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文学碑や史跡の逍遥録

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文学碑や史跡の逍遥録
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めぐりめぐって

こんにちは。 寺や仏閣、神社や史跡を見るとついつい立ち寄ってしまいます。そこの歴史を知り、ほうほうこんな歴史があったんだなあ〜なんて物思いに耽るのです。 平均寿命迄生きると仮定して、現在35歳、あと45年の歳月。残念ですが、日本にあるすべてを覗き見ることは不可能でしょう。時間的、物理的、金銭的な問題があります。 そんな中でもご縁のある神社は積極的に行こうと思っております。 さて、先日面白いサイトを見つけました。 ここは、全国の神社や寺院を検索できるサイトです。 かなり細

細川コレクション特別展 土方歳三資料館×肥後熊本藩

こんにちは。 帰熊の際、『細川コレクション特別展 土方歳三資料館×肥後熊本藩』に行ってまいりました。 『細川コレクション特別展 土方歳三資料館×肥後熊本藩』が催されていることを事前に知っていたわけではなく、県立図書館にこもっていた際に特別展の情報を知りました。土方歳三ファンとしては、ぜひ行かねばと思い県立美術館に向かいました。 県立図書館があるのは、熊本城の二の丸公園の面したところです。以前、熊本城付近に住んでいたことがあり、二の丸公園には夜な夜な散歩していたことを想起

皇紀とは    -橿原神宮-

こんにちは。 戦前の本を読みますと、平安京に都を移されたのは紀元1454年・・・と記載されています。 えっとー。確か、泣くよウグイス平安京だから、794年だったけどなあ・・・? あれ。 それはそのはずです。 上記のは、紀元1454年は神武天皇が即位された日を紀元として数えられた年だからです。 この数え方を皇紀と呼びます。今現在、殆ど使われることがありません。 私も戦前の文章を読むようになってから、馴染んできました。 全国にはお寺があり、神社があり、教会があります。これ

さざれ石   -岐阜県-

こんにちは 「国歌斉唱!!」 「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」 国歌と言いますと、私は入学式や卒業式、そして大学生の頃に出場した武道の開会式を想起します。 人それぞれの思い入れは千差万別です。私はどこか懐かしく親しみのある旋律がとても好きです。 国歌の中に『さざれ石』とあります。どのような石なのか、以前から興味がありつつも脳内の隅っこに追いやられており、実物を見る機会がありませんでした。 ですけれど、先日に岐阜県の両界山横蔵寺に行った際に、

日本文化と幣立神宮   『神を受けつぐ日本人』の梗概について  

こんにちは。 先日、『神を受けつぐ日本人』の梗概についての記事を書きましたが、引用すべき内容がかなり多く、複写に近い梗概になっている可能性がありました よって、梗概についての記事の更新はとりやめます。申し訳ございません。公開していない梗概もかなり書き上がっていたのですが、もちろん複写はいけないことですから。 読書感想文として、私の感想を綴りたいと考えています。 実は先日も帰熊することがあり、幣立神宮に参拝をしてきました。 長い階段を登ったところで女性から声を掛けられま

なぜ太宰府天満宮があの地に建ったのか

こんにちは!! 最近、逍遥録のばかりの更新で申し訳ありません。色々な場所を巡っておりますので、今しばらくお付き合い頂けますと幸いです。 マップを眺めるより、現地に赴き、その地の風に五感を馴染ませる方が記憶に残るのであります。そして、その地に纏わる文献を読む目にも力が入るのであります。 さて、今回は太宰府天満宮。 私は熊本生まれなのですが、もともと勉強は全く好きではありませんでしたし、あまり福岡と縁がなく太宰府天満宮に行ったことがありませんでした。受験戦争に向かい合った多

中之島の淡い光と福澤諭吉誕生の地

こんにちは  幕末から明治に活躍された福澤諭吉(天保五年十二月十二日〜明治三十四年二月三日、1835年〜1901年)。一万円札に肖像がありますので、日本人なら大半が認知していることでしょう。 出生地が大阪だったとは知らずに、大阪で自由気ままに過ごしておりました。昨日に書籍で大阪出生地だと知り、且つ誕生の地という石碑があるとのことで、仕事を終えて秋雨の中に行ってまいりました。 〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島1丁目1 中之島に屹立するビルの明かりが、堂島川と土

