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缶チューハイ3本分

 蒸し暑さのせいだろうか。
 急に、中村屋のレトルトカレーが食べたくなった。
 中村屋が日本でカレーを発売したのは昭和二年のこと。
 箱のパッケージには《日本のカリー文化発祥の店》の文字が輝いている。

 どこから見ても悪いヤツのことを、札付きの不良などというが、中村屋はどこからどう見ても老舗。まさに札付きの老舗である。

 若い頃、通学の乗り換え駅が新宿だったこともあり、新宿の地下道をよく歩いた。人並みにまぎれながら進んでいくと、新宿中村屋本店の地下入り口が見える。横を通る度に、

 中村屋かぁー。

 憧れの眼差しを向けていた。
 何食わぬ顔をして、中村屋に吸い込まれていく大人たちを見ながら、十代の私は、大人になったら私も、ああやって一人で中村屋に寄って、カレーを食べる日がくるのだろうか。そんなことを考えたりした。
 一人で中村屋でカレーランチ。
 なんて贅沢な響きだろう。カレーを食べる合間に飲む水も、きっと老舗の味がするに違いない。想像するだけで、何だか背筋が伸びる気がした。

 しかし、残念なことに、私は未だに一人で中村屋に行ったことがない。大人になって、もう24年。そろそろ一人で中村屋に行ってもいい頃だと思うのだが、何となく、おあずけのままになっている。

 スーパーに行くと、レトルトカレーのコーナーに中村屋のカレーがある。低価格帯のお馴染みレトルトカレーと同じ棚にいるのに、中村屋のカレーは全く偉そうではない。スーパーの棚であろうとも、老舗のエンブレムはどこか誇らしげで、後輩を優しく見守る大先輩の風格が漂っている。

 しかし、その風格は値段に直結する。

 久々に食べたいと手に取ったが、やはり高い。
 後輩のレトルトカレーのお手頃感を眺めた後だと、どうしても手が伸びない。自分のために、ひと箱300円以上するレトルトカレーを買うのは、贅沢な気がして後ろめたいのだ。贅沢は素敵だと、胸を張って言える時代になったというのに、いざ買うとなると、尻込みしてしまう。

 結局この日、私は中村屋のレトルトカレーを買わずに家に帰った。
「中村屋のレトルトカレー、買おうか迷ったんだけどねぇー。何かもったいない気がしてやめちゃったよー」
 買い物から帰った私が、惜しむようにそう言うと、

「缶チューハイ3本分、我慢すればいいんじゃない?」

 夫が買い物袋から、買った物を取り出しながら、そう言った。

「今日買ってきた缶チューハイが10本。これを3本我慢すれば、中村屋のカレー買えるよ」

 正論は、時に人の心をさいなむものだ。

 確かに、缶チューハイ3本我慢すれば、中村屋のカレーが買えるだろう。だが、蒸し暑い今の季節、私にとって缶チューハイは、カレーと同じくらい、大事な暑気払いになっているのだ。

 それに、私の喉は、チューハイとハイボールがうまいと感じたら「夏」と認識しているので、それを奪われてしまうと、私の夏は宙ぶらりんになってしまう。宙ぶらりんなまま、中村屋のカレーを食べるなんて、老舗に申し訳が立たない。

 私がそう訴えると、夫は言った。

「でも、中村屋のカレーだったら、缶チューハイよりも、赤ワインの方が合う気がするよね」

 夫の提案に、私は思わず「あぁ……」と声を上げる。

 確かに、中村屋のカレーに相応しいのは赤ワイン、もしくはプレミアムビールだろう。そうなると、もはや缶チューハイ3本分では間に合わない。今日買った10本分の缶チューハイを返品しないといけないくらいの予算が掛かる。10本ものチューハイが奪われた私は、夏を乗り越えることができるだろうか。

 そんなことを思いながら私は、氷をパンパンにいれたグラスに、チューハイを注いだ。私の喉が夏を感じる度に、中村屋のレトルトカレーが遠くなっていく。
 老舗の風格をこの舌で味わうためにも、缶チューハイ3本分を我慢できる、強い忍耐力がほしいものである。 

 


 


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