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アーティストという人:汗ばむ陽気の日に、クールにジャケットを着続ける画家

私はあまり自分を信じることができない人間なので、アーティストという人たちに会うと、自分を信じていてすごいなと、いつも感服してしまいます。

安定や低リスクを求める場合、通常人々は企業など何かしらの集団に属して働くことを選択するのが一般的ですが、アーティストたちは、始めは生活していけるかわからないリスクをとって、自分が創造するアートを信じて活動しているのですよね。

当然ながら、「自分としては全然良いと思わないし、やりたくないんだけど」と言いながら専業でアーティスト活動し続けるのは、かなり困難だと思います。だから、自分の作るものを、自分を信じることができるって、すごいな、と私は唸ってしまいます。

ある時、アメリカから来たアーティストの人と話す機会がありました。

話したのは、黒いブレザージャケットを着て、黒いサングラスをかけた、ヒップホップシンガーのような、長身のタリックです。

その日は3月のとても晴れた日で、影を求めて歩きたくなる陽気だったのですが、タリックはオーバーサイズの黒いジャケットを決して脱ぐことなく(暑がる様子もなく)、室内でもサングラスを外すこともなく、とてもクールな青年。私は鼻の頭に水滴を作りながら、いたたまれず履いてきたスパッツをもたもたとトイレで脱いで、全くクールとは対照にいたのですが。

青年と言っても、実は彼は40歳で、スタイルのせいか、雰囲気のせいか、彼のいくぶん繊細な内面のせいか、ずいぶん若々しい印象を受けました。

彼は30代後半までアーティストではなく、職業という選択を、ここ3年で一気に画家にコミットした人です。

「金融の仕事をしていたけど、3年前、父親の死をきっかけに、自分の人生を考え直して、絵を描き始めたんだ」と、アーティストになったのはごく最近だと教えてくれました。

タリックは、それまでに芸術の学びをしてきたわけでもなく、趣味で絵を描いていたわけでもなく、バックグラウンドはなかったと言います。

「父親が亡くなった時に、自分は怒りやいろんな感情を、とにかくたくさん抱えていたんだ。そういう抱えているものを、何か外に出さなきゃいけないと思ったんだ。だから、それを表現することを試みたんだよ。トラウマとかそういうのを癒すみたいな。わかるかな。」

金融の仕事を辞めてアーティストって、全く違う分野への大きな転換だけど、すごいね、と相方が言うと、「人生は一度しか生きれないんだし、やろうと思ったんだ。後悔や迷いはなかった」と彼は言いました。

タリックは今は米国で活動していますが、生まれはナイジェリアで、以前はロンドン、マドリッドにも住んでいたことがあると言います。

ナイジェリア出身の彼が、欧州そして米国で生きて、今のアーティストになるまでの道のりは、ステレオタイプなイメージに基づく、月並みな表現で申し訳ないのですが、とても平坦ではなかったのでは、と思います。

「やるからには自分らしいスタイルを探そうと思ったんだ。絵を見た人が一目で、あぁ、これは彼の絵だ、って気づくような。」

私は、絵について語るに十分な知識は持ち合わせていませんが、ヒグマとパンダを見分けられるように、虎と豹の違いがわかるように、タリックの絵はたくさんの他の画家の絵と並んでいても「タリックのだ」と認識できる一貫したスタイルを持っています。

ファイナンス業界からアートの世界に転身して、どうやって生活が成り立つようになるのかはやはり想像がつかないのですが、彼の絵はニューヨークのギャラリーで取り扱われて販売されています。そして、この日に飾られていた数枚の絵のうち一枚は「これはもう売約済みなんだ」と教えてくれました。

米国の著名なコメディアンでクリス・ロックという人がいます。彼は黒人です。彼のスタンドアップコメディ(Tamborine, 2018, NETFLIX)で、学校は子どもたちの未来について嘘を教えている、という話があります。

「新入生へのオリエンテーションで、子どもたちに“あなたたちはなりたいものになれる、何にでもなれる”と教えていたけど、あれは大ウソだ。

なりたいものに何でもなれる?よく言うよ、勘弁してくれよ。だったら、あんたは、副校長が一番なりたかったことなのか?副校長が夢だったのか?

子どもたちに真実を教えろ、“お前たちは何でもなれる、それが得意なことなら、かつ、誰かに雇ってもらえるなら”」

というジョークです。だからなんだ、と言われると困るのですが。タリックのことを書いていたら思い出したもので。

アーティストという人たちは世の中にたくさんいて、日の目を見ない人もたくさんいて。

タリックが、子どもの頃に画家として成功することを夢見ていたのかは、私は知りません。彼にアーティストとしての才能がどのくらいあるのかも、私にはわかりません。

ただ、彼はナイジェリア出身の欧米への移民で、ファイナンスで学位を取り、金融業界で働き、そのキャリアを辞めて、今は怒りとかトラウマとかそういうものを外に出すことをきっかけに絵を描き始め、アーティストをしている。

父親が死んで、金融業界を辞めて、画家になった人。

その選択は、彼の中で確固たる決意があったのだろうなと推察しました。汗ばむ陽気の日に、彼がクールにジャケットを着続けるように。

そういう人生もあるのだな、と。ずっと何かを避けながら、逃げ隠れ、右往左往している、私としては、ただただ、へー、ほー、と感心するばかりでした。


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