日本人だから知ってるでしょ?聖地巡礼、お隣の国
初対面の人と立ち話というのは、俊敏性と柔軟性が求められ、私にとって非常にハードルの高い種目です。知らない人同士のちょっとした会話は、軽く当たり障りなくお互いに共有しやすいトピック、かつ限られた時間で終わるコンパクトな話題が適切と認識しています。
私は言わない方がいいことを口走ってしまううえに、話が冗長な人間なので、社交の場面は母国語であってもあたふたします。
海外ではそれに加えて、私が日本人だと分かった時点で、相手が良かれと思って、日本に絡んだ話題を投下してくれて、これまでに、お経、ミフネ、パソコンのキーボードについて質問されたことを書きました。
日本がらみトピックに、私はいつも目を白黒させて冷や汗をかきます。
聖地巡礼
朝に少しボランティアをしている近所のカフェで、常連らしいおじさんがカウンターに立ったまま、注文したコーヒーをすすりながら、元気よく笑顔で私にあいさつをしてくれて、「名前は?どこ出身なの?」と勢いよく聞いてくれました。
ほとんどわからない現地語(カタルーニャ語)の会話という流れるプールで、すでに溺れかけている私に、質問の波がどんどん押し寄せてきます。
おじさんは「君は日本か。そうだ、私はシコクに行こうと思ってるんだ、今度の休暇に、ルートがあるでしょう。カミノ・デ・サンティアゴみたいなのが、シコクアイランドに」というようなことを言いました。
私は真っ暗な夜空の中で星座を探すように、拾えた単語の点と点「シコク」「カミノ・デ・サンティアゴ」の繋がりを脳内で大至急探しました。
あ、おじさんが言ってるのは、四国のお遍路だ。
八十八ケ所巡りに行きたいんだ。と、分かったものの、それを私は現地語で言うことができません。
なので、「カミノ・デ・サンティアゴ、シコク、分かる」と首をブンブン振って、おじさんの行きたいとこ分かるよ、という意思を表明しました。
カミノ・デ・サンティアゴとは、スペインで有名なキリスト教の巡礼路です。けっこうな田舎道を何百キロもバックパックを背負って歩くのだ、という話を聞いたことがあったので、四国のお遍路さんも似たようなものなのだろうとつながりました。
おじさんは「もちろん八十八ケ所を一度に行くのは無理なのは分かってるよ。でも歩いて巡るのいいよね」というようなことを言い、私が現地語でものがほとんど言えないので、話はもちろん広がらず、目の前にポトッと落ちました。
カフェの船長(店主)が「行くまでに何か困ったことがあれば、ハナに聞けばいいね」と助け舟を出し、おじさんはコーヒーを飲み終えて、爽やかに笑顔で去って行きました。
四国のお遍路さんについて、一体私に何が手伝えるのだろうか。何か予約を代わりにしてあげるくらいはできそうだけど、お遍路さんのことを私は何も知りません。
せっかく日本に絡めて話題を振ってくれたのに、申し訳ない限りです。
隣の国
朝に、相方とコーヒーを飲みに行く近所の食堂のようなカフェで、いつも静かに新聞を読んでいるおじさんがいます。このおじさんは新聞を読み終えると、順番を待っている私の相方に新聞を渡しに来てくれます。
作業服姿の労働者も多い中、このおじさんは襟付きのシャツに薄いニットを重ねたきちんとした服装で、コーヒーを飲みながら新聞をめくる姿は、かつてはオフィスワークをしていて最近リタイヤしたのかな、と思わせる雰囲気です。ただし私の目はかなり節穴なので、大いに見当違いかもしれません。
おじさんとはたびたびこのカフェで顔を合わせ、一年以上経ちますが、「おはようございます」とあいさつする程度で、会話をしたことはありません。
ある時、おじさんは妻と思われる女性と朝食を食べながら話していました。私たちは隣の席に着くとき、いつものように「おはようございます」と声をかけると、おじさんは振り返って「おはよう。すみません、あなたは日本人かな?」とカタルーニャ語で話しかけてきました。
私は、そうだよ、と答えると、おじさんは「私たちは、8月に台湾に旅行行こうかと考えてるんだけど、どう思う?」と言いました。私は一瞬、何か聞き間違えたのかと思い、固まりました。
固まる私を見て、おじさんは「スペイン語の方がいいのかな?」と言うので、それはそうなんだけど(スペイン語の方が分かる)、そこじゃなくて、台湾についてどう思う?って日本人かと確認した私に聞くの?というところに戸惑っていたのですが。
もし、ラクダに向かって「シマウマのライフスタイルについてどう思う?」と質問しても、ラクダも「え?」となって即答できないのではないでしょうか。
相方の助け舟により分かったのは、おじさんはすでに日本には旅行したことがあり、すごくよかった、食べ物おいしかった、新幹線最高、ということと、台湾に興味があるけど8月は時期的にどうかな、ということでした。
私は、「日本も台湾も8月は暑いからね、湿度が高いし。台風も来るよ。春とか秋の方が過ごしやすいんじゃないかな」と答えました。
妻と思われる女性が、「でも8月しか私の仕事が長期休暇ないの。台湾じゃなかったら東欧のどこかにしようかと考えてて」と言い、おじさんも「そう、8月しか行けないんだ」と少し残念そうな顔をしました。
ああ、なんということだ、私は人のささやかな期待のろうそくの火を、ぶしつけに霧吹きで水を吹きかけてしまった、と気づきました。暑かろうが台風が来ようが、台湾に行ってみたいんだから、行けばいいじゃないか、行ったら汗をかこうが電車が運休しようが楽しいだろう。
台湾人でもないのに、ただ隣国のアジア人の分際で、さも知っているかのように、なんて余計なことを言ったんだ。私は慌てて、台湾行きたい気持ちを回復させねばと思い、「台湾も食べ物はとてもおいしいよ」と付け加えました。
おじさんはウンウンそうか、と頷いてはいましたが、なんとなく妻と思われる女性の方は、アジアより東欧の方に行きたいのかなという気配で(私の思い過ごしの可能性はありますが)、旅の計画の風向きに影響を与えてしまったかもしれません。
人から何か聞かれた時は、相手が何を期待して質問しているかわからない時点では、悪いお知らせが本当であっても、まずは良い情報からお知らせする方が無難だなと学習しました。
それにしても、日本を越えて、お隣の国の情報を質問されるとは、予想外でした。
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