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愛犬に甘い私と、その私に怒る愛娘


私は愛犬トイプードルの三郎に甘い。

三郎はドッグフードを入れたお茶碗を、鼻でツンツン突っつき、挙げ句の果てにはお茶碗をひっくり返してしまう。すると床一面にドッグフードが散らかり、ときには2、3粒のドッグフードが家具の隙間に入ってしまうこともある。

床一面にドッグフードを散らかしあと、空のお茶碗をくわえながら家族のところにやってきて、目の前でポトリとお茶碗を落とし、クークー鳴いてご飯ちょうだいアピールをしてくる。

私は「サブちゃん、どうして毎回お茶碗をひっくり返すの?」と言いながら、はがきを使って床に散らかったドッグフードを拾い集め、お茶碗に再び入れ、それを定位置に置くと三郎はやっとご飯を食べ始める。

座っている椅子に根が張って「サブちゃん、散らかったご飯、そのまま食べな。」と言って、床に散らかったドッグフードを集めないこともある。誰も集めてくれないことを察した三郎は、床に散らかったご飯を黙々と食べる。その姿もまた可愛い。

食後しばらくすると三郎は、家具の隙間に向かってなにかを見つめながらクークー鳴く。遠目ではドッグフードは見当たらないが、三郎が隙間に向いてなにかを見つめているので、隙間に明かりを照らしながら覗き込んでみると、2、3粒のドッグフードが見える。「サブちゃんすごいねえ!よく見つけたねえ!」と言って、私は三郎を褒める。

怒る気持ちはサラサラない。

私と三郎のそのやり取りを見て高校生の娘は「なんでママはサブに甘いの?!」と不満げに言ってくる。それに対して私は、「サブちゃん、きっとかまって欲しいんだよ。」と答える。それを聞いて娘は「なんでこっちが片付けんなん?!サブがこぼしたんやん。」と言って納得いかない様子である。

三郎と娘がじゃれ合って遊んでいると、途中から三郎が興奮し始め、娘の手や腕に甘噛みをする。娘も負けじと応戦する。その応戦の仕方もなかなか激しい。そうしているうちに、三郎の尖った歯が娘の手に当たり赤くなる。そうなると娘の三郎への攻撃がさらに激しさを増す。

娘は赤くなった手を私に見せながら「サブに噛まれた!頭にくる!」と伝えにくる。それに対して私は「そんなことするからサブちゃんにかまれるんやろ。もっと優しくすればいいやん。」と軽く答える。それを聞いた娘はまたも納得いかない様子である。

相手は犬だよ。話すこともできないし、楽しみも食べるか散歩するかボール遊びをするかくらいしかないんだよ。だから優しくしてあげようよ。そう思って三郎をかばってしまうことは、甘やかし過ぎているのだろうか。

「自分を甘やかしてくれる人は誰なのかサブはちゃんとわかってる。ダメなことはダメと教えてあげないとサブのためにならない。」と娘は言う。

確かにそう。わかるよ。昔、義父母が娘を甘やかしていたら、私も同じように思ったよ。義父は娘に、欲しいキャラクターが出るまで何回もガチャガチャを回させてくれた。娘が食事中によそ見をしてテーブルのお茶をこぼしても、義母はよそ見していたことを叱るどころか、「あ~、お茶こぼれちゃったね」と優しく声をかけながらテーブルを拭いてくれた。こんな時、私は娘のためにならないんじゃないかと思ってたよ。でも、義父母が娘にしてあげたいことだから、私は口を出さない方が良いんじゃないかとも思ったよ。そうやって葛藤してたな。

もしかしたら、私が三郎を甘やかすのは、義父母が娘を可愛がる気持ちにも似ているのかもしれない。三郎は子育てほど手がかからないし、素直で無邪気に懐いてきてくれる。可愛らしくてたまらない。

子育て真っただ中の時は、私も必死。母親1年生であり、どこまで注意したら良いのかもわからなくて、感情にまかせて叱ってしまうこともあった。

自分が幼いときに叱られて我慢していたことを、娘の子育てに当てはめることも何か違うような気もしていた。自分が我慢してきたことも、娘に強制したくなかった。自由な心を持てるような子であって欲しいと思った。

当時は何が正解で、何が間違っているのかはっきりとした答えはわからなかったけれど、その都度自分なりに悩み考えながら子育てをしてきて、時がたった今ならわかることもある。

娘はこの春高校2年生になる。学校の先生との会話、友人関係、勉強などさまざまな話を聞いていると、外の世界で自分なりに考えながらやっているなと思う。私の意見は参考程度に聞いていてくれれば良い。

娘もこの先、大人になって、私が三郎を甘やかしたかった気持ちがわかるようになるかもしれない。私は、その変化をいつか見ることができるかもと思うととても楽しみだ。

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