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「ミスを認めさせるのが一番難しい。だが……」

 日本人は完全にミスっているにもかかわらず、ミスをしたことを認められない民族性を持っている。失敗をあざ笑う島国根性があるからだろう。ミスが恥ずかしいことだと思っているが、挑戦した結果のミスならば認められるだろう。私利私欲、頭の悪さ、視野の狭さなどのミスはなかなか認めにくい。

 さて前政権で移民を受け入れないと崩壊すると言われ、数々の政策を打ち出してきた。2020年から2022年まで「地域外国人材受け入れ・定着モデル事業」を実施。成功しているところもあるだろうが、やはり山梨などの果物盗難事件などを見ると、人を見る目がなかった入国管理官のミスを指摘する声は上がらない。

 尖閣諸島での中国の動きはずっとあやしい。武力を行使する日が近い。そんななか、東京都も含めて多くの太陽光パネルが輸入された。アニメ産業では中国企業との提携が進んでいる。ネットフリックスの「三体」で文化大革命を描き話題になっているものの、香港は落ちたと言われ、上海から人が激減した。

 日本ではクルド人問題が取りざたされているが、中国料理店に中国人お断りの張り紙が出され話題に上がったこともある。感染症対策にもかかわらず、感情が先走る国民性にへきえきとしている。
 秋葉原には中国の思想警察が拠点を構え、何もできないまま数年が過ぎていることが明らかになった。公安警察は何をしているのかと思えば、トップが公明党や統一教会支持者だったりするから頭を抱えたくなってくる。

 本来であれば外国人支援をしている外務省が対策すべきことだが、万博事業で一か国も集まらないような状態の上、台湾からTMSCがやってきて支援策をするだけで手いっぱい。
 2025年~2027年に中国で武力行使が起こることを想定すると、難民が溢れることは想像できるだろう。デジタル庁はそういう難民に対応しようとしているのだろう。

 すべてを均衡を考慮した結果が今なのだろう。
 残念ながら綻びだらけでツッコミどころばかりだ。
 まずはミスをミスと認め、改善すべきところだが、ミスを隠したまま進んでいる状況に国民からすれば違和感しかない。

 前政権の時点で「そんな移民対策をすれば警察機構に人員が足りなくなる」「移民対策にもっと人員がいないと対応できなくなる」と言われている中、進められている政策だ。

 最近のネットでは正義を叫ぶ人々が増えた。特にミスに厳しい視線を向ける。自分もアーティストや創作者が死ぬニュースには過敏に反応してしまう。
 だからといって、ミスを認めないと傷口は広がるばかりだ。
 ちゃんと不要な事業を潰し、人に予算をかけていくことだ。政策に必要なAIを作るのにも人が必要だ。

 AIが登場し、自分の仕事が奪われるなどと不安になっている人もいるかもしれないが、だいたいの仕事はなくなる。どうすればいいのか、と迷っている暇はない。調査した資料の整合性や信頼性の有無を調べる仕事が始まっている。
 ホワイトカラーは時代と共に学んでいく仕事なので、学びを止めた者たちから消えていくのが常だ。
 
 人間ができることは決断することと責任を取ることくらいと言われている。責任を取れなくなった企業から潰れていくと考えると、ミスを認めない責任者がいるメディア関係ほど真っ先に潰れるのかもしれない。単純に時代に合わなくなっている。

 一時「断絶」と言葉が持て囃されていたが、まさにここに断絶がある。
 ミスしたことを認め、そこから学び伸びていく者と、ミスして責められた重圧で情熱を失う者。このベクトルの分かれ道の前に立たされている気がしてならない。

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