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新しい暮らしに、足りなかったもの

まだ実家で暮らしていた頃、夕飯の後には決まって母がお茶を淹れてくれた。それは日によって緑茶だったり、紅茶だったり、ほうじ茶だったりと違ったが、とにかく我が家の食後はお茶と決まっているのだ。

それは暮らしに染み付いた癖みたいなもので、あまりに当たり前にお茶が出てきていたものだから、一人で食後の時間を持て余した時に初めて、しばらくお茶を飲んでいないことに気が付いた。

一人暮らしを始めたばかりの僕の部屋には急須なんて無くて、それはとても寂しいことのように思えた。慌てて急須と茶葉を買い、自分のためにお茶を淹れるようになったのが、大学3年生の頃。

それからはほぼ毎日お茶を飲んでいるように思う。

食後の一服、起き抜けの一杯、仕事の合間や読書中、お菓子を食べる時などなど。以前住んでいた部屋は暖房が効きづらく、寒い日は暖を取るために何杯もお茶を飲んだ。横着して茶葉の味がほとんどしなくなるまでお湯を継ぎ足したし、お茶を淹れる温度もほとんど気にしていなかった。

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今でこそ温度や時間に気を配り、できる限り美味しく淹れるようにしている僕だが、思えば当時はお茶なら何でもよかったのだろう。

身体に染み付いた「お茶を飲む」という習慣。それはスイッチを入れることによく似ている。

仕事の合間、もう一踏ん張りするためのスイッチ。

食事後の一日の終わりへと向かうためのスイッチ。

何かに集中するために、頭のノイズを取り除くスイッチ。

何かに区切りを付けたり、心の向く先を変えたり、お茶が持っている精神的な効能は時と場合によって様々で、そこにはお茶自体の良し悪しはあまり関係ない。

こだわって淹れるお茶ももちろん良いけど、熱湯で雑に淹れたお茶にだって良さはある。

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お茶に限らず、コーヒーもココアもホットミルクも、温かい飲みものは適度な間を作ってくれる。

それはゆったりとした時間であったり、香りが作り出す空間であったり、人と人との間であったり。

あなたが新しい暮らしにそういったものを求めるのであれば、お茶は間違いなく、最善の選択肢の一つだと断言してもいい。

急須が無くても茶漉しさえあればお茶は淹れられるし、ティーバッグならもっと簡単。湯呑みが無いならマグカップでもいいし、温度も時間も気にしなくたって誰も咎めない。

あなたが次第にお茶を好きになってきたら、お茶を取り巻く時間と道具を愛でるのも良い。

僕はわざわざ鉄瓶でお湯を沸かして、時間をかけてそれを冷ましながら、お気に入りの急須と湯呑みでお茶を飲む。自分の足と舌で探し出したお気に入りのお茶は、折角なら美味しく飲みたいと思うからだ。

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先日実家に帰った時、いつものように母が「お茶飲む?」と尋ねてきた。その口癖が、友人を招いた僕が決まって口にするそれと全く同じで、いつの間にか彼女の口癖はすっかり僕にも染み付いていたのだなと。

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新社会人・新入生の皆さん、おめでとうございます。

皆さんの新しい暮らしの傍らに、お茶がありますように。



あなたのおかげで生活苦から抜け出せそうです