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そうだ、あのひとはずっとわたしの味方でいてくれたのだ。ー表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬ー


 

わたしがはじめてオードリーさんのラジオを聴いたのは大学生の頃のだった。それまでラジオといえば、お父さんが車の運転のときにたまに耳にするだけで、ニュースかラジオを流すだけのつまらないものだと思っていた。

そんなわたしがひょんなことからお笑い芸人さんもラジオをやっていることを知り、こんなにおもしろいものがこの世にあるのかと衝撃を受けた。それもおもしろいだけではなく、ラジオに出ているひとたちはみんなわたしと同じようにクラスの隅っこにいるような人間の考えをもっており、そんな人間である自分をおもしろおかしく語り、そんなわたしを肯定してくれていた。

そのなかでもいちばん、若林さんの考えにわたしは共鳴をした。もうオードリーさんのラジオを聴いて8年になるが、そんなに長く聴いているラジオはこのラジオだけだ。哀しいとき、辛いことがあったときは若林さんのラジオのトークを録画したやつを擦り切れるほどきいた。すきなトークは聴きすぎて覚えてしまった。若林さんが出した本もすぐに買って、繰り返し読んだ。若林さんのラジオのトークも本に書かれた考え方も、すべてがわたしを肯定してくれて、わたしの傷を癒してくれて、わたしを救ってくれた。

わたしには友達がいたことがないので内輪ネタというものがわからなかったが、オードリーさんのラジオを聴いてまるで古くからの友人をえたような気がした。オードリーさんのラジオを聴いているあいだは、ふたりの高校時代のアメフトの部室のなかにいるような錯覚におちいった。ふたりが部室で話している何気ない会話のなかにまじって、わたしはただ笑って、うなずいている。そんな心地よい居場所をラジオはくれた。

だから若林さんが結婚をされたときは、まるで学生時代からの古い友人が結婚したかのようなさびしさを感じた。もちろん、そんなことはわたしのような他人が感じるべきではないおこがましい感情だ。しかし同じように感じたリトルトゥース(オードリーさんのラジオを聴いている人間の総称)は多かったのではないだろうか。ネットをみていると、女性や男性も、年齢も関係なく、そんないいようのないさびしさを吐露しているひとが多かった。しかしもちろん同時に、若林さんの幸せをとてもよろこんでいたのもみんな一緒だっただろうと思う。友人の結婚を祝うときは、そんなすこしのさびしさとおおきなよろこびがいりまじるものなのだろうと思う。そんな感情を体験させてくれたのもオードリーさんのラジオのおかげだった。



noteの読書感想文の課題図書に若林さんが出した『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』の名前があった。

この本はラジオでも話していた若林さんの一人旅についてのエッセイがまとめられたものだ。もちろんその一人旅についてのトークもリアルタイムで聴いており、すごくすきだった。本も買っていたのだが、今いる家に引っ越す際にどこかにいってしまっていて、文庫が出ていこともあり、これを機会にもう一度文庫で買った(現在無職で金もないのだが)。ひさしぶりに開いてみると、一気にあの頃の気持ちにひきもどされるようだった。いや、この本自体はそれほど前に出たものではないのだけれど(単行本が出たのが2017年ぐらい)、ずっと昔の自分に引き戻されたような気がした。若林さんの本を読んでいると、あのひりひりとした、自意識のかたまりだった学生時代にもどったような感覚におちいるのだ。この感覚もひさしぶりのことだった。

まるでまた、学生時代の部室にもどったようだった。わたしは現実の学生時代のときには部室にはいったことがないので(部活にははいっていたが周りと馴染めてなかったので部室にはいれなかった)、あくまでそれは架空のものだ。その部室では若林さんと春日さんとわたしがいて、若林さんが「きのう、旅行にいったんだけどさあ……」と話しだし、意気揚々と、その旅行で起こったことをおもしろおかしく語る。それに春日さんが相槌をうったり、つっこみをいれたりする。わたしはそのふたりの会話を、ただうなずいて聴いている。そんな部室が、ラジオのなかに、そしてこの本の中にはあったのだ。

そしてひさしぶりに読んでみて、やっぱり若林さんの話はおもしろいなあと改めて思った。このおもしろい、というのはいろいろな意味がある。純粋にお笑いとしてのおもしろさ、考え方の角度のおもしろさ、言葉のえらび方のおもしろさ、若林さんが周りの人間ととるコミュニケーションの取り方のおもしろさ、若林さんの人間として完全なところと不完全なところのアンバランスなおもしろさ、いろいろなものがつまっている。

しかもありがたいことに、文庫には、単行本にはなかった書き下ろしが大量にあった。キューバの旅行記に加え、「モンゴル」「アイスランド」での旅行の話、さらに「あとがきコロナ後の東京」では、本当につい最近の若林さんのエピソードが追加されており、これもまたおもしろかった。

とくに「あとがきコロナ後の東京」でのこの一文、

この国は世間を信仰している。それが、俺が3ヵ国に行って感じた一番大きい他の国との違いだ。(p326)

