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ゼロから

「1から。いいえ、0から」

とあるライトノベルが原作となっているアニメーション作品のセリフです。

アニメーションでいうとシーズン1の18話に該当します。

このアニメーション作品はとても人気の作品で、
18話は「神回」としてインターネット上などで話題になっています。

意味伝説になっているといっても過言ではないでしょう。
ちろん原作のライトノベルの方も人気のようで、
現在でも話は続いていると思います。

もしもご興味があれば是非ご覧になってみてください。

この作品の中では、主人公は大変な苦労を強いられてしまいます。
主人公はそれでも、その場を何とか乗り越えようとしているわけですが、中々うまくいきません。

ついに、主人公が絶望してしまった際に、
他の登場人物が主人公に掛けた言葉です。

ちなみにこの物語ではたくさんの女性キャラクターが出てくるのですが
ヒロイン級のキャラクターが2人存在しています。

どちらが「メイン」ヒロインかというと、
これはきっと大論争になってしまうと思います。

公式にはどちらがヒロインかが決められているのかもしれませんが、
議論の余地は十分あると思います。

言い方を変えれば、ヒロインが2人いると錯覚させるほど、
魅力的なキャラクターがたくさん出てくる作品ということです。

さて、アニメーションの世界か否かに関わらず、
何事もうまくいかないときもあると思います。

ニンゲンなんてそんなものです。

そんな時、冒頭で触れたアニメーションのように絶望したり、
すべてをリセットしたい時もあるかと思います。

なにもかも上手くいかない。
だから、全部をなかったことにして、最初からやり直したい。

そんな感じでしょうか。

そのようなある意味ステキなことができれば、
とっても人生が楽になると思います。

この先何が起こるかがわかった状態で
もう一度やり直すことができるのですから。

多分後悔するような結果にはなりにくいでしょうし、
そんなことが続いてくれれば、ストレスも感じないでしょう。

しかし、もうお分かりの通り、そんなことはできません。


歴史上に存在する偉大な哲学者たちも、
同じようなことを考えていたのかもしれません。

例えば、哲学者キルコゲールは、絶望を「死に至る病」と揶揄しました。

文字通り、絶望したニンゲンの先にはそのような未来が訪れてしまうということでしょう。

もっとも、死は誰にでも平等に訪れるのですが……。


また、哲学者のニーチェは「ニヒリズム」つまりすべてに対して価値を見出せないということがニンゲンに起きてしまうというということを指摘しています。

その後の彼の主張は省きますが、要するにどの時代のニンゲンでも、
そのような状況に陥ってしまうことがあるのです。

特に、明るい未来を想像できない現代社会ではなおさらそうなってしまうかもしれません。

世界のすべてに価値がない。だから、何もかもどうでもいい。


果たして、本当にそうなのでしょうか……?

確かに、世の中のすべてが嫌になり、
生きている意味すら分からない時もあるかもしれません。

しかし、どんな状況であれ基本的にヒトは1人では生きていくことはできません。

どこかに、自分は全く気がついていないかもしれませんが、何らかの形で気にかけてくれるヒトがいると思います。

そんなヒトと向き合うのは、今は難しいかもしれませんが、少し休んだらそれもできるようになるかもしれません。

この小説の冒頭で示したセリフの直後、主人公は絶望から脱します。
主人公や他のキャラクターを取り巻く絶望的な状況は全く変わっていないにも関わらずです。

もちろん「それはフィクションだ」と言ってしまえばそれまでですが、それでは話が進みません。

要するに、身近にいる人の存在が、
案外助けになってくれる場合もあるかもしれないということです。

疲れてしまった時、もう何もしたくない時、
すべてを終わらせてしまいたい時……。

本当にすべてではなく、
心だけを「ゼロ」にしてもいいのではないでしょうか?

その後のことは、またその後に考えればいいのですから。


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