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仙台の高い空

 「なにしてんのよ」
 結婚のお祝いに駆け付けてくれた友人が、そう言ったときの顔を、今でも憶えている。呆れているような、イライラしているような、様々な感情が入り混じった表情をしていた。

 私の結婚は世間でいうところの謂わば地味婚で、結婚披露宴もなし。ウェディングフォトすら残さなかった。だが、友人知人には、結婚したことと、転居したことを伝えなければならない。

 しかしだからといって、
「結婚しましたー!」
 と浮かれた感じで報告するのも性に合わない。
 考えた結果、私は友人たちに、結婚して住所が変わったことだけを記載したはがきを送った。

 夫婦の写真もない愛想の無さが、かえって友人たちの気持ちを刺激してしまったらしい。披露宴をしないならせめて自宅に招待しろ、もちろん旦那にも会わせろと友人たちが騒ぎ始め、お祝いと称して数名が我が家に押しかけて来た。小さな2DKの木造アパートに、彼女たちの華やかな声が湧きたつ中、

「ねぇねぇ、新婚旅行はどこにいくの?」
 友人の一人が訊いてきた。 
「青森と岩手。太宰治と宮沢賢治ゆかりの場所を巡るつもり」
 私にとっては、聖地巡礼のような気持ちでいたのだが、友人はため息をひとつついて、

「なにしてんのよ」
 と、冒頭の言葉を言ったのだった。まるでテーブルのコップを倒してしまったかのような言い草に私が目を丸くしていると、友人はさらに続けた。
「新婚旅行なんて、海外にいける最大のチャンスなのに、なんで国内なの? なんで青森岩手なのよぉ」

 あぁ、もったいない。

 目の前にある和牛ステーキに手をつけない変わり者を眺めるような目で、友人は私を見ていた。

 青森と岩手。
 新婚旅行には、些か渋すぎる場所だったかもしれない。でも、私も夫も、その渋すぎる場所がしっくりくるような性分だった。

 まかり間違って定番のハワイやグアムにいったとしても、南国のビーチで真っ青な海を目の前にしながら、トロピカルカクテル片手にそわそわしているさまが容易に浮かんでくる。青い海にきらめく太陽より、私は太宰の生家や賢治の下ノ畑が見たかったのだ。

 もったいないと嘆いていた友人も、そんな私の性分を思い出したらしく、
「まぁ、らしいっちゃ、らしいよね」
 と納得し、
「旅行、気をつけていって来てね」
 友人たちはそう言って、帰っていった。

 優しい友人たちの言葉を背に、私たち夫婦は車で東北へと向かった。東京から一気に青森までいくのは体に堪えるだろうと思った私たちは、一度、仙台に宿泊し、青森に向かう予定になっていた。

 目的地は青森、岩手と決めている以上、仙台での観光は全く予定していなかった。そのときは、骨休めの地として都合がいい、というだけだったのだが、辿り着いてみると、不思議な気分になった。

 私は東京育ちの都会っ子で、山や海を見ずに育った。両親が出不精だったこともあり、旅行などに行く機会もなかった。仙台の街を歩いていると、東京と似たような光景が視界に押し寄せてくる。

 渋谷の銀杏並木のような、ケヤキ並木。
 新宿のビル群のように高いビル。
 中野ブロードウェイや吉祥寺のようなアーケード街。

 だが、東京とはどこか違うのだ。
 高村光太郎の詩集「智恵子抄」にはこんな一文がある。

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。

 智恵子は福島県にある阿多多羅山(安達太良山)の上から見る空に思いを馳せ、そう言ったのだが、東京が故郷である私にとって、「空が無い」の一言はチクリとするものがあった。

 だが、都市の街並みに浮かぶ仙台の空を見て、私は思い知ったのだ。もしかしたら本当に、東京には空が無いのかもしれない。私の胸に、うっすらと敗北のような気持ちが湧いた。

 仙台の空は高かった。

 清々しい晴れ間が、そう思わせてくれたのかもしれないが、ハワイやグアムの海に負けないほどの青い色が、目に沁みるように頭上に広がっている。視線を落とせば切れ間なくアスファルトが続き、鉄筋コンクリートの建物がひしめき合っているというのに、仙台の空は東京よりも広く、隅々まで澄み渡っていた。

 新婚旅行では、空気の良い田舎道を車で走ったりもしたが、なぜか私の目に鮮明に焼き付いたのは、あの仙台の空だった。ろくに観光もしなかったくせに、強く印象に残っているのは、あの広々とした高い空があったからだ。

 袖振り合うも他生の縁というが、新婚旅行で立ち寄った縁は今も切れることなく、私の目の中で清々しい青をたたえている。




 仙台を舞台にした自作の小説「一泊二日」が、創作大賞2023で入選という結果になりました。中間発表のときも本当に驚きましたが、入選の知らせはそのさらに上をいく驚きでした。作品を読んでくださった方、コメントを寄せてくださった方、スキをつけてくださった皆様にお礼申し上げます。
 これを励みに、これからも精進していきたいと思っています。本当に有難うございました。

 


 

 

 

 

 


お読み頂き、本当に有難うございました!