結婚とか、子どもとかさ

 こんにちは。今日は電車で漫画を読もうと思っていたのに、眠ったり携帯をいじったりで気付いたら大学に着いていました。おかしいな。2時間かかるはずなのに。おかしい。

 はのとです。初めまして。


    あのね、部活の同期が、noteを公開してた。インスタのストーリーで。普段あまりインスタを見ないから、日常的にしてることなのか今回たまたまか分からないけど。内容は家族のことで、私が前に書いた記事と真逆のこと言ってた。

    でも、真逆のことを言ってる人の、深い考えを知ることすごく大事。その子が私と真逆の考え持ってるのは知ってたけど、だからこそあえてその話はしないじゃん。空気悪くなっても嫌だし。まあそこまでならないけどさ。

    で、こっそり記事を読んで、ふんふんなるほどなとなったわけです。読んでよかったですね本当に。その子のこともより深く知れたし、真逆の人の気持ちも、今まで想像でしかなかったものにちょっとした具体性ができたから、うん、とてもよかった。ありがとう公開してくれてという気持ち。


 どういうことかと言うとですね、私は結婚とか出産に憧れを抱いていて、彼女はその逆だっていうことです。簡単ですね。はっきりと分かれている。彼女の記事は、本当に、本当に少しだけ結婚出産したい人の気持ちが分かった、という帰結でした。


 さて、私も奇遇ながら、本当に本当に少しだけ、結婚出産したくない人の気持ちが分かったところです。そうして、気づいたことがあります。

 結婚とか出産とか、とにかく自分が家族を持つということをね、肯定的に捉える人と否定的に捉える人。一般化していいものではないとしても、少しは当てはまるんじゃないかなって思うのが、自分が育ってきた家庭環境の影響です。

 彼女は、あまり言葉にはしませんが家族関係良好という感じではないみたいです。翻って私、家族関係良好と胸を張って大声で言えます。ESの宝物に「家族」って書くくらい、引くほど家族好きです。本当に、引くほど。

 だから私にとって、家族は素敵なもの。でも、それってたぶん全然普通じゃない。当たり前じゃない。割合としてどのくらいかは分からないけど、どちらかと言うと少数なのかなと思います。類友だからか、私の周りには私と同じような子が多数。でも、少し羽を広げれば全然違ってさ。


 どちらがいいとかはなくて。だって、どちらにもそれなりの理由があるんだもん。家族を築きたくない人は、自分の人生に他人を巻き込むとか、他人の人生の責任まで負えないとか、そういうのをよく見かけます。彼女もそんな感じだったと私は解釈しました。そういうことを考える人がいるんだって、それは私はきちんと理解しています。

 そして私は、私の大好きな家族を私も作りたい。母や、叶うのであれば祖母に孫、ひ孫を見せてあげたい。それが、私の親孝行の1つだから。そう考えています。結婚して出産することが親孝行だなんて、前時代的でしょ? 古いでしょ? そんなことはよーーーーーーーく分かってますよ。でもさ、パートナーが許してくれるなら、私はそこを目指すよ。目指したいから。夢だからさ。

 私と彼女は仲良しな方だと思います。互いにとって特別な友ではなくても、部活で顔を合わせればたくさん話をするし、それなりに積もる話もします。真逆の考えを持っている人間が、どうして良好な関係を続けられているか。それは、互いの主張を相手に押し付けないからです。

 「私は結婚がしたい。子どもが欲しい。」「そうなんだ。私はそうでもないかな。」以上。これだけです。相手の意見を受け入れ、自分の意見を返す。それで終わり。それ以下でも以上でもないです。

 だって、相手を納得させるべき話題じゃないでしょ、これは。違って当然な考えだし、自分の価値観の問題だし、相手は相手、自分は自分と割り切るべき話題です。だから、それ以上のやり取りはしません。ただ、今度追加で話してみたいことが増えました。「どうしてそう思うの?」です。

 私は彼女の文字を通して彼女の気持ちを知りました。今度は、彼女の口から、会話として主張を聞きたいです。それで私はこう返します。「そうなんだ。教えてくれてありがとう。」

 「え、でもさ、」なんて続けようものなら、きっと軋轢が生じます。そんなことは求めていません。私はただ、自分では想像しかできない考えを知りたいだけです。自分の意見しか持っていないと、生きていく上でそれは障壁になりますね。

 自分の意見をもったら、その逆まで考えないと。私が大学で身に付けた数少ないことのうちの1つです。逆を考えて、それを受け入れるまでが1つの流れなんです。1つのことしか受け入れられないなんて、なんか、なんて言ったらいいか分からないけど、もったいないじゃないですか。


 色んな考えがあって当然。でも、まあある程度許容範囲はあるとしても、どんな考えがあったっていいじゃないですか。多様化でしょ? 最近流行ってるでしょ? 多様性。

 すべてを理解することはできなくても、基本的には否定しちゃだめだよね。受け入れたい。それくらいの大きな懐、度量が欲しい。いつなんどきも、どんな意見も受け入れられる器のでかい人間でありたい。

 やっぱさ、「否定しない」っていうのはすげー大事だと思うんだよな。討論だったらさ、そこに必要とされているのが討論なのであれば、相手の意見を否定してなんぼじゃないですか。最終的にどちらの意見がいいか、が目標なので。

 でも、日常会話にそれはいらない。特に、少し話題は逸れるけど、誰かから相談を受けたとき。相談する、ということは誰かに話を聞いてほしいということ。受け入れてほしいということ。だったら、そこに求められているのは受容。決して、議論、討論ではない。

 日常会話は、多くの場合は分からないけど、私の場合はただ会話をしたいだけなんです。話を聞いてほしい。だから、そこに議論も討論も求めていないわけですよ。みんながそうかは分からないよ。常日頃議論したい人もいるのかもしれない。

 だから、私は受け入れるよ。彼女の考えも、受け入れる。そんな考え方があったんだって、学びになった。本当に、こういう機会って大事。


 何が書きたかったかと言うと、何事につけても、自分の意見や考えを相手に押し付けるようなことをしてはいけないよね。


 で、私は結婚がしたいよってこと。身近で大学生活4年目にして最初の恋人ができた、しかも相手は部活の後輩、という人がいるから、ついどうしても焦ってしまっているよということ。恋愛に関してこんなに焦ったことはない。それこそ、他人は他人、自分は自分なのにね。焦ってもいいことないのにね。

 私も後輩にモテたい。

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