『サラバ!』とゲシュタルトの祈り

西加奈子さんの『サラバ!』を読んだ。姉・貴子の言う「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」は多くの人の心に突き刺さっているようだ。貴子の言葉でいう「幹」を持ち合わせていない人は多い。かく言う僕もその一人である。依存について勉強していく中で、アダルトチルドレン(AC)かもしれないと気付いた。アスペルガー障害や双極性障害の特徴との類似点もあったので確証はないが、「ゲシュタルトの祈り」を読んだとき自身の依存性をそこに見ることができた。

~ゲシュタルトの祈り~

私は私のことをします
あなたはあなたのことをしてください
私が生きているのは
あなたの期待に応えるためではありません
あなたもまた、私の期待に応えるために
生きているのではありません
あなたはあなた、私は私
もし、私たちの心が通じ合わなくても
それは仕方のないことです
そして、私たちの心が
たまたま触れ合うことがあれば
それは最高に素晴らしいことです

自己と他者との境界線については、アスペルガー障害と依存症の関連性を見つけることができた。(過去記事→自他のあいまいな境界線

自分の価値観や軸を他者に委ねてしまっている(=依存)のはとても不健全なことだ。「ゲシュタルトの祈り」を初めて読んだとき、とても難解なことを告げられていると感じた。そう思うことこそが不健全の証だった。自立した健全な人間はこれを当然のこととしている。他者に依存する僕には「ゲシュタルトの祈り」は突き放される/見捨てられることのように感じた。しかし、これから健全な人間を目指すうえでこの思考を当然とし、自尊心・自立心・自己愛を養っていかねばならない。

僕は常々「頑固な人が好き」と公言してきた。他人にとやかく言われようと折れない、自分に自信を持った人が好きだ。そこには依存心だけでなく憧憬もあるのかもしれない。そういう人たちと対等に付き合うためには、自分も折れない自信・ブレない価値観を持つことだ。貴子の言う「幹」を見つける必要がある。

依存心を克服する作業は、孤独感や見捨てられの不安にひたすら耐えることでしんどいと感じていた。それは受動的な態度だからだ。これからは「自分の信じるものを見つける」という能動的な作業だと思って積極的に向き合っていけばいい。

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