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東京都美術館の印象派とのハシゴは体力的にできないと思い、別の日に行きました。

1月下旬に関連文化講演会がありまして、これは早く観に行かねばと観る気は満々。今回、江東区と中央区はこの講演会があったようですね。企画した学芸員さんのお話が聴けて(裏話は大好物!)見どころがわかるので有難い講演会です。

今回、「刀」「漆」「書」「茶碗」でそれぞれ担当学芸員が違ったからか、江東区の講演会はテーマが蒔絵だったようですね。講師となった方も違いました。中央区は茶碗でした。

チューリップ越しのトーハク

特別展 本阿弥光悦の大宇宙
2024年1月16日(火)~3月10日(日)
9:30~17:00
東京国立博物館 平成館にて

通常、こうした特別展には200~300点が展示されるそうですが、今回は絞って110点と講演会で聞きました。そのためか、平日ということもあってか、ゆったりと観ることができました。

そういえば、国宝や重要文化財、重要美術品が大渋滞しているような展覧会は、凄いのだけれども凄すぎて記憶に残っていなかったり、とにかく疲れたりしていました。私にはこの位の余白が必要なのかもしれません。

第1章 本阿弥家の家職と法華信仰―光悦芸術の源泉

いきなり、ポスターやチケットに使われている《舟橋蒔絵硯箱》、国宝がド~ン!このフォルム、硯箱には見えませんよねぇ。そして、光悦像や家系図などが続きます。

本阿弥家の家職は刀です。光悦の指料さしりょうと伝わる唯一の刀剣、《短刀 銘 兼氏 金象嵌 花形見》が展示されています。金象嵌の”花形見”に釘付けになりました。鞘に施された金蒔絵の”忍ぶ草”も見事でした。

刀の後は信仰関連。《紫紙金字法華経幷開結》を見て
「何なの、これ……」
とため息をついていたマダム、わかりますよ~。なんだか異次元、別世界。

光悦ではなく「三跡」で知られる小野道風筆とされるもので、これが一門の菩提寺に寄進されたのです。紫紙といっても茶色っぽかったのですが、金泥で書く時はムラサキ(植物)で染めた紙がお決まりだったようなので、もとは紫色だったのでしょうか。

第2章 謡本と光悦蒔絵―炸裂する言葉とかたち

謡本には雲母摺きらずりという、雲母の粉末を溶いて模様を摺り出した料紙を用いてきらびやかでした。。

ジェモロジストなワタクシが雲母と聞くと、劈開クリベージでペラペラ剥がれる結晶と、小学生向け科学雑誌の付録の標本と、エメラルドに入りがちという印象しかないのですが、雲母を「きら」「きらら」と読むのは美しいですね。

《花唐草文螺鈿経箱》は、花唐草も「法華経」の文字も螺鈿で、それはそれは見事でした。先の法華経10巻1具と青貝の箱を寄進していて、この経箱がそれに当たるそうです。

昔から象嵌や螺鈿に心躍ってしまうのは、彫りこんだところに何かをピッタリ嵌め込むのが好きなのでしょうか。

この後、8K映像で4点ぐらい見せる部屋があり、覗いた時は茶碗のどアップでしたが、実物の質感を求めて第二会場へ。多分この映像は、講演会が始まる前に流れていたものだと思います。ショップは横目でちらり、後で寄りましょう。

第3章 光悦の筆線と字姿―二次元空間の妙技

ここはやはり《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》でしょうか。こんな長い巻物が最初から最後まで展示されるなんて。俵屋宗達の下絵というのがまたゴージャスで、金銀の飛翔する鶴もまた豪華なのです。

光悦による和歌は、結構メリハリのある書き方でした。確かに、細くサラサラと書くと繊細で素敵でしょうが、宗達の鶴には負けてしまうかもしれません。

講演会の講師の方が、良い声で
「角度が変わると下絵の鶴の金銀がキラキラして、それはそれは綺麗です」
とうっとりとおっしゃるもので、とても楽しみにしていました。

最後まで観たら、その目と鼻の先にある突き当りの部分をを見忘れたと気づきました。が、《鶴下絵…》の最後の部分からは行けずにまた巻物の先頭までぐるりと回りました。何か大切なものを忘れていたのではと戻って正解、《蓮下絵百人一首和歌巻断簡》じゃありませんか。

