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少しも寒くないね

 その日、暑さは和らいでいたものの、かなりムシムシしていた。夫が黒い厚手の化繊Tシャツを着ている。何だかとても暑そうで、見ているだけで汗が噴き出しそうだった。私は思わず、
「ねぇ、そんな格好して暑くないの?」
 と聞くと、夫は、
「暑くないねぇ」
 と言いながら、
「そっちこそ寒くないの?」
 と、裸の大将の山下清を思わせる、タンクトップに短パン姿の私を見た。
 私は子供のころから汗っかきで暑がりだ。毎年夏になると汗疹や汗疱に悩まされている。できれば私も山下清スタイルで夏を過ごしたくはないのだが、湿気や蒸れはお肌の大敵なので仕方がない。私は温度より湿度に敏感な人間なので、
「少しも寒くないね」
 と返事をしたら、夫がニヤッと笑って、
「アナが来たな」
 と言った。一瞬、穴ってなに?と思ったが、「アナと雪の女王」のアナのことだとすぐにわかった。

 ミュージカル好きでありながら、私はアナと雪の女王を一度も観たことがない。根が天邪鬼なのだろう。現代的な登場人物の顔に、自分の目が馴染めなかったというのもあるが、大ヒット作なので、焦らなくてもそのうち観る機会はあるだろうと思ってしまったのだ。

 しかし元々ミュージカルソングは大好きなので、楽曲は公式のyoutubeで楽しく観させてもらっていた。松たか子さんや、WICKEDのオリジナルキャストのイディナ・メンゼルが歌う「Let It Go」は何度聴いても飽きなかったし、各国のキャストが歌う「Let It Go」もとても良かった。

 歌の良さはやはり直接心に響くものだ。この作品に多くの子供たちが心を奪われたと聞く。アナと雪の女王をきっかけに、将来はミュージカルスターになりたいという夢を抱く子も増えただろう。そんな子たちに、私は幼い頃の自分を重ねてしまう。

 私も5歳のとき、初めて宝塚を観て、あのきらびやかな舞台に随分と憧れたものだ。あれから三十数年の月日が流れているが、あの頃憧れたタカラジェンヌたちは、今でも私の頭の中で生き生きと歌をうたってくれる。

 私はお皿を洗ったり、掃除機をかけたりしながら、タカラジェンヌたちが歌っていた曲を思い出しては今も口ずさんでいる。あの頃観た舞台を肉眼で見ることは出来なくても、私の頭の中では、いつでも大好きな演目を再演できるのだ。

 アナと雪の女王に夢中になった子どもたちも、大人になったとき、
「少しも寒くないわ」
 のフレーズを聴けば、一瞬にして観たときの気持ちに戻れるのではないかと思う。感動や高揚感は驚くほど簡単に時を超えていく。まるでタイムマシンに乗っているかのようだ。

 驚くことに、スマホもパソコンもない三十数年前、既に私はタイムマシンを手に入れていたのだ。そのタイムマシンは錆びつくことなく動き回り、今でも私を楽しい気分にさせてくれている。





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