前田夕暮先生の詩碑 -横須賀市-  そして花子出版の新しい試み。

こんにちは。 日本には多くの詩碑、歌碑、文学碑が残されています。多くを巡り、作中の世界を堪能できれば、と思っています。今年に買った、スーパーカブも僕の文学碑巡りの友となってきました。スーパーカブが望んでいるかは、分かりませんが。もしかすると、もっと過酷な山道を求めているのかも。 さて、先日に前田夕暮先生の詩碑を見に行きました。 相模湾から富士を眺望できる、横須賀市の富浦公園にあります。 宵あさき長井往還行きにつつ 村湯の明りなつかしみけり 詩人である北原 白秋先生と

めだかの学校  横須賀

こんにちは。 童謡は、一度聴きますと一生涯口遊むことができる名歌です。 先日、横須賀で散歩をしていますと、童碑を見つけました。 『めだかの学校』の童碑です。 作詞をされた茶木滋先生が横須賀生まれとのことで、横須賀の三笠公園入り口にあります。三笠公園内には、厳格な世界観を生み出す記念艦の「三笠」があり、そのような公園の入り口にひっそりと姿を隠す童碑は、中々秀逸です。  昭和二十一年の春、茶木滋親子は小田原郊外の小川のほとりを歩いていました。幼い義夫くんが突然声をあげま

この一歩を踏み出せるのだろうか   城山三郎先生の文学碑 滋賀県

こんにちは。 朝晩の涼しさが増し、夏が終わろうとしています。 小学生の頃、夏休みの終わりが近づき、憂鬱と新学期の希望が混じり合い、複雑な気分で過ごしていました。 小学生の夏休みは人生の中で特に印象深く、自然の中でさまざまな欠片を拾い集めていました。それはクワガタムシやカブトムシなどの有形なものであり、感性や情緒などの無形なものでありました。 数回ほどの登校日があり、その中で戦争をモチーフにしたアニメを見ました。世界で起こる紛争も何も知らない僕にとって、とても恐ろしいもの

『絹と明察』と文学碑  三島由紀夫先生 滋賀県

こんにちは。 『終戦の時は、わたくしは終戦の詔勅を親戚の家で聞きました・・・』。 とのインタビューで答えられた、三島由紀夫先生の声が聞こえてきそうな濃い夏の匂いが香る季節、皆様はいかがお過ごしでしょうか。 僕は執筆中の小説が佳境を迎え、家族の諸事情も終わりまして、セミの鳴き声に耳を欹てることができる余裕が増えました。文学碑のメモを更新いたします。 日本一大きな湖である琵琶湖、地図を見ますと日本の中心にぽっかりと穴が空いているように思えます。 京都から湖西線の電車に乗り

幻想文学の先駆者、泉鏡花先生の文学碑へ  -若菜のうち-

こんにちは。 久しぶりの文学碑巡りの更新になります。 泉鏡花先生。先生は明治後期から昭和初期にかけて活躍された小説家です。幻想文学の先駆者としての評価もされています。 大崩壊の巌の膚は、 春は紫に、夏は緑、 秋紅に、冬は黄に、 藤を編み、蔦を絡い、 鼓子花も咲き、 竜胆も咲き、 尾花が靡けば月も射す。 映画にもなっています草迷宮の一節。草迷宮は先生が逗子の仮住まいで執筆された小説です。相模湾を眺望できる公園の一角に文学碑があります。 以下、リンク。 単語単語の威厳

何かと注文が多い時代だからこそ、読みたい一冊。

こんにちは。 先日から岩手の記事を投稿していますが、五感に焼きついた、もしくは焼きつかれた岩手は、まだまだ醒めないものです。忘れものをしたわけではありませんが、何かを置いてきたような感覚。見つけにいかなくては。 宮沢賢治先生の『注文の多い料理店』は有名な作品です。僕も小学校のころに読んだ記憶があります。名作なのですが、出版に至るまでのドラマも相当なものがあったようです。 光原社を訪れた際、一枚の紙をいただき、『注文の多い料理店』が出版に至るまでのドラマを知ることが出来ま

盛岡にある、石川啄木先生の史跡を巡って。

こんにちは。 ふるさとの山に向かひて言うことなし  ふるさとの山はありがたきかな この有名な、程よい耳触りの詩。石川啄木先生の詩になります。先日、盛岡にお邪魔した際、石川啄木先生のゆかりの地も回りました。 岩手の文学碑の多いこと、多いこと。調べずに歩いていましても、ふとした時に出逢います。 商店街にて。『北風に立つ少年啄木像』 〒020-0022 岩手県盛岡市大通2丁目7−28 昔この辺りは不来方城菜園の跡地である。 中学生の頃の啄木にとって、この畦道と城址は詩情の