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中学時代のサッカー部モテ男子の思い出と、WBC大谷選手を見て感じる"自分軸"について①

WBCの試合が熱を帯びた初春の日本。

大谷選手もダルビッシュ選手も、その他たくさんの若きスター選手たち、すばらしかったですね…!

栗山監督の度量の大きさと人間性、
日本人魂の宿った本物のリーダーを感じさせ、
選手を信じる親心も含めて、"こういった人について行きたい"と思うのだ、だからこそスター選手がそれぞれの立ち場で役割をきっちり果たすのだと、震えた。

そんな試合を観ていて、ふと思い出した中学時代のエピソードがありました。

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30年も前の話になるけど、中学時代、どこの学校にもあるように、
多くの女子が憧れて、人気者だったサッカー部の男の子がいました。
(以降、名前をKくんとします。)

中1の時同じクラスだったKくんは、学年で明るい人気者で、端整な顔立ちとさわやかで気取らない性格、すらりとした体型で女子に密かに人気でした。

"密かに"と書いたけど、実際は密かでもなんでもなかったかも。

わたしの親友も憧れていたし、わたしも実はかっこいいなと思っていた。

中学の3年間、「誰々が告白をした」という噂は1年中絶えなかった。
表だって目立つと言うよりは、水面下で好きな子が多かった印象だからと思う。

当時わたしはソフトボール部だったので、サッカー部や野球部と同じ校庭で練習をしていた。

ボールがこっちに来たりすると、部活の親友がキャーキャー言いながら取りに行ったりして。
(青春ですね〜^^)

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そんな中学時代、どこもそうであるように、30年前もいわゆる上下セットの学校のジャージがあった。
(濃紺の基本に男子は青、女子は赤のライン)

そして何故か、男子の方は、"下のジャージを履くのはダサい"という暗黙の了解みたいなものがあった。

いつの頃からか、思えば私たちの先輩においても男子は誰も下のジャージ(いわゆるズボン)を履かなかった。

真冬の2月でも、男子はうっすーい半ズボンに膝までの靴下を履くのが慣例だった。

ちなみに、下のズボンを履いているのは、身体の弱い子だけだった。

そう言ったところからも、「弱い子だけが履くもの」みたいなイメージがあって、何故か男子は入学時に購入してみんな持っているのにも関わらず、誰ひとりとしてジャージ下のズボンは履かなかった。
(※4つ上のわたしの兄も一度も履いているところを見たことがない。)

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ところが冬休み明けの1月のある寒い日。

校庭でいつものように練習をしようと私たちが出ていくと、友人のTちゃんが声を上げて言った。

「ちょっと見て!Kくんがジャージを履いてるっ!!!…な、なんで!!??」

それを聞いたわたしは、校庭の向こう側で練習を始めようと集まっているサッカー部の群れに目をやった。

確かに、Kくんが下のジャージを履いてみんなと談笑していた。
多少先輩からからかわれているような雰囲気もあったけど、ごくごく普通の様子。

「えっ、てか、うそでしょ!なんかダサい…。うーん、でもかっこいいかも。わかんない…。」

そう言う親友の横で、じっさい、わたしも軽くショックを受けていた。

男子は下のジャージを履かないもんだと思っていた。

下のズボンジャージはダサいんだから。

ましてやサッカー部の憧れのKくんが履くものじゃない。
いや、履いちゃいけないんだ。

その日、部活の親友たちと複雑な心境でその様子を遠くから見ていた。

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翌日。

やはり同じようにジャージを履いて部活に参加しているKくん。

他の男子がみんな半ズボンの中で、ひとりKくんはジャージを履いていた。

翌日も、その翌日も。

すると、どうだろう。

翌週くらいになると、サッカー部のメンツがひとり、またひとりと下のズボンジャージを履き始めた。

1年の同級生から仲間が履き始めて、そのうちなんと、2年、3年の先輩もぽつり、ぽつりと履き始めた。

ついに3年のサッカー部の主将であり、学校全員の憧れのH先輩も履き始めた!!

その流れで、なんと他の部活、というか男子たちも次々と履き始め、ついに下のジャージを履くのは当たり前になった。

中学1年で同じクラスだったわたしは、当時Kくんとたまたま席が近かったので聞いてみた。

わたし「なんでみんなが嫌がって履かなかったジャージを履いたの?」

それに対してKくんはさらりと、とてもさわやかにこう言った。

Kくん「だって寒いと練習に集中できないから。」

その次の瞬間、わたしはそう答えたKくんを心底かっこいい…!と思った。

みんながやっているから、それが当たり前だから、
じゃない。

自分がそうだと思ったから、そうする。

たまに、この時の話を今も親友のTちゃんと思い出したようにすることがある。

「あの時のKくんは本当にかっこよかったよね〜」と。

その流れで、Kくんが履いたから他の男子に定着したんだ、と親友といつも同意する。

これが他の男の子だったら、と思うと正直わからない。

「今日は風邪か何かできっと体調が悪いんだろう」と思って流したかも。

でも、Kくんが履いたことに意味がある。

Kくんが履いたから他の男子も履き始めて、
そのうち、「真冬の2月になんで寒い思いしてせっかくある下のズボンを履かねーんだ…??」と、疑問に思い始めたんじゃないかと。

つまり、マーケティング的目線で言うと、最初に誰が履くかが大事なんだと。

さらに思うのは圧倒的な自分軸。

30年前の中学は、令和の現代よりもずっと同調圧力が重んじられ、絶対的な先輩後輩のヒエラルキー社会。

先輩より先に休憩に入ってはいけない、
先輩を差し置いてカバンにチャームをつけてはいけない
先輩を差し置いて規定以外のソックスを履いてはいけない

こんな中、みんながダサいと思って履かないジャージをごくごく自然にさらりと履いたKくん。

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今だから、思う。

みんなが当たり前にやっているコトなんだけど、「もしかして本当は違うんじゃ…?」となんとなく思っていること。

そう言うことに対して思考停止していると革命は起こらない。

ある程度やってみて、うーん、なんか不便?
なにか違う…?と思うこと。

それに対して思い切って別のアプローチをしてみる。

そうすると見えてくるものってあるのかもしれない。

先のKくんで言えば、彼はサッカー選手としても優秀でずっとレギュラー選手だった。

真冬の練習で寒い思いをしていては練習に身が入らないし、集中するために他の人がどう思うとかを抜きにして、できる対策をシンプルにやった、ということだと思う。

自分に嘘をつかないこと。

仕事においてもサービス提供においても、そして家族も含めた対人関係においても、「本当に相手のために何ができるか?」を日々考えること。


そして、なんと!
なぜかこの話は次回のマーケティング的考察に続きます(笑)


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