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糸井重里とハイハイ練習~私がnoteを始めた2つのきっかけ~

「かわいい子には旅をさせろ」と言いますが、「かわいい自分にも旅をさせろ」です。

糸井重里のエッセイ集、「羊どろぼう」にしるされた一文です。

    あ、先に言っておきますが、私は糸井重里マニアというわけではなく、名前と経歴をなんとなく知ってる程度、MOTHERも未プレイ。「羊どろぼう」は、私より少し糸井重里度が上の、夫にあげようと思って買いました。(読んでくれてる気配ないけど……)

    話は戻りますが、この一文に、
    私は雷に打たれたような衝撃を受けました!

    ……とまでは、さすがにいかないけれど。

    ただ、noteを始める踏ん切りは、この一文がくれたのです。

    ……また結論を先に書いてしまいましたが、ここに至るまでにはいくつか段階があります。それを今回書くにあたり、せっかくだし今行われてる「エンジンがかかった瞬間」コンテストにのっかろうと思い、車というモチーフを使ってこんな感じに書いてみました。

     創作と共にある毎日は、例えるなら車。学生時代、ガタゴトと不格好なりにドライブを楽しんでいましたが、就職後、すっかり創作から離れ、運転席に座ることもなくなりました。でも、完全廃車にする気にはなれず。ひょっとしたら、また乗るかもしれないからと、車は自分の脇に止め、時おりなでる日々でした。

    と、その車が突然、ブルルルと音を立てて振動をはじめた出来事があったのです。それは地元の子育て支援センターに、我が子を連れていったときのことでした。

    ……意外と上手くいったので、もうこのままいきます。

1.始まりはハイハイ練習

    長さも重さも成長曲線上ギリギリな我が息子。大きすぎる体をもてあますのか、不自由な運動神経を母から受け継いだのか(だとしたらゴメンよ)、なかなかハイハイが出来ません。平泳ぎのような、水中ならさぞかしよく進むでしょうにという動きで繰り返し繰り返し空を搔きます。
    まあ、発育段階としてはそろそろ出来たらいいねくらいだし?    と悠長に構えていたのですが、ある日、子育て支援センターに息子を連れていったところ。

   そこには    元気に走り回る    息子と同じ月齢のお子さんの姿が!

    ……「走り回る」は言い過ぎですね、正確には「ハイハイする」です。ただそのハイハイが上手上手、広い室内をまさに縦横無尽。息子の鼻先まで凄いスピードで迫ってきて、息がかかるくらいの顔の近さで「ア!    ア!」と何事かを訴えます。息子、移動出来ないから逃げることも出来ず、ただただ硬直……。

    その後息子さん、赤ちゃんなりに思うところがあったのか(多分)、我も!    とばかりに手足を激しくバタつかせ始めました。でも腕はつっぱるだけ、足が蹴るのは空気ばかり。必死に頑張った末、「ウー」と悲しげに唸りながら失意の仰向けねんねへ。

    その様子を見て、「連れてきて可哀想なことしたな」と思ったのですよ、最初は。でもすぐに、「いやいや、成長ってそういうことじゃん。出来ないことを自覚するのは悔しくてしんどいけど、それを乗り越えるのが成長じゃん。」と思い直しました。これからこんな場面は沢山あるだろうし、私がここでひるんじゃいけないよね、と。

    そして、

    私自身は?

    と思ったのです。

    私は、これから成長することがあるんだろうか。勿論、母親という未体験の存在としてこれから頑張らないといけないし、職場で難しい仕事を任されることもあるでしょう。それもきっと、成長のひとつ。
    でも、そういう日常のなかで否が応でも降りかかってくるものではなく、もっとこう、自分から足を踏み出して掴みにいくような。「挑戦」と言い換えることが出来るような成長。その伸び代は、私にはもうないのかな。

    ないとしたら、それはとても寂しい。

    錆び付いて廃車寸前の車が、ブルル、と震えた瞬間でした。

2.「時間がない」は「気力がない」

    そして私は車に飛び乗り、意気揚々と出発……しませんでした。
    私のポンコツ車、ブルルルとキーを回せどエンジンがかかりません。何故でしょうか。

    サイドブレーキがニュートラル?
    ハンドルロックがかかってる?
    ……いいえ、正解は、ガソリンが入っていない。(情けない!)

    「創作を車に例えるなら、ガソリンは何の例え?」と問いに対する答えは、人により異なるでしょう。 夢とか、使命とか、向上心とか。

    私の場合、そういう眩しいものではなく、もっと根本的なもの。それは気力です。

    気力がなかったんです。

    「気力のなさ」とは、「時間のなさ」と誤認しがちですが、少なくとも私の場合、時間が全くないわけではありませんでした。

    確かに育児で忙しい毎日。でもその合間に、インスタでboketeを勝手に採点したり(甲乙柄評価)、オセロアプリで対戦相手のAIを何回もフルボッコにしたり(全能感を味わいたいだけなのでレベルは弱に設定)、悪役令嬢モノ漫画のお試し部分だけをわたり読みしたり(お試しの先を読んだ試しがない)。

    そう、ないのは時間じゃない。
    ないのは、「生活の諸々を片付けて、もう疲れてしまった状態でも、頭使うようなことをしようと思うことが出来る」気力なのでした。

    せっかく起動しかけた車はまさかのガス欠。プスプスと空虚な音をたてる車を、乗り込むことなく相変わらずまたなでるだけの日々。
    そんなとき、なんとなく夫のお土産に、『羊どろぼう。』を買ったのでした。

3.私は私の旅をしよう

    はい、ようやく冒頭に戻ります。

「かわいい子には旅をさせろ」と言いますが、「かわいい自分にも旅をさせろ」です。

    『羊どろぼう。』の一節。これ、糸井重里氏のエッセイやツイッターからの抜粋をまとめた書籍らしいので、ひょっとしたらこの一節にも、前後の文脈があるのかもしれません。多分、「親と子」を並べて論じる意図は糸井氏にはないと思うんですが。「挑戦」と「育児疲れ」の間をうろうろしていた私にとっては丁度いい言葉のセレクトでした。

    私の人生、これからしばらくは、かわいい息子の旅のために、大きく時間をさくことになるだろう。でも、人生の全てを息子のうえにのっけるのは、私にとっても息子にとってもよくない。サポートと平行して、私は私の旅をしよう。「息子の夢が私の夢だ」とか、「子育てのせいで私の旅はできなかった」なんてこと、間違っても言うことがないように。

    こんな思考がするすると頭のなかから出てきて燃料タンクに入っていき、ドゥルンと大きく車は跳ねたのでした。

    そこからは早く、特に語る過程はなく今に至ります。

    息子のお昼寝の最中。
    寝る前の、照明を落とした部屋のなかで。
    夫の休日に、ちょっとだけ一人の時間をもらって。

    少しずつですが、記事を書いてるいくつもりです。

    どうなるか分からない旅路ですが、少なくとも、今はとても楽しいです。
    それでは行ってまいります。

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