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名栗川橋

こんにちは。飯能高校 探究部のHiDEです。今回は名栗川橋について書きます。

note記事を何にしようか悩んでいたところネットで名栗川橋を見つけました。そこで家族とドライブしながら名栗川橋に行きました。 

飯能高校から15キロ
橋から撮影

1924年につくられた橋です。今年は2023年なのでつくられてから100年近く経っています。
名栗川橋の歴史は、こちらをご覧ください。

この橋をつくるのに、地元の人もお金を出し、また工事の伝いもした、とあります。

寄付した人の名前と寄付した金額が刻まれています。
  

まとめ                    

当時の人は協力的だと感じました。今の私達がお金を寄付して、さらに工事の手伝いをするなんてできるでしょうか。

それぐらい本当に橋が必要だったから協力したのだとも思います。

緑の山に囲まれた、きれいな川の古い橋は、当時の人の思いが込められたすてきな橋でした。

では。


〜顧問のつぶやき〜
HiDEがまたまた素敵なところに行って、素敵な写真を撮ってきてくれました。連れて行ってくれるご家族には感謝ですね。

HiDEは、いろんなところに出向き、風景写真を撮ってそれを伝えるのが向いている気がします。これを機に写真の世界にどっぷりハマってみてはいかがでしょうか。

探究部には食レポ担当はしおさんがいるので、景観レポの担当のHiDEになるかもしれません。

さて、名栗川橋。Google Maps上でその位置を確認してみます。

そうなると気になる点が。それはほぼ直線上に大松閣という旅館があること。地図上で直線的に何かがある場合は、歴史的に何か理由があることが多いです。こういう直感は調べるに値します。


ネット上で資料を探していたら素晴らしい文献に当たりました。

近世~現代名栗村の地域経済に関する研究序説 ―町田家と柏木家の比較を通して―という自由学園最高学部の論文です。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jiyu/2/1/2_71/_pdf

この論文の中で、名栗川橋についての言及がありました。

上名栗の組頭の柏木家は下名栗に大松閣を開業し、その大松閣のために多方面で働きかけをしていたようです。その中の一つが名栗川橋の建設。

下名栗の大松閣のためと考えると,明治43(1910)年の大水害で流され,大正13(1924)年に作られた洪水でも流されない鉄筋コンクリート造のアーチ橋(埼玉県指定文化財)の名栗川橋についても同じことが言える.旧道から小学校や区有林に行くために必要な橋であるが,大松閣を訪れる際にも必要な橋であった.建設に際して国や県からの補助金はあったものの,受益者負担の割合がはるかに大きかった.三代目代八も大松閣に車を入れられるように,ということで自宅は上名栗で建設地から離れていたが,多額の寄付をしていた

とあります。
やはり、名栗川橋と大松閣には歴史的なつながりがありますね。

地元の発展のために力を尽くした地元の方々、援助をしてくださった他地域の方々に思い馳せながら名栗橋を見るとさらに特別感が増します。



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