良いと思っているモノが悪い時もあるし、悪いと思っているモノが良い時もある。
ボランティア、バリアフリー、伝統、アップサイクル、無添加食品、天然素材…
世の中で "良い" と思われているモノ。
化学物質、銃、麻薬、タバコ、お酒…
どちらかと言えば、世の中で "悪い" と思われているモノ。
でもそれって、なぜ良くて、なぜ悪いの?
最近、"自然派" と言われるモノが、とても美化されている感じがしている。
ま、そんな私も介護アロマの世界に魅了されて以来、自然派やら天然素材やら大好きになってしまった一人だけど。
でもずっと好きだったものが "流行" になってしまうと、一歩引いてしまうのよね。
流行がおさまるまで意地でも食べるか!と思っていた、特にタピオカ。
そしたらその間にお気に入りのタピオカ店が閉まってしまって、二度と飲めなくなってしまったり。
まぁそんな感じで、最近はアロマもかなり流行り出してしまったので、自宅で使うだけにしている。
そんな自分を他所に、ぐんぐん成長し続けていくアロマ業界。アロマが普及するのは嬉しい反面、ただ流行に乗っかっただけのアロマショップやセラピストも目にするようになって、ちょっと悲しくもある。
化学物質だから危険…とは限らないし、天然素材だから安心・安全…とは限らない。
アロマも含む、いわゆる "自然派" "天然由来" "オーガニック" と言われる、カラダや環境に「良い」とされるもの。
これらを「良いモノ」として使用している人も多いはず。
それらを良いモノと考えた時、反対に「悪いモノ」とされるのが、化学物質や人工物。
食に関心のある方11名にアンケートを取ったら、91%の方が「食品添加物は良くないモノ」と答えてくれた。
その理由は、化学物質や人工物が原因で、動物や人が死に至るニュースを見ているから。
だからそれに起因して、脱プラスチック化やオーガニック製品が推奨されている。
しかし、化学物質にリスクが潜んでいるからと言って、化学物質がすべて「悪」で、天然物が絶対に「良」とは言い切れない。
例えば、豆腐づくりに欠かせない「にがり」とは、"塩化マグネシウム"という"凝固剤(食品添加物)"であり、これがなければ豆腐は作れない。
__ そもそも「にがり」が何かという話なのだが。
にがりとは、"海水から食塩を晶出させたあとの溶液で、塩化マグネシウムを主成分とする凝固剤(食品添加物)"、つまり、豆乳を豆腐へ固めるための、天然素材を由来とする人工物であり、化学物質であり添加物なのである。
日本人の象徴である「ご飯」も、お米を炊くという行為によって、人は自分の手で米のβ-デンプンをα-デンプンに変えた化学物質なのだ。
それは、生米(β-デンプン)のままでは消化不良を起こし下痢を引き起こすからであって、人は米という天然物をあえてご飯という化学物質に変えているのだ。(←極端に言えばね。)
…そう考えると、必ずしも食品添加物 = 良くないモノという方程式は当てはまらないし、
また、添加物・人工物 ・化学物質≠ 天然素材という方程式も必ずではなくなる。
*食中毒の原因として約90%を占める "細菌" "ウイルス" を回避するために使用されている防腐剤(保存料)のおかげで、私たちは食中毒から守られてもいる。
(次いで、*自然毒による食中毒が6%、化学物質による食中毒は1%しかない。その1%を恐れるなら、かなりの確率で細菌やウイルスにやられてしまう。)
*農林水産省HPより
また、「ヒトに対して発がん性がある」と分類されている105品目の中には、"太陽光" "木材の粉塵" も含まれているし、フグやキノコなど、天然物でも毒があるモノはある。
これを聞いたら、天然素材=良いモノと思っている人も「太陽の下に出るのはやめよう」「木製のおもちゃや家具は使わないようにしよう」という考えに至る…ことはないはず。
「食品添加物は良くないモノ」という考えで私もいたけど、私は添加物についても天然物についても化学物質についても、知らなすぎているだけなのかもしれない。
「添加物は良くないモノ!」とちょっと知っていた私より、添加物のことなど気にせず食している人のほうが、もしかすると安全に生きているのかもしれない。笑
人はAという物質に少しでも「リスク」を発見すると、どんどんAを完全に良くないモノと思い込んでしまい、極端にAを排除し、対の関係あるBに走りがちになることは否めない。
__ Bという物質に潜む「リスク」を忘れて。
神様が造られた世界はリスクだらけ?
