見出し画像

#5 マジョリティは自分がマジョリティだと知らない

 出勤のある日はだいたい6時頃に目覚ましをかけて起きる。夜更かしをしてしまうのは自業自得なところもあるけれど、よくて6時間、3時間半くらいしか眠れないまま起き上がることもある。一番のラッシュアワーを避けるために早めに家を出るので朝の時間はあっという間だ。それでも、寝坊のせいで遅刻したことはないし(過去に事故で2時間缶詰めにされてしまって間に合わなかったことはある)、余程のことがない限り、お弁当を用意しながら朝ご飯を食べた後、着替えて化粧をする。

 アルさんは午前中がとくに体調が悪いので、朝は私と同じときに起き上がって私のためにパンを焼いたりお湯を沸かしたりしてくれる日もあれば、私が出勤してしばらくするまで起き上がれない日もある。

 眠くて寒い冬の朝などは「うぅぅ、アルさん起きなくてよくて羨ましい」とついつい思ってしまうが、そう思いながらでも起きて仕事に行けるのは私が健常者だからだ、ということを意識するようになったのは実は最近のこと。特にストレスが多い職場に行くときなどは自分を憐れむ感情が大きすぎて、寝息をたてているアルさんのことをずるいなぁと感じてさえいた。せめて見送りくらいしてくれればいいのに、そのくらいはできるんじゃないの?と健常者は思ってしまいがちだ。

 実際のところ、アルさんは余程体調が悪いとき以外は私が出勤する前に一度は起き上がって私を玄関で見送ってくれる。少し元気が出るときは近所まで、かなり元気がでるときは駅まで送ってくれることもある。そうやってできる日もあるんだから、もっと頑張ったら毎日起きられるんじゃない?生活リズムも整うし、毎日起きた方がいいんじゃない?と善かれと思って口に出してしまったことも一度ではない。そして、これはおそらく多くの健常者がついつい思ってしまうことなんじゃないかと思う。

 毎日、十分睡眠時間をとって、しっかり満足がいく食事を好きなタイミングでとって、やりがいがあってきちんと報われる仕事をしている、なんてひとはほとんどいない。みんな、寝不足だったり、食事も思うようにはとれなくてサプリや野菜ジュースで誤魔化したり、やりたくない仕事をしたり、逆にやりがい搾取されたり…。自分だってこれだけ頑張っているのだから、他の人ももっと頑張ればいい、頑張れるはずだ、と思うようになってしまいがちだ。冷静に考えてみれば、社会全体が窮屈になっているのだから、もっとそれこそ「ゆとり」が必要なんじゃないかな、と思うのに、知らず知らずのうちに自分自身も「やればできる」という精神主義に侵されてしまっている気がする。

 しかし、「やればできる」と「無理」の境界線は一律ではないし、それは精神力でどうこうなるものでもない。「私にはできた」「私はやっている」といったところで、それが誰にでもできる理由にはならない。当たり前のことだけれど、自己責任論と精神論が蔓延している日本社会ではこのことが理解されていないし、頭で理解しているつもりでも日々の生活の中で気をつけていないと忘れてしまうことなのだと思う。

 なぜ、忘れてしまえるのか。

 それは私がマジョリティだからだ。マイノリティは自分がマイノリティであることを忘れることができない。差別的に扱われたり、必要な援助が得られなかったり、自分がマイノリティであることを意識させられる出来事に絶えず遭遇するから、自分がマイノリティであることを繰り返し思い出さざるをえない。それに対して、マジョリティは自分がマジョリティであることを意識する必要がないし、意識せざるを得ない機会などないに等しい。それどころか、マジョリティだのマイノリティだのと自分が置かれている社会的な立場について考えてみる必要もない。簡単に言えば、自分がマジョリティだと知らないのがマジョリティの特権なのだと思う。

 女性差別について発言しているとき、男性からの思いもよらなかった反発に出会うことがある。それ以外の話題では理解しあえるのに、女性差別の話になると突然「それは男性差別だと思うんだよね」とアファーマティブアクション批判が出てきたりする。男性は自分たちがマジョリティであり抑圧者であることを「知らない」のだと思う。知らなくても不便ではないし、むしろ得をしてきたのだけれど、それが当たり前だから得をした覚えもないし差別をしたつもりもない。でも、それこそがマジョリティの特権なんだと知ってほしい。

 同じような構造が、健常者と病人という関係にも当てはまる。特に、私は家族ともども健康な方で病院にもほとんどかかったことがなく、自分が健康だということをあまり意識しないで生きている。若い頃から徹夜が苦手でうっかり完徹でもしようものなら翌日グダグダになる方だったけれど、まったく起きられないというようなことはない。それでも、風邪もひくし熱もだすし、胃腸は弱いし、ものすごく丈夫でもないと思ってきた。要するに、自分がマジョリティであるかどうか、考えたこともなかった。そもそも、そこにマジョリティとマイノリティという関係性があることにさえ無自覚だった。

 アルさんと一緒に暮らすようになって、これまでは意識しなかったことや気づかなかったことを考える機会が増えた。脚を骨折しているなどの目に見える大怪我や38度の高熱といった症状であれば、無理をさせられないことが理解できるひとは多い。しかし、目に見えない病気の場合、社会はそのひとに絶えず「本当に体調が悪いのか」証明を求めるようなところがある。私もアルさんの「体調が悪いのか」「たまたま寝ているだけなのか」を確かめてしまう癖がなかなか抜けない。でも、そんなもの、本人にだってわからないこともあるだろうし、それをいちいち確かめられることは「もっと無理をしてほしい」と言われているのと同じになってしまう。

 さて、ここまで気づいたなら、完璧な対応ができそうに思えるが、全然できてないのが現状で…。でも、気づけたなら改善できるはずなので、世の男性にはもう少し性差別について自覚をもってほしいなぁとも思うのである。

To be continued...


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?