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希望のタスマニアデビル #3月のライオン 17巻に宛てて

後半部分に、”3月のライオン”のネタバレを含みます。
ネタバレ話の直前にまたアナウンスするので、そこまではどうか安心して読んでください。(それまでは、わたしの思い出話です)

十五年ほど前、痩せ細った狼を拾った。
もちろんそれは実際の狼ではなく、幾つか年上の男だった。

言葉通りに痩せ細り、目深に被った帽子から表情を読み取ることができず
ステージの上で、吠えていた。

彼そのものと、言葉のひとつひとつが鋭利な刃物のようで
見入って、目が離せなくなったことを覚えている。

(このヒトは、かつてのアタシだ……)

若い頃っていうのは、すぐこういうことを思いたがる。
でも、確かにそう思えた。
本人は至ってマジメなのだ。

このころわたしは、豆柴のように飼い慣らされていた。と、思っていた。
それから十五年も経てば「あの頃はトンガッてたからね」なんて周りに笑ってもらえるくらい、実際にはトンガッていたのだけれど
自分の中では、既にキバは折れていた。

十代のころ、タスマニアデビルのように獰猛だったわたしのキバは
二十を少し過ぎる頃には、良質の”やさしさ”という餌を与えられて、豆柴くらいには人懐こさを持ち合わせたタイプのよく吠える子犬になっていた。

わたしは、狼に焦がれた。
これは、わたしの折れたキバだ。
この男と一緒にいれば、タスマニアデビルのわたしに戻れるかもしれない。

一生分の勇気を振り絞って、声をかけた。

「あの、わたしたちの企画ライブに出てください…」




FF9というRPGを覚えているだろうか。
わたしは、中学生の頃にプレイした。
それから、何度も、何度も。

2回目以降は、最後までプレイすることは少なかったのだけれど(わたしはすべての冒険の終わりが寂しくて、寂しいのが得意ではない)
序盤の、ピナックルロックスには何度も訪れた。

ここでは、召喚獣ラムウの試練があり、操作キャラがジタンからダガーに変わる。

ラムウは、6つの物語の欠片を探し出し、正しく並べることが試練だと言った。
但し、物語は5つの欠片で完結し、ひとつは過ちである、と。

試練はそれほど難しくなく、容易く一から四までを並べることができる。
これが、四

▼沈黙
その帰り、一同は裏切り者ボーゲンの罠にはまるが、ヨーゼフの犠牲により脱する。
だが、町に戻った小隊は、父の帰りを信じて待つヨーゼフの娘ネリーに、
何も語らず黙って去ったという。

そして、2種類の五

▼英雄
後世の歴史家は分析する。
落石が裏切り者の罠だとしても、娘が親を失ったことに変わりはない。
故に言葉でなく死にむくいる行動で語ろうとした、後の英雄をうかがわせる話、と。

▼人間
後世の歴史家は分析する。
落石を、裏切り者の罠とした彼らの報告は、あやまちを隠す偽り。
娘に黙って去った行動が、彼らの後ろめたい立場を示す。
英雄もまた、人であったことを表す話、と。

ゲームでは、五のどちらを選んでも進行し、召喚獣ラムウは仲間に加わる。
その後のストーリーにも影響はない。

いまでも、答えはわからない。
何度も答えを行き来したけれど、
生粋のタスマニアデビルは、【英雄】を選ぶ。

どちらも十五年よりずっと前の話で、
今では「人間」を愛おしく思う。
牙は折れたのか、そのことを悲しんだこともあった。
「負の感情を頼りに生きなくてもよくなった」と言われたことに救われ
どうしても負の感情を殺せなかった自分を憎み、半分は安堵した。

寄る辺ない孤独を、いまでも愛している。

それでもわたしの孤独は、偽りなのだ。
家族がいる。
友がいる。
帰る家がある。
食事に満たされた冷蔵庫がある。

わたしは、人間である。

そして、幸福であるすべてから逃げ出したくなる瞬間は、いまでも訪れる。
わたしの中のタスマニアデビルが、心臓をひっかく。
まだ君がいてくれたことに、どうして今でも安心してしまうのだろう。