この世界に存在するすべてのものにリスクがある。リスクがないものは何一つない。なんと、国際がん研究機関(IARC)が発表している発がん性の分類に、「ヒトに対して発がん性がない」というグループは存在しないのだ。
神様が造った自然のものなのに?
…そう、神様が造ったものなのに、すべてのものがヒトに対してリスクがある。
それはなぜか。
答えはシンプル。人が神様に背いたことで、自然界がのろわれてしまったから。
もっともエデンの園においても、「善悪の知識の木の実」は、食べればと死ぬと言われていたので、創造のはじめからリスク(=危険)はあったことになるのだろうけど。
リスクマネジメント=危険の排除 ではない。
天然物だから大丈夫、ではない。私たちは、それが天然物であっても人工物であっても、リスクがあることを知る必要がある。
ただし、イコールすべてのものが「悪いモノ」という方程式を述べているのではない。
何度も言うけど、少しのリスクを発見したからといって、100%悪いモノになるわけではない。
モノにはそれぞれに「影響量」というものがあって、"摂取しないことがリスク"になるときもあれば、"摂取しすぎることがリスク"になるときもある。
リスクマネジメントとは、危険となるモノ・コトを排除することではなく、すべてのモノ・コトを知ることこそ、正しいリスクマネジメントと言えるのではないだろうか。
…と、ここまで書いてきたのは、この現象が、教会においても起こっていることに、私はリスクを感じているから。
教会における「排除」というリスク
さて、これまでの視点から教会という組織を見たときに、クリスチャンに起こる次のような問題を私は危険視している。
□ きよくない(と思い込んでいる)モノ・人とは付き合わない。
□ 聖書に「悪いモノ」として記されているモノ・コトを徹底的に批難する。
□ そうしている自分は「聖」であると自負してしまう。
添加物・化学物質は「良くないモノ」と思い込んでしまっているように、クリスチャンは「悪いモノ」と思い込んでしまっているモノがないだろうか。
キャバ嬢やホストとは付き合いません。なぜなら遊興は悪いモノだから。
神社・仏閣には絶対に行きません。なぜなら偶像礼拝になるから。
お酒は絶対に飲みません。なぜなら私はクリスチャンだから。
これは実際に聞いたことがある声。しかも一人や二人ではなく。このような声は、この3つにとどまらない。
… でもその方程式って、本当に成り立っているのだろうか。
キャバ嬢やホストと付き合わないこと。神社・仏閣には行かないこと。お酒は絶対に飲まないこと。それはリスクマネジメントではない気がする。
「遊興」とは何か、「偶像礼拝」とは何か、「酩酊」とは何か、どこまで知っているだろう?
そこで働く人たちのこと、参拝する人たちのこと、お酒のこと、どれだけ知っているだろう?
知っているようで、私たちはほとんど知らないことが多い。
もしも排除するほど私は知っていると自負できるとしたら、イエスさまが積極的に遊女や取税人と関わられたことや、パウロが占い師と関わったこと、テモテが健康のためにお酒を勧められていることも知っている… よね?
きっと私たちは、聖書のことも、知っているようで知らない。
そして念を押して言っておくけど、私がこう言っているからといって、イコール「だからガンガン、キャバクラ行こうぜ!」「神社にお参り行こうぜ!」「居酒屋行って飲み放しようぜ!」という方程式にもしないでね。
「知る」に「知る」を重ねて、愛のある「行動」を選択できたらいいな、と切に願うばかり。
参考文献:目からウロコの化学物質30話 安全?危険?リスクの真相(坂口正之 著/丸善株式会社 H21. 1. 30)
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全国・海外、巡回奉仕いたします。次世代クリスチャンたちの自立のために、私たちを用いていただけたら幸いです。
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