見出し画像

8月の夜、下北沢の光の中で

光の中、
うたっている、おじを見た。

これが、”おじ”じゃなくて
”彼”とか、或いは”待望の”なんて言っちゃったりとか
はたまた言葉通り、そこにいるのが”輝く存在”であるならば、
そりゃあ、もっともっと迫力のある出だしを書けたのだと思うのだけれど、
まごうことなき、おじさんだった。
なんなら、濃いキャラのバンドメンバーの中で、おじさんがいちばん地味まであった。

おじ、と呼ばせていただいている人がいる。
勝手にそう、呼んでいる。
「ヤマサクセン」って、長いし呼びづらいし、漢字で書くと”山作戰”なので、”戰”の字が難しい。
「ヤマサクセンさん」と呼ぶのを諦めようと思ったそのころ
彼は、静岡に旅立って行った。
そこは、わたしの生まれ、育った町だった。

「故郷に住んでいる、親愛なるおじさん。その名は山作戰」
みたいな気持ちを略したら、「おじさん」になってしまった。
今ではなんとなく、親戚のおじさんみたいに思っている。

その”おじ”が、下北沢でライブをすると聞いたので見に行ってきた。
あの、向井秀徳さんのオープニングアクトということで
恥ずかしながらわたしは、向井さんの音楽をぜんぜん聞いてこなかったのだけれど
連れが、向井さんのファンだというので、連れ立って旅立つことにした。

開演のぎりぎりに、懐かしい煙草の匂いーーーあれはライブハウス独特の、微弱な換気システムに対し、燃え上がる煙の本数が多すぎるあの感覚ーーーを飛び越えて
19時ちょうど、おじはバンドメンバーと共にステージに立って
そして、歌い始めた。
光の中、確かに。

おじが、静岡に移住したのが12年前と聞いて、驚いた。
わたしはおじが、東京に住んでいる頃に知り合って、町田で一緒にスタジオに入ったことがある。
そうだ、そのころに話したんだ。静岡に行くんだって。
だからもう、知り合って13年とか14年経つし、ずっとではないけれど、定期的に気にかけてもらっていた。
演奏に誘ってもらったり、ライブに誘ってもらったり
未熟なわたしに、手を差し伸べてくれていた。
まあ、本人がどう思っていたかは知らないし、知らないままでいいけれど。
わたしはその手を、今日まで忘れていない。

順風満帆とは、真逆の12年だったと思う。
と言ったら、失礼だとは思う。
そもそも「順風満帆ってナニ?」と聞き返されちゃうと思う。
そんなのわたしだって知りたいよ。

「苦しいこともたくさんあっただろう」なんて言ったら、生意気だろうか。
わたしは生意気なので、そう言うけれど。
もちろん良いことも、喜ばしいことも、たくさん、たくさんあったと思う。

それ以上にたくさんたくさん、乗り越えてきたのだと思う。
この12年のあいだ、静岡で何度か、おじの歌を聞いた。
「ちょっとしんどそうだな」って思ったことも、そういうふうに感じてしまう歌だったときもあった。正直、あった。

でも、おじはいま、光の中で歌っている。
そして、笑っている。

ライブが終わったあと、鳩子さんに挨拶をした。
「ま、ま、松永ちゃん…?!?」と、いつもの声で驚いてくれて、それもまた安心した。(ライブに行くことは、特に伝えていなかったのだけれど、顔を見たら吸い寄せられるように声をかけてしまった。わたしは彼女のこともまた、親族のひとりのように思っている)

「良いライブだったね。良いバンドメンバーに会えたんだね」と、わたしは言った。
そうなんだよ、と鳩子さんは頷いた。

「でも、あんなにはしゃいじゃってねえ……おじさんじゃないみたいでしょう?」
鳩子さんの、その言葉には首を振った。
「はしゃいでいいんだよ」
そしてもう一度、「おじさん、カッコよかったよ」と言った。

順風満帆とは、真逆の出来事もたくさん、たくさんあっただろうと思う。
苦しさというのは、決して幸福では打ち消されない。
時折訪れる有り難い出来事に手を引かれ、そしてまたぶん殴られる。
人生っていうのは、それを繰り返してゆく。

それでもまだ、歌っている。
バンドメンバーの音に、背中を押されて、肩を叩かれて
そして、笑っている。

気になる人はおじさんの曲を幾つか聞いて欲しいのだけれど、
このひとの曲は、あんまり笑える感じではないというか(いま必死に言葉を選んでいる)
「ハッピーを押し出す」の真逆というか、

だからこそ、鳩子さんは「おじさんじゃないみたいでしょう?」と言った、というのもひとつある。
おじの曲は、孤独な人にこそ優しく寄り添う物語ーーーみたいなのが、昔は多かった。
何かが欠けてしまった人にこそ、それに気づいた人にこそ、刺さる音だと思う。
こんな小娘にアレやコレや語られるのもシャクだろうからこのへんにしておくけれど、おじは孤独を愛し、同時に人を愛しているのだと思う。

その孤独と、他者への愛のバランスを何度も何度も煮詰め直して、作り直された音や曲ではないだろうか。
その期間、12年以上。
このひとは、戦い続けてきた。
そしていまも、戦っている。
笑っているけれど、決してゴールではない。
この人はきっと、走り続ける。

