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名前のはなし

すこし前にnoteのクリエイター名を変更したが、わたしは実生活でも名前を変えたことがある。

別に珍しい話ではない。結婚した時の話だ。

旧姓は数は多くないものの全国的にまあまあある苗字で、読み方はやや特殊だが、間違えられることはなかった。
結婚したところ、新しい苗字は難しい漢字こそ使わないものの、やや珍しい苗字になってしまった。

電話口では必ず聞き返される。
「剛田さんですか?」と何度か聞かれたこともある。割と違うし、それはジャイアンである。
先日行った近所のクリーニング屋でカードを作る際、70代後半くらいの店主のおばあちゃんが対応してくれたのだが、5回くらい聞き返された末に「人生で初めて出会った苗字です」といわれた。光栄だかなんだかよくわからん。

そんなやや珍しい苗字になって5年以上が経っている。
大学卒業後に出会った方々は全員わたしを今の苗字で認識しているし、わたし自身もその苗字と名前の組み合わせにすっかり慣れ、旧姓の存在の方が薄れていた。

郡山に戻って来て1ヶ月ほどたった頃、地元銀行の口座を作成した。
申請書に氏名を記入し、窓口に出す。身分証の提示をもとめられて免許証を出したら、窓口のお姉さんが困ったように教えてくれた。
「お名前が違うようですが…」
驚いて申請書を見返すと、なぜかわたしは旧姓で自分の氏名を記入していたのだ。

5年間、一度も間違ったことなんてなかったのに、ここに来て。

理由はなんとなくわかる。
結婚生活を営んだ土地を物理的に離れたことで、わたしの心も完全に離れていたのだ。
それにしても、こんなにあっけなく、無意識に名前を手放そうとするなんて、我ながら薄情である。

それ以降、なんだか自分の名前が宙にふわふわ浮いている気がしてしまって困っている。
本当の名前も、旧姓も、どっちにしてもしっくりこないのだ。
靴を右左逆に履いてしまったような、そんな感じ。

名前というアイデンティティの喪失だ。

わたし自身としては、旧姓のころの自分も今の名字の自分も、どちらも自分として誇りをもっているつもりではある。
しかし、離婚が成立し苗字を旧姓にもどすまでの間、こんな宙ぶらりんな感じなのかと思うと気が滅入る。

姉も一度離婚を経験しているのだが(完全に事故のような結婚だった)、先日、婚姻時の苗字を聞かれた際に全く思い出せていなかった(わたしが助け舟を出した)。
早くその境地に達したいものだ。

実際はそんなふうに割り切れないのだが、こんなとき、下の名前の存在に救われる。
大人になると下の名前で呼び合うことはあまりなくなるが、親がつけてくれたこの名前だけが自分自身だと感じるのだ。

名付けるって、尊い行為だ。
わたしの名前は、春の花の名前にちなんで名付けられた。
両親はわたしが生まれた時、その名前のように、明るく、人に元気を与える人間に育ってほしいと願ったそうだ。

そんな人間にはまだなれていない。
だけど、わたしはことあるごとに名前の意味を思い出し、そうありたいと思って生きて来た。
何度も何度も軌道修正しながら。
だからわたしはこの名前に恥じない人間になることを、生涯の目標として生きていく。

そしてわたしも、2人の子どもに名前を与えた。
彼らの名前が、この先の彼らの心を守る盾になってくれたらそれが1番嬉しい。

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