違う、満たされたかったわけではない。
幸福になることは怖い。
足りないものを埋めるように、寂しさと悔しさを原動力に、痛みを糧に
わたしは、次の作品を”作り”続けたかった。

あなたがいることで、弱い自分になってしまうことを
あなたがいることで、欲を失うわたしになることを
わたしは、いまでも恐れている。
あなたを頼ることと、抱きしめることを。

あなたと共に、生きることを




長い年月、少なくとも我々にとって長い年月を経て、人間になった男の子がいる。
彼もまた、痩せ細った狼だった。
名前は、桐山零。

ここからは最近の”3月のライオン”のネタバレを含みます
(17巻以前の巻も含む)
ライオンと羽海野先生を愛する同志は、読了後にまた来てくれると嬉しいです。

れいくん(左)と
はるのぶくん








▼ここからネタバレ部分▼





ひなちゃんに「好きだ」と告げたあとの、れいくんはとても柔らかくなって
ひなちゃんもまた、どんどん幼く見えるようになってきた。
それは、年相応の子どものようで
君たちが本来持ち合わせている、常夜灯のような光で
ふたりのことを、微笑ましく見守っている。

でも、れいくんは将棋の棋士で、
苛烈をゆくひとで
どれだけ仲間がいても、ひとりで勝負の舞台に立たなければいけないひとで
勝ち続けなければいけないひとで
それが”仕事”というのだから
ああ、書いているだけで胸が詰まる。

ああ、将棋なんかやめて、ひなちゃんと結婚しちゃいなよ。
なんて、大変失礼なことすら思ってしまう。
何がシアワセかなんて、他人にはわからない。

コイってのは、厄介だ。
わたしは、コイがあんまり得意じゃない。
何かと、両立することができなくなる。

わたしが二十代の半ばでコイを手放した最大の理由は、
豆柴でもなくなって、野生を知らない猫のようになってしまうことを、恐れたからだった。
ああ、このひとと一緒にいたら「シアワセになっちゃう」と思ったら、耐えられなかった。
お金の心配なんてしなくてよくて、仕事もしなくてよくて、安心して子どもも育てられるだろう、なんて思ったら
それはもう、25歳のアタシが欲しい未来じゃなくって
アタシはずっと、ずっと、ほんとは、タスマニアデビルでいたかった。
ほんとは、誰かに愛されて、あったかいごはんを食べた、飼いならされた豆柴だとしても
キバがあることその事実だけは、決して失いたくなかった。

恋のある道はやさしくやわらかく、幸福の”匂い”がする。
それはときに自身を守り
孤独から遠ざける。

この世にはきっと、孤独が必要な人間が要る。
タスマニアデビルの仲間たち。

れいくんもまた、タスマニアデビルの仲間なのだ。
でも、恋をした。

そのれいくんの選択と戦い
それは、ひなちゃんの選択と努力でもあり
そしてそれは周りの、行き交う思いや希望でもあった。

「結婚した」とか「就職した」っていうと
「ああじゃあ、今まで通りに音楽はできないね」なんて
周りは勝手に言う、アレの
ああ、なんて言えばいいんだろう。

それでも、キバを折らずに戦い続けるれいくんの
真っ直ぐな姿は
何より、恋とやさしさを飲み込んだあとにもなお強くなる
れいくんの姿とか、
ひなちゃんと決めた「会いたい」の約束事とか(16巻から読み直した)
ほんとうに、ほんとうにすてきだと思った。

だってまだ、十代だよ??
わたし、30歳を過ぎてというか、ここ数年でようやく家族に「やさしくすること」を覚えたのに。
(ハチクロのね、”やさしくし合うことを許された”ってやつ。ようやくわかったよ)

れいくんも、ひなちゃんも、とってもおとなだ。
おとなっていう生き物を、年齢を問わず表現するならば、「やさしさタンクの積載量の多さ」かもしれない。
その総量が多ければきっと強くなれて、
相反する何かを持ち合わせることもできて(孤独と恋とか、頑張ることと休むこととか、ひとりの時間と一緒の時間とか、)
大切なものを、守り抜けるのだろう。

