俺はじいちゃんを揺らす。
やり方も知らないのに心臓マッサージを施す。


ヤダよじいちゃん!!生き返れよ!!!
フザケんなよマジで!頼むよじいちゃん!
じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん。


四時間が経っていた。


葬儀社の人間が、じいちゃんを家に運んでくれると言っている。


じいちゃんを雑に扱ったらブッ飛ばすからな。


口にこそ出さなかったが、葬儀社の人を含めた世の中の全てに呪詛を唱えた。


家に帰ってきた。


俺はまだ泣いていた。兄貴も泣いていた。母ちゃんもばあちゃんも伯母も泣いていた。親父は泣いていなかった。


夜に坊さんがやってきて、じいちゃんの横で訳の分からないモンクを唱え始めた。

枕経というやつだ。


通夜当日、俺はリーゼントをオールバックに撫でつけ喪服に袖を通した。


湯灌というものがある。

遺体を洗う葬儀社のサービスだ。


風呂が大好きなじいちゃんだった。

俺たちは湯灌をお願いした。

じいちゃんのカラダを洗った。

ドライアイスに冷やされたじいちゃんはとてつもなく冷たかった。

髪も洗った。

髪越しに頭皮の冷たさが伝わってきて、また泣けた。


最後に親父がじいちゃんのカラダを拭いた。

親父の泣く姿を生まれて初めて、見た。



通夜は淡々と進行され、生まれて初めて焼

香というものをした。


俺は坊主の背中と後頭部を見つめ続けた。

何を唱えているのか、意味はサッパリ分かんねーけどよ、坊さん、頼むよ。


じいちゃん、生き返らないのは分かったからさ。
じいちゃん、死んじゃったのは分かったからさ。


せめて、じいちゃんを天国でも極楽でも、とにかくいい場所に送ってやってくれよ。

頼むよ坊さん。

お願いだから坊さん。


せめてじいちゃんを。

頼むよ坊さん。。。


じいちゃんの骨は、小さくて脆かった。

癌はじいちゃんの骨をも侵蝕していやがった。

変色したじいちゃんの骨は乾いた音をたてながら骨壷に収まっていった。


人って死ぬんだな。


死ぬとは聞いていたけど、マジで死ぬんだな。


桜のヤロウ、俺のじいちゃんを連れ去りやがって。

嘲笑うように散り狂いやがって。

チキショウ。俺を舐めやがって。


俺は桜が大嫌いになった。

じいちゃんの一周忌、桜は再び狂ったように舞い散り俺を嘲る。

三回忌、相変わらず桜のクソ野郎は俺を容赦なく嘲笑する。


俺は、じいちゃんの三回忌が終わったあと、当時付き合っていた彼女と結婚の意志を固めた。

彼女の家は寺だった。


跡継ぎの居ない田舎の寺だった。


俺は婿入りし、出家して寺を継ぐことに決めた。


宗教になんて興味すらなかった。
なんなら、心の弱い奴らが集う慰め合いのくだらねぇ連中だ、ぐらいに思っていた。


自慢だったリーゼントを刈り上げ、カミソリをあてた。

ツルツルになった自分の頭を撫でた。


俺が坊さんか。


思わず笑っていた。

出家得度の儀式。

俺は阿闍梨に戒律を与えられ、法名を授かった。


両親に礼拝した。
土下座のような御礼の仕方。

今まで育ててくれてありがとうございます。
私は家を出、これからは仏を父母とします。

こんな意味があると聞いた。

総本山での修行。

俺は彼女に宣言した。

“やるんなら一番になる。必ず一番の坊主になって帰ってくるからさ。待っててくれよ”


根性だけには自信があった。

宗教を舐めくさり、仏のホの字も知らずに修行に入った。

俺はそこで、本当の地獄を知った。

こんなに厳しいのかよ。聞いてねーよ!


まだ真っ暗な時間に、けたたましい梵鐘の音に起こされる。

洗面、うがい、全てに作法があった。

いちいち、作法に従い、経文を唱える。

メシの前後にも当然ある。長い長い作法がある。


ションベンやクソをするのにも作法がある。


すべてが戒律に縛られ、心身ともにストレスの極みを感じるのに三日も要らなかった。


逃げ出したくなった。

でも、アイツが待ってる。

俺は約束をした。一番になると約束をした。


歯を食いしばり、修行に耐え、勉学に勤しんだ。


クソ不味い精進料理と睡眠不足、極度のストレスにより、最初のひと月で体重は10キロ落ちた。


外部からは一切遮断された山奥、携帯電話はもちろん没収され、外界を知る為のツールは新聞紙だけだった。

その新聞紙を、修行僧20人が回し読みをする。


泣けてしまう夜もあった。


何度、逃げようと思ったか。


その度に、じいちゃんを思った。


俺は耐えた。ただひたすらに、仏というものと向き合った。


気づけば、二年が経とうとしていた。


精神を病み、山を下りたやつ。
夜中に逃げ出したやつ。
肉体的にドクターストップがかかり、修行を断念せざるを得なかったやつ。


残ったのは13人だった。


俺は修行一年目の終わりに寮長に任命され、修行僧のリーダーとなり、約束通り主席で本山の修行を終えた。


その年は、じいちゃんの七回忌だった。



桜がとても美しかった。



本山の修行を無事に終え、俺は結婚式を挙げ、一人前の僧侶として檀務に励んだ。

妻のお腹は大きく膨れ、幸せというものを実感しかけたその時、突如、地獄が大きな口を開いて俺を飲み込もうとしていた。


お腹の子は、俺の子じゃなかった。


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