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32.2011年3月、あの日私が決意したこと



こんにちわ。
都内はずれで2011年から小さな店をしております、ペコと申します。店を始めたきっかけやその後の怒涛の話しなど、いろいろ書いております。
とりあえず、カフェをオープンするところまで。


2011年3月

ほんとうは、テラスか庭が欲しかった。
大きな木の下でコーヒーを飲む。
しかしながら、そんな店は無理。

てことで、店の中に木を入れたいと思っていました。
わたしは散歩好き。
いつも犬と散策していました。
木を見てまわるのも日課だったし、木に話しかけるのも普通だった。

小さいころから不思議とはとなりあわせ。
やはり、おかしいとかかわってるとか思われるかもしれない。
普通になりたいってこだわってきたのはそこにあります。
きっとあんまりダメかなぁなんて思っていたから。

だからあまりここでは書いていませんが、それがこの先思わぬ未来(今)に続いていくのですけど、まだこのころは当たり前の趣味。

わたしは、植物の気持ちを感じたりします。
けれど、基本植物の全ては、あまりしゃべらないと思っている。
ひつこく話しかけても、ほぼ返事は来ないけど、たまーにしゃべったりする。言いたいことがあったとき、ひとりごとは、たまに聞くんです。

木は、いらなくなった枝を、自ら落とします。
嵐や風を利用して。
そんな枝をいただくのです。

普通は落ちてないのかもしれない。
でも、落ちているんだよ、ワタシが行くと。
店の天井には桜とクスノキの枝がさがっています。
たぶんどーぞと言ってくれてるのだと、ありがたくいただいてきたもの。
 
 

1番大きなものは5メートルくらい?
なんと車に入りました。
車に乗るときに、ほんとうに、車に丸まってくれたのよ!

もう12年なのに、生き生きとしている感じがします。
桜には今まで何度も助けられているから一番好きな木です。
 
 

そうして、
テーブルや椅子や家具を決めながら、
もちろん食器も見てまわります。

食器だって好きなものがいい。
1番はカフェオレボウル。
その前にメニューはどうしよう?
歩きたおした理由はここにもある。

で、同時に家も整理して、出てきた引き出物!
案外古くても可愛くて、マッチする食器がある。
おばあちゃんちからきたコーヒーカップとか皿とかかなりいけてたんです!

2011年3月11日。
そんな毎日の中、店の中でわたしは、友達とホームページなどの打ち合わせをしながら店にいて震災にあいました。

外の電信柱が躍っている。電線がはじけていた。
駐車場に停まっている車が左右に跳ねて飛び出しそうに。
道のアスファルトが割れて、生き物みたいに動いていた。
なんだかよくわからない中、あわててコーヒーカッだけを手に持って外に出た。
実は道路で腰が抜けたみたいにしゃがみこみ、たてなくなった。

誰もいなかった道には、こんなにも人がいたのか!
というくらい人がいた。

隣の事務所でテレビを見せてもらって地震を知った。

まだ状況をよくわかってなかったわたしは、友達と居酒屋にご飯を食べに行き、さらに居酒屋のテレビで地震の状況を見た。
それでもまだよくわかってなかった。

駅では電車がとまり、どんどん人であふれ、時間がたつにつれ、ぞろぞろ歩いている人が増え、なんだか疎開?みたいにみえた。
コンビニはパンが無くなりそうだった。

余震もあって、駅前のカラオケボックスに泊まろうかと入ったが、帰れない家族ずれがいて譲った。店に泊まることにした。

だんだん怖くなった。
家に連絡がついたので、帰れない友達とわたしは、店にあったダンボールを使って寝床を作りそこに泊まった。

それからは、店のことはお休み。
しばらく何もせず家にひきこもった。
家にあるものを食べ、買い物も行かず、電気もなるべく使わず、わたしは1週間過ごした。家もあり、食料もあり、暖もとれたけれど、なんとなくわたしも同じ気持ちで生活したかったのだ。

その間わたしはひとりずっとひたすら絵を描いた。

店をやってよいのか。
こんな状況で、新しく始めていいのか?
やめた方が良いのでは?
こんなことよりボランティアに行くべきなのではないか?
わたしはずっと悩んでいました。


「こんな時だから、やった方がいいんだよ」
そう言ってくれた人がいました。

そうそう。
わたしが創作した作品を、「東北の友達に送りたいの」と言ってくれた友達がいたんです。

で、その時思ったのですよね。

ボランティア活動しにいく人も大事。
だけど、わたしが作品作って、それを買ってくれるひとがいて、買った作品を運ぶ運送屋さんがいて、それを受け取り喜んでくれる人がいるならば、わたしも友達も運送屋さんも、ボランティアの中のそのひとりなんだと。

ボランティアに行くことはやめました。

そうしてわたしは、ゆっくりとまた準備を再開していったのです。

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