ああ、れいくん。
君は、希望だ。
希望のタスマニアデビル
いや、君はもうジャックラッセル

どうか、英雄ではなく”人間”の希望を、切り開いて欲しい。


それなのに、
それなのにまだ、タスマニアデビルのままで、野生の、痩せ細った狼として、人間である部分を削ぎ落として、不釣り合いな”英雄”の仮面を被る、島田さんが

わたしは彼に、なんという言葉をかけたらいいだろう。
野生で生きるには、人生は長すぎるというのに

ああ、さっきまでれいくんに勝って欲しいと思っていたのに
あれが希望のタスマニアデビルだったのに

島田さんが負けたら、そう思うと胸が痛い。
絶望を背負い込んだ、帰り道のない野生の狼が、やはりいちばん強いのだろうか。
そう思いたいわたしもいる。

だけどわたしはいま、れいくんを応援しなくちゃ
だって、れいくんが希望だ。
戦いと恋と、やさしさと孤独を同居して生きられることを、どうか証明して欲しい
それは、わたしの選択と未来の正しさの証明になる。

それなのに

勝負の世界っていうの、すごいことだ。
「みんな違ってみんないい」じゃない
どちらかが勝って、どちらかが負ける。
いつも、その繰り返し。
言葉では理解できるけれど、言葉以上のことは、到底理解できない。

次は、れいくんと島田さんが戦う。

どっちが勝っても、きっと泣く。


(2023年8月30日 ”希望のタスマニアデビル”)





わたしは、”ハチミツとクローバー”におとなにしてもらった。
ちょうど高校生のころに読んで、大学生のときにアニメを見た。
わたしの人生の”要所”と呼べる場所は、ハチクロでできている。
いや、スガシカオ風に言うと”やらかいところ”ってやつ

あれから十五年以上経つのに
いまもなお、羽海野先生の新刊を読めること、心からうれしく思っています。

そして二十代のわたしは、”3月のライオン”と一緒に生きてきた。
そのことを、思い出しています。

なんだよ、苦しいときにきちんと読み返せばよかった。
誰だよ、3月のライオンの前に、スガシカオのアルバム飾ったやつは…

ライオンの目の前を陣取るスガシカオ
新譜イノセント、名盤なので是非聞いて欲しいです。
ライブDVD付きがオススメです!!

希望は、ここにある。
そして、希望の正体というのは、”やさしさ”だと思う。

わたしはこれからも、
ハチクロとライオンの子どもであることを
忘れずに、大切に
生きてゆこうと思っています。

2023年8月30日 ねる

ハチミツとクローバーに見守られながら

いやあ、れいくんのことばっかり書いたけど
17巻の、あかりおねいちゃんもすごい好きです!!

三日月堂の生き方って
人生の理想で
今まではただの「理想だなァ」と思ってみていたけれど
わたしもわたしなりに、理想に近づきたいなァって思える、そんなおとなになったよ。
希望を、ありがとう。

あと、二階堂くんのその生き様にもすごく救われた!!
ライオンの連載中に、自分が病気になるとは思っていなくて、こんなに共感できる日が来ることに驚いていて

安静に眠ったら、
身体は”ラク”だったかもしれない人生を
座して死を待つことのほうが残酷だと
言ってくれてありがとう。
わたしも、火の玉みたいに生きたいです。

ああ、ほんとうに書き足りない。
同じ時代に生きられたこと、本当に嬉しいです。


(追伸)
最近、しあわせなことに書きたいことがたくさんあって
これは、17巻を読み終わった直後に書いたのだけれど
他の書きたいことが遅延しているから、のんびり公開するつもりでいて

ふらふらとSNSを彷徨っていたら
8月30日って、羽海野先生お誕生日なの??
うわあああああ、おめでとうございます!!

羽海野先生と同じ時代に生きられてよかったです。

言葉を紡ぐ世界の末端として
わたしのタスマニアデビルを、羽海野先生のお誕生日に、世界に放ちます。


メルシーちゃんのエコバッグとてもかわいい!!
肩からかけられる、エコじゃないサイズ感
とってもオススメです▼

敬愛するスガシカオもどうぞよろしく



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