餃子にまつわるドラマの話
私が餃子を好きになったきっかけは、テレビの深夜番組だった。
高校生の頃、眠れずにテレビをつけると、これまで見たことのない番組をやっていた。刑事ドラマらしく、張り込みをしているベテランと新米、二人組の刑事が、町の中華屋に入った逃亡犯の様子をじっと窺っている。
逃亡犯は、餃子とライスを注文した。それを見た新米刑事は
「やっぱり餃子にはビールじゃないですか? ご飯なんて邪道でしょう」
と嘯く。だが、ベテラン刑事はその言葉をたしなめるように、餃子はご飯があってこそだと主張するのだ。
ここまで見て、どうやら普通の刑事ドラマじゃなさそうだと思った私は、かなり遅い時間だったにもかかわらず、そのまま視聴を続けることにした。
逃亡犯の前に、餃子とライスがやってくる。犯人は一人、粛々と餃子を食していく。あの手この手で、ご飯と餃子を楽しむ逃亡犯の様子に、
「餃子にご飯は邪道」
と言っていた新米刑事も、思わず生唾を呑み込んでしまう。
見ているこちらも、同じく生唾を呑み込んだ。
逃亡犯の餃子ライスの食べ方には、いくつかのこだわりや手順があったのだが、唯一、記憶に残っているのは、
ご飯をほじって穴をあけ、そこに焼きたてパリパリの餃子を1つだけ入れて蒸らす。
という食べ方だった。
そんな食べ方があるのかと、思わず目から鱗が落ちる。そうなると、やってみたくなるのが食いしん坊の宿命である。
翌日、私は母に「餃子を食べたい」と訴えた。
それまで私は、餃子というものにあまり良い印象がなかった。
大酒飲みだった父が、汚臭を吐き出して帰宅するときは大概、どこそこで餃子を食ってきた、と話していたからだ。
文字通り、肩寄せ合って暮らすほどの小さな一軒家である。一人が臭いと、家全体が臭い。どこへ行っても逃げ場がなく、家族からすれば大迷惑だった。
そんなこともあり、母が
「今日の夜何食べたい?」
と訊いてきても、私が
「餃子」
と答えることは、一度もなかった。
それなのに、あの深夜番組は、私の口から餃子の一言を引き出したのである。それからというもの、眼中にない食べ物だったはずの餃子は、私の好物のひとつになった。
お酒を飲めるようになるまでは、餃子を食べるときには必ず、一緒にご飯を食べた。番組でやっていたのと同じ食べ方を、ずっと真似ていたのだ。
熱々のご飯に埋めた餃子が、忘れた頃にひょっこり出てくる。
餃子の風味が移ったご飯を食べるとき、何だか自分か少しだけ「通」になったような気がして、内心ほくそ笑んだものだ。
ちなみに今回、この話を書くにあたって、この深夜番組のことを調べてみた。
当時人気だったお笑い芸人、フォークダンスDE成子坂の故・桶田敬太郎さんが出演していたのを憶えていたので、そこから検索してみたら、当時私が見たのは、日本テレビの深夜番組だとわかった。
今すぐゴールデンタイムで刑事ドラマが作れるほどの、錚錚たる面々だ。こうして名前を眺めていると朧気だった記憶もよみがえってくる。
餃子をご飯に埋めて食べていた逃亡犯を演じていたのは、石橋蓮司さんだった。
このドラマがきっかけで餃子を好きになった。
だとすると、ドラマの放映が1996年なので、餃子を好きになって今年で28年。ということになる。
これまで手作りや市販品を含め、様々な餃子を食べ続けてきたが、最近は焼き餃子の油が、随分と胃に堪えるようになった。これも寄る年波。28年の年月を思わせる。
そんなこともあり、最近は買ってきた餃子と豆腐を一緒に煮て、水餃子湯豆腐にして食べることが多くなった。情けないと思うなかれ。餃子の旨味が移った豆腐が、これまた美味しいのだ。
漬けだれはお好みで。ぽん酢に大根おろしを添えてもよし。薬味にかんずりや柚子胡椒、すりだねなど、地方特有の香辛料を揃えるのも乙なものだ。
とはいえ、やはり餃子は焼きが一番。
もし、2年後の2026年まで体調万全で餃子を好きでいられたら、そのときは30周年を祝して、名店の焼き餃子をたらふく食べたいと思っている。
お読み頂き、本当に有難うございました!