法華信徒にとって、蓮は特別。その蓮を描いた料紙に、光悦が小倉百人一首を揮毫したものでした。関東大震災で60首分が消失したそうですが、残る断簡はこうして分けて保管しているそうです。うち一つはサントリー美術館蔵でした。

晩年は中風との闘いだったようですが、その頃の字もどこか味がありました。

さて、次は何だったかしら。次の部屋との間に一つケースがあり、鎮座する茶碗。そうだ、茶碗がまだでした。次の部屋に入ったら茶碗がズラリ!ではなく、序章のようにチラ見せするこの展示はなかなかやりますね。

第4章 光悦茶碗―土の刀剣

光悦の茶碗は20碗から40碗あると言われ、今回は厳選した10碗が展示されています。1ケース1碗で、ケースの1辺は1m以上ありそうです。高台は説明の写真で見るしかないのですが、茶碗そのものは四方から見られます。お道具拝見、の気分です。

一番奥に《時雨》《雨雲》《村雲》、その手前に樂家の長次郎の赤楽《無一物》黒楽《万代屋黒》、三代道入の赤楽《鶴》と黒楽《木下》、その手前の真ん中に白楽だった気がします。白楽だけは展示替えがあると講演会で聞きました。

出口付近に兎の香合があり、これは出光美術館所蔵でした。茶碗もそうですが、この香合もまさに”削った”、”削いだ”感があり、4章のタイトル「土の刀剣」とはよく付けたものだなと思います。

講演会の講師をされた方は、以前トーハクでの『茶の湯』展も担当され、光悦の茶碗を「桃山残照」と位置付けたことがずっと引っ掛かっていたのだそうです。

2022年の『茶の湯の歴史を問い直す』という本に携わり、「侘茶って何だ?」「利休は何をしたのか?」など各方面の人が集まって検証したのだとか。この本、読みたいです。

「侘茶」は近代(明治35年)から使用された言葉であること、もともと「侘数寄」は唐物を持たない貧賤の茶人のことで、後に富裕の茶人が貧賤を想定した点前を指すようになったこと……時代が違うと定義からひっくり返ってしまうことがあるわけですね。

ろくろで作った茶碗は、高台が持ちにくかったり、点てにくかったり。硬質で厚みのない茶碗は、持つと熱い(これ、本当にわかります)。
一方で楽は、削るので手に沿う、見込みが深い、口当たり、重さ、熱伝導……つまり長次郎の茶碗は「茶の湯のための茶碗」なのだ、天正期という時代に応えた「今焼」(=楽)だったのでは、と。

この時代の茶碗を並べて見た時に「侘びてない!」と思われたそうなのです。実は茶の湯に合わせて作った、時代の最先端の茶碗だった、ということなのですね。

講演会では青磁にも触れていて、「茶の湯を創った青磁茶碗」も1530年代以降の茶の記録しかないので検証できないのだとか。少なくとも《馬蝗絆》は茶の湯の碗ではなかった、というのは先日の出光美術館の青磁展でも読んだ解説でした(所蔵はトーハクです)。あの展覧会、観て良かったです。

宗達と光悦のコラボ
これはさらさらと書かれている部分ですね

ポストカードを1枚買い、本館へ向かいます。2階4室の「茶の美術」がリニューアルされたそうで、ぜひ一緒に観たいと思ったのですが……平成館から一番遠いところではないですか!ヒィ~。この日も東洋館は断念。

🍵

80年代に活躍したプログレバンドのライブに行ったことがあります。メンバーも還暦近く、ファンもその世代なのか、皆さま早くにご着席で。
「まだプログレやってんの?って言われるんだけど、おかしいよね。プログレッシブって”前衛的”って意味なのに”まだやってんの?”って」
と、MCで言っていたのを後から思い出しました。

流行りの茶の湯に合わせて作ったイケイケの茶碗だったのに、後の時代に「侘びてる」と言われて驚いているかもしれないなぁ、なんて思ってしまいました。

取り急ぎ、この本は早く読みたいですね。

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