いま走っている。

ああ、わたしも折れてはいけない。
おじの横顔に、そんなふうに思う。
わたしは、おじを、「おじ」と呼ぶひとりの小娘で
この人が歌って紡いだ魂のバトンを、勝手に受け取った、受け取らせていただいたひとりなのだ。
それを、次の世代に、次の誰かに紡ぐ責務がある。
それは義務ではなくて
わたし自身が選ぶ、道なのだ。

その夜、
わたしの命はもう、わたしのものではないかもしれない。という不思議な感覚に襲われた。
こうして託されたバトンを、誰かの言葉を、幾つもの願いを
伝えるために、叶えるために、生かされた命を使わなければいけない。
わたしがわたしの勝手で、それを辞めるだとか投げ出すとか、
言葉にすると安っぽくなってしまうのが歯がゆいけれど、なんだかそんなふうに思った。

わたしの命はわたしのもので、わたしは自由だと思ったいたけれど
もはや、そういう次元ではなく
わたしの命に、たくさんのバトンとか、魂のカケラとか、想いのようなものが乗っかっていて
その燃料を燃やして、今日も生きているのだとしたら
わたしも、還さなければならない。
いや、これは頼まれごとや責任じゃなくて、意志として
わたしを生かしてくれた世界の、ひとりの子供として
わたしは、返していきたい。

続けることや、諦めないことが正しい、とは決して思わない。

わたしは、noteの毎日更新に甘え、無益な安寧を買っていると思っている。
毎日更新を辞めることを目標にして、もうすぐ1年が経つ。手放す勇気がない。
続けるも諦めるもただの結果でしかない、なんてことはもうよくわかっている。

わたしがその夜、下北沢で見たのは
「続ける」が見せてくれた、勇気の物語
「諦めない」が奏でた、まばゆい光

その裏で、ひとつを続けるためにひとつを失い
諦めない代わりに、”手放してしまったもの”の、幾つの残骸が転がっていたとしても!

それをわたしが、理解できなかったとしても
いや、当然に理解することはできない。
光の中では、光の責務があって、それは残骸を蹴飛ばすことだった。

眩しかった
カッコよかったよ、おじさん。ほんとうに。

知り合い、ましてや親戚のように思っている人のことをこんなふうに書くのは気恥ずかしくてたまらないのだけれど、
このエッセイは、鳩子さんに捧げようと思う。
誰よりも山作戰をそばで支え、共に乗り越えてきた彼女に。
そして、わたしの文章を読んで、「ほんとうにすごいねえ!!」と褒めてくれる、彼女に。
おじのことを書くと、いつも「ありがとう」と言ってくれる、彼女に。

確かに、おじさんと鳩子さんの活動、活躍に救われた命だよ。
いやあ、こんなこというと重たいか。いつもみたいに笑って聞き流して欲しい。
そっちに帰ったら、ビールでもおごってください(最近ほんの少し、飲めるようになった)

またこの夜に、おそろいのTシャツを着ている人がいて、なんだか嬉しかった。

2023年夏
山作戰のTシャツ
かわいいので一族みんなの分を購入
わたしは右上のやつを着てるよ

そのうちのひとりは、12年前に町田WESTVOXで同じ時間を過ごした仲間
ーーーいやもう、仲間だよね??
わたしはライブハウスのスタッフではないし、平等にライブを見に来た。
そして12年以上、ひとりの、同じおっさんを推しているんだから、それってもう仲間だよね?
そう、そういう仲間がいて
わたしはおじさんのライブで、懐かしい顔に会えるのが、とんでもなく嬉しい。
だってもう、12年だよ?
みんなに会うとねえ、あのころを思い出せて、わたしすごく嬉しい。
ただの小娘になって、甘えられるような気がして。

そう思ったら、お揃いのTシャツを着ている人たちにも、声をかけたかった。
他愛のない話を、したかった。
ついつい、ライブハウスに勤めていたころの、あの頃のノリで、声をかけてしまいそうだった。

次からは、話しかけてもいいかなァ
同じオッサンを推している同志として
なんだか、少し目が合った気がして、そのときにはお互いに、笑っていた気がしたんだよ。

8月の下北沢で目撃した25分のステージの感想文と、
その日の嬉しかった出来事の記録は、以上となる。

なんだか書かなければいけないというか、書かなければ負けたような気がして
いまは、自分の直感以外に信じるものなんて特にないので、ここまで書いてみたのだけれど。

生かされた命が、次の何かになれば、なんてね。

そんな小難しいことはいいから、おじさんの歌でも聞いていってよ。

わたしがこの日、下北沢で見た感動を、あなたへ
(この日のライブ映像です。前編見れちゃうの!!すごくない??)

「はじめにうたありき」は何度聞いても心臓を掴まれる
ライブハウスで働いてたとき、よく聞いてた(作業中とか、転換中のBGMでね。ほんとによく流してたんだよ。でね、「この曲だれの??」ってアタシ聞いたんだ。忘れないよ



※この日の夜の日記。
下北の特別なスターバックスと、王将が最高だったっていう話


※6月にも見た、おじさん"たち"のライブ感想文


※その他、山作戰ってワードが出てきてしまったエッセイたち



下記、家族へ。私信
(メンバーシップ”家族通信”に入ってくれている親愛なるひとを、”家族”と呼ばせていただいています。いつもありがとう)


ここから先は

3,671字

スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