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転校生、恵方巻

 20数年ほど前のこと。
 年度末が近いにもかかわらず、先生に連れられてやってきた転校生は、挨拶もそこそこに

「ワテ、恵方巻いうねん。仲良うしてや!」

 と、一番前の真ん中の席に、ドン!とカバンを置いた。
 見た目も派手で、デンブのピンク色が、他の生徒にはない輝きを放っている。その美味しそうな海苔の香りが、教室中に漂い、クラスに新しい風が吹いたことを感じさせた。

 そんな恵方巻を、後ろの席から睨みつける炒り豆と落花生。
 その心中は穏やかではない。最初に因縁をつけたのは落花生の方であった。

「おい!てめぇ、どこから来た! 挨拶もなしに、ドッカリ座りやがって!」

 落花生には食べすぎると、鼻血が出るという都市伝説があった。今ではそれを信じるものは少なくなったものの、落花生の鼻息の荒さに、クラス中が静まり返った。

「ワテ、大阪から来ましてん」

 恵方巻は動じる様子もない。
 落花生の鼻息で、海苔が乾いてしまうのではないかと周囲は固唾を飲んだが、恵方巻は終始ニコニコしている。

「落花生さんはええなぁ、床にまいても殻があるから汚れへん。拾ってすぐ食べられますさかい、掃除の手間が省けます。しかも食べだすと止まりませんやろ。年の数なんてあっという間や」

 自尊心をくすぐる発言に、落花生の頬はゆるむ。それを聞いていた炒り豆が、黙っていられない様子で、恵方巻に歩み寄る。

「君は何か勘違いしているようだね。そもそも節分というのは、本来、炒り豆を撒くものなのだよ。掃除の手間などは問題ではない。これは室町時代から続く伝統なんだ。それを無視してもらっては困るよ」

 学級委員長である炒り豆を怒らせると後々面倒なことになる。
 あー、恵方巻くん終わったな。
 という空気がクラス中に流れたが、恵方巻は意に介さない。

「当たり前ですがな! 炒り豆さんあっての節分やないですか。節分は2月の行事やさかい、雪深い地域では、炒り豆さんより、落花生さんの方が拾いやすうて、衛生的なんや。もし、夏に豆まきがあれば、落花生さんの出番はなかった思いますで」

「なに!」
 と落花生が、恵方巻の海苔に掴みかかろうとするも、炒り豆に
「やめ給え!」
 と静止された。

「君の噂は、西の者から聞いていたよ。でもまさか、東に来るとは思わなかった。随分と野心家のようだね。君は僕と落花生をどうしようと思ってるんだい?」

 クラス中がざわつき始めた。

「イヤやなぁ、ワテが炒り豆さんと落花生さんの座に居座ろう思うても無理やで。成田山新勝寺で、お相撲さんが太巻き投げるんでっか? アカン、アカン、そんなん投げたら、危ないで」

「確かに…」

 蕎麦が納得するようにつぶやいた。

「てめえ、いいのかよ! ただでさえ、節分に蕎麦なんて知らねぇ人が多いのによ! 恵方巻が来たら、節分の夕飯の座、奪われちまうぞ!」

 落花生が言うものの、蕎麦はあっさりと、

「あー、いいんですよ。私には大晦日がありますから」

 大晦日を出されたら、落花生は何もいえない。
 実は恵方巻、蕎麦には事前に根回しが出来ていた。

「蕎麦と太巻き、一緒に食べたらウマイやろなー。ワテ、蕎麦さんと一緒に、節分の夕飯を盛り上げたいんや!」

 この一言で、蕎麦は恵方巻にイチコロになってしまったのだ。
 恵方巻の人の懐に入り込む術は凄まじく、あっという間にクラス中にその存在を認められた。しかも、そのリズミカルな関西弁から繰り出される話芸は、クラス中を明るくし、斜に構えて見ていた炒り豆や落花生も、どうやら自分の地位を脅かす存在ではなさそうだということがわかると、恵方巻を、まぁ、明るくていいヤツだな、くらいにしか思わなくなった。


 節分当日になり、クラスは慌ただしくなる。
 しかし、落花生は落ち着きなく目を泳がせていた。

「なぁ、炒り豆」

 珍しく自分から炒り豆に話しかける。炒り豆は目も合わせず言う。

「なんだ落花生、君も今日は忙しいだろう。車で行くならタイヤにチェーン巻かないと間に合わないぞ」

「あぁ」

 と言いつつも、やはり目は泳いでいる。

「あのよぉ、昨日まであんなにべらべら喋ってた、恵方巻が、今日ずっと黙ったまんまなんだよ。しかも、ずっと、後ろ向いてよ。オレ、さっきからアイツと目が合うんだけど、何にも言わねぇのよ。アイツ具合でも悪いのか?」

 炒り豆は目を丸くして落花生を見る。

「落花生、君、知らないのか。彼は今日一日、しゃべらないよ」
「なんで?」
「しゃべったらダメなんだよ。福が逃げるって言われてるんだ。それにあれは君の方を向きたくて向いてるんじゃないんだ。君のいる方角が、今年の恵方なんだよ」
「えほー?」
「歳徳神(としとくじん)という神様のいる場所を恵方と言うんだ。歳徳神のいる場所は毎年変わる。だから、今年たまたま君にいる席に顔が向いているだけだ。」

 あんなに口達者な恵方巻が、福が逃げないように、一定の方角を見据えて、じっとその口を閉じている。

(アイツはオレが思っている以上に忍耐強い奴なのかもしれない)

 落花生はそんなことを思いながら、タイヤにチェーンを巻き始めた。
 東の空に、新しい節分が幕を開ける。




当方、埼玉県民です。
関西弁は、吉本新喜劇の雰囲気を思い浮かべながら書いただけの
エセ関西弁です。見苦しい点、お許しください。
20数年前、急速に恵方巻きが関東を席巻しました。
その頃の事を書こうと思ったのに、何故こんな事になってしまったのか、
自分でもわかりません。
私は一体何のためにこれを? という疑問にかられながら書きました。

お読み頂き、本当に有難うございました!