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インスタントカメラと、十四番目の月

散歩をしながら、見つけると「あ……」と思う。
大きな、家電量販店。
ビックカメラとか、ヨドバシカメラとか
ああ、ここにもあったんだ。って気づく。
そして、「また忘れてきちゃった」と、ちょっぴり後悔する。

友達から、台湾のお土産が届いた。
青緑白ピンク、カラフルボーダーの、メッシュのトートバッグに、手紙と写真とポストカード、パイナップルケーキとお茶、パック

それから、インスタントカメラが入っていた。
なぜだか部屋から発掘されて、そのまま台湾に連行されたらしい。
手紙には、「興味があったら現像してみて」と書かれていた。


興味しかないので現像しようと思ったのだけれど、方法がわからない。
少し前まで、現像してくれるような、なんかそういう機械が町中にたくさんあったような気がするのだけれど、気のせいだろうか。
わたしがカメラと写真を愛せるようになったのは、おとなになって、「写メ」が市民権を得たあとなので、インスタントカメラのことは詳しくない。
ささっと調べてみたら、家電量販店にいくのが良さそうということだった。


そしてそれは、何かの儀式のように思えた。

仕事帰りに、駅の反対側のビックカメラに行くのではなくて
わたしは、そのインスタントカメラを大切に抱えて、「よし、今日だ」というそのときに、現像をするような、
何かひとつ、覚悟が必要な気がしていた。
なんというか、神聖な
大切にしたいと思えた。
彼女が台湾を散歩した「何が映っているかわからない日常」というものに、
わたしが東京の片隅で、そんなふうにして出会いたいと思っていた。

そんなふうに思っていたら、時間ばっかり経ってしまった。
インスタントカメラは、メッシュのトートバッグの中で、まだ眠っている。

早くしなくちゃなあ、と思ったりしたのだけれど、よくよく考えてみたら急ぐ必要はないのである。
そもそも、彼女の部屋でどれくらい眠っていたかわからないインスタントカメラが、今度はわたしの部屋でどれだけ眠っても、結果は変わらないような気がする。
写真は現像したものを、わたしの手元に
データを、彼女に送ろうと思っている。
そのデータはきっと、急いで彼女の元へ届く必要はなくって、3ヶ月後でも3年後でも、それはそれぞれ味わい深くて、素敵なことだと思えた。


そしてわたしは、部屋の片隅にいるインスタントカメラと、いつ旅に出ようか考えて、わくわくしている。
会社の帰りでもいいけれど、休みの日にバスに乗って行こうと考えている。
スターバックスのタンブラーを持って、ついでにコーヒーを飲もう。
図書館で借りた小説をかばんに忍ばせて
わたしも、わたしの冒険をしようと決めている。
わたしはもう、彼女の「台湾の冒険」と、わたしのバスで20分「隣町の冒険」を比べて、自分を卑下したりするのはヤメにした。


そんなふうに今日も、インスタントカメラに思いを馳せている。
それは「旅行に行くまでの日々が楽しみ」と言ってほほえんだ人の、笑顔を思い出させた。
始まってしまえば終わってしまう旅行だけれど、
始まらなければ終わらない日々の、待ち侘びる楽しさを、もう少し味わいたい。
「これから欠ける満月よりも、十四番目の月が一番好き」と、ユーミンも歌っていたではないか。


わたしはいまも部屋の片隅に、十四番目の月を抱えている。
そのあいだわたしは、彼女のことを忘れない(そんなことがなくても忘れないけれど)
ずうっと部屋に、ひとつの楽しみを隠し持っておくのは、悪くないことに思える。

いつか、予定のない休日。
午前中に起きることができたら。
わたしはインスタントカメラを抱えて、バスに乗ろうと決めている。



(14番目の月)

(わたしの旅を、許せるようになったときのこと)



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(到着確認は、Xにてポスト)

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