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花粉症のない島のある春の出来事

花粉症の人にとって春は、鼻が玉ねぎの薄皮のようにむけ、目も耳も喉の奥も全ての顔の穴がかゆく、唐突に湧き出した井戸のような鼻水に睡眠を遮られ、もはや何が原因で体調が悪いのかわけのわからない季節です。

花粉症がない人を、私は心から羨ましく思います。花粉症がある人には心から苦しさに共感します。

鈍い頭痛を感じながら、私は思い出したのですが、以前に南欧の島国マルタに住んでいたときは、花粉症から完全に解放されていました。人というものは過去の良い思い出が強化されてしまう傾向がありますが、おそらく記憶の美化ではなく、あの島では本当に花粉症がこの世に存在することを忘れていられました。

その理由は、猫の性別を見分けるくらい明瞭で、島には山や森がないため、つまり木がほとんどないので、花粉がなかったのです。マルタは岩でできた島で、草原も川も湖もなく、あるのはわずかなブドウやオリーブの木、そしてサボテンと海だけです。おかげさまで、花粉症のない春を謳歌することができました。

そのマルタで働いていた春の頃に、少し変わった仕事を言い渡されました。ある日本人女子が留学できていて、彼女が一人暮らしするためのアパートを探すのを手伝うというものでした。

その女子は、確か学生アパートが無理でホテルに滞在していて、周囲の騒音で眠れないとか何とかで、別の滞在場所を探さないといけないのだけれど、一人ではできないから誰かがサポートをということでした。

年齢は確か大学生くらいで、未成年ではなかったと思います。彼女は元々内向的なタイプなのでしょうが、緊張していたからか、雨の前の曇り空のように、くぐもって喋る女の子でした。饒舌ではありませんが、無口なわけでもなく、質問するとボソボソと小雨のように話し続けていました。

眠れないという繊細さを持ち合わせていない私は、眠れないから滞在場所を移動するというのは大変だな気の毒に、と単純に受け止めていました。私は人が言うことを、文字どおり、わりと真っ直ぐ受け止める人間です。

彼女は騒音を理由に、すでにホテルも変えていたようで、静かなアパートを探そうという話でした。彼女が滞在していたホテルは4つ星か5つ星か大型ホテルで、きっと裕福な家族なのだろうと私は考えていました。

最初に彼女に会った日には、なに人かわからない小柄なおじさん(イタリアかトルコかどこかの人だった)が付き添っていました。私はそのおじさんと英語で話したのですが、「ぼくもよくわからないんだけど」という感じで、その女子の父親に頼まれて、この島に来たということでした。

私は彼女とおじさんを連れて不動産屋に行き、希望を伝えて話はしましたが、その日にすぐ物件を見るとはならず、また後日私が彼女をサポートすることになりました。

その付き添いのおじさんは、役目を私に譲り渡したので帰国するのだと言い、「どこか近くでおいしいお店知ってるか」と聞くので、じゃあ連れてってあげるよ、と、同じ日の夜、私はおじさんと近所のレストランに行きました。私は大体暇なのですが、当時の私はもっと暇だったのでしょう。

今思えば、知らないおじさんと夕飯を食べるという何だか不可思議な状況ですが、よくわからない頼まれごとの船に乗り込んだ仲間意識というのか、まあ一緒に飯くらい食べようか、という流れになったのです。

何を話したか記憶はないのですが、それぞれ何かを一品食べて、それぞれ払い、おじさんとは別れました。おじさんは、私が乗り込んだ船から「じゃ、ぼくはお先に帰りますけん」とそそくさと降りて国に戻って行ったのです。

私は騒音で眠れない日本人女子を連れて、内見に連れて行きました。待ち合わせ場所から、アパートまでは歩いて20分くらいです。海沿いの道を歩くと日差しが暑いので、影がありショートカットができる住宅街の小道を歩きました。

車が通ると、壁に張り付いてよけないといけないほどの細い道路で、彼女は少し怯えているようでしたが、交通量は少ないから大丈夫だよ、と声をかけながら歩きました。

最後に急な短い坂を登り、振り返ると、小さな湾を見下ろす素敵な眺めで、周りには繁華街がないので静かな住宅街です。こんな場所に一人暮らしできるなんて、あなたラッキーね、と私は思っていましたが、彼女は特に嬉しそうではありません。

内見するアパートのベルを鳴らし、中にいた大家さんに部屋を見せてもらいました。

二人暮らしもできそうなくらいの空間で、古いけどシンプルな家具は悪くはありません。賃料は安くはなかったですが高すぎもせず、キッチンや洗濯機も自由に使えますし、毎日ホテルに暮らすよりはずいぶん安く済むはずです。

しかし、彼女は学校に通うのに遠すぎる、と言い、このアパートは選びませんでした。バスに乗れば10分だよ、とも説明しましたが遠いと言われれば、彼女にとっては遠いのですから、私にはどうすることもできません。

彼女と歩く間に話をきいていると、どうやら毎年春に、花粉を避けるために、どこかに数ヶ月行って暮らしているということでした。高校生の頃は、沖縄に春だけ転校していたのだと教えてくれました。

そんな生き方というか、生活の選択肢があるとは初めて聞いたので私は驚きました。

春になると、親はどこか花粉のない場所の学校と住まいを手配し(または業者に手配させて)、彼女は2ヶ月くらい家族と離れて暮らすというのを、いつからか、毎年繰り返しているようです。それが、その年は、南欧のマルタ島だったというわけです。

毎年、家族から送り出され、数ヶ月遠くの場所で学生生活を送る彼女は、いったい学生生活が終わったあとは、どのように春を過ごすのだろう。犬サイズの脳みそしか持たない私には、考えてもわからないことなのですが。

彼女は暮らす場所が決まらずホテルに暮らし続けるうえに、留学できているのに授業もあまり出ていなかったようでした。

それは彼女に言わせるとそれなりに理由が色々あるようで、その私には理解できないもろもろの理由を、私が仕事をしているデスクの向かいに座り、口から蟻の行列が出てくるかのように話し続けていました。

彼女には花粉症を取り除いても、なにかこの世界と、うまく噛み合わないような、現実と折り合いがつかないような、なにか神経症的な難しさのなかに浸かっていたのかもしれません。

その後、彼女が一体宿泊場所をどうしたのか、学校をどうしたのか、思い出そうとしても思い出せず、何せ10年くらい前のできごとで、どういう結末だったのか、記憶がすっかり押入れの天袋に収まってしまってます。たしか、私の職場の誰かが、彼女の親かエージェントに連絡をとって、何とかしたか、帰国したのではなかったかと思うのですが、定かではありません。

花粉の季節に、ふと思い出す、花粉症のない島のある春の出来事でした。

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