のキレの良さは、思わず脱帽してしまった。


そしてそのあとの、巻末のDJ松永さんの解説を読んで、わたしは心底文庫を買ってよかったと思った。

DJ松永さんは今大人気のHIP-HOPユニット、Creepy Nutsのひとりである。わたしがCreepy Nutsのふたりについて知ったのはオードリーさんのラジオに出演してからだった。はじめから松永さんはラジオのなかでぶっとんだ発言をくりかえしており、このひとめちゃくちゃおもしろいひとだな、と思った。するとその後Creepy Nutsさんがラジオをはじめ、初回から聴いたら、これもまたすごくおもしろかった。何度か単発でラジオをやっていて、それもぜんぶ聴き、レギュラーにならないかな、と思っていたら、やっとレギュラーになってよろこんだ。

Creepy Nutsさんのラジオもずっと聴いていたら、気がついたらCreepy Nutsさんもどんどん人気が出てきて、先日は情熱大陸にまで出てしまった。その知らせをきいたときは本当に驚いて、いつのまにかにこんなにすごいひとたちになっていたんだなと思った。家にテレビがないので実家に録画をお願いをした(そんなことをしてまで見たいと思ったテレビ番組は初めてだった)。それまで情熱大陸にでるようなひとたちはみんなはるか遠い人間だと思っていたけれど、Creepy Nutsのふたりは情熱大陸にでていても、変わらずにいつも近くにいる、親しみやすい「近所のお兄さん」のような存在でいてくれた。

Creepy Nutsさんのふたりがわたしと年齢が近いということもまた、親しみを感じる理由のひとつだった。とくに松永さんとは同じ年齢であり、また松永さんもヘビーリトルトゥースだった。つい数日前、松永さんのエッセイが文藝界に連載されているときいて、本屋で読んだ。そのエッセイがまた、ひりひりとした、あの頃の自分に引き戻されるようなものだった。わたしは若林さんのエッセイと出会ったときと同じようなシンパシーを松永さんのエッセイに感じた。こうしたエッセイに出会うことは少ない。似たようなエッセイは多いけれど、それは似ているだけで、同じではない。同じようなものを感じるエッセイは限りなく少ないけれど、そのかわり出会ったときのうれしさはとても大きい。そんなうれしさを、松永さんのエッセイで感じたところだった。


だから解説に松永さんの名前を見つけたとき、心が踊った。そして一行目を読んで心臓がぎゅっと掴まれたみたいになった。

もう10年ほど前になるんですね。俺はあなたのラジオを聴いていました。芸能界という遠い別世界にいるはずのあなたが、まさか自分と同じような傷を負っているなんて驚きました。(p336)

このはじめの一文を読んだときに、ああ、ここにわたしがいると思った。あの頃のわたしが。どこかに置いてきてしまったはずのわたしが。

あなたはいつも、他の誰もいない場所で、俺だけに心の内を話してくれたようでした。俺は安心して、あなたと同じだけ心の内を話しました。あなたはいつでも「そのままで良いよ」と言ってくれました。日常のどんなことに傷つけられても、あなたの元へ逃れることさえ出来れば救われました。(p336)

大学生時代周りと馴染めなくて休学したときも、一年休学して再び大学に行ってもやっぱり友達ができなくてお昼に大学を抜け出して田んぼの畦道でお弁当を開いて一人でご飯を食べていたときも、文化祭で周りが楽しそうに騒いでいるなか一人教室に引きこもってラジオを聴いていたときも、大学を卒業して上京したもののお客様に怒鳴られて一人で泣きながら歩いた帰り道も、東京にも馴染めなくてどこに行ってもわたしは駄目なんだと絶望したときも、実家に帰ってひたすら引きこもっていたあのときも、

わたしはオードリーさんのラジオに、若林さんに、肯定してもらっていたのだ。

わたしがどれだけ世間から蔑まれようと、否定されようと、あのひとだけは、ずっと味方でいてくれたのだ。




若林さんは別のエッセイ本、『ナナメの夕暮れ』の中で、こう書いている。

「一体俺はどこの誰に向けてこの仕事をしているのだろうか」
そんな不安に駆られた時、ラジオ終わりのニッポン放送の裏口に寒さ凍える手でこの連載をまとめた著書やキューバの本を持って「サインしてください」と言ってくれた出待ちの男の子。今日は言わせて、「君のためにこの仕事をやっている」と。(p142)

わたしはこの一文を目にするたびに、涙が出そうになる。そして、「わたしたちのために仕事をしてくださってありがとう」と思う。

いや、松永さんもいったように、仕事をしていなくてもいい、ただ存在してくれるだけでいいのだ。

それだけで、救われる人間がいる。

若林さんはいまでも、ラジオやテレビで、いろんな悩みを吐露することがある。それは仕事上の悩みであったり、生きている上での悩みだったり、さまざまだ。

そのたびにわたしは、「そんなに悩まなくて良いのに」「若林さんはそのままでいいのに」と思っていた。

どうやらそう思っていたのはわたしだけではなかったようだ。これからは松永さんの言葉を借りて、こう言おうと思っている。


「若林さん、健康でいてくれれば良いです。」












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