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せめて生きていて

ねぇ、種田。君は今どこでなにしている?

夜の新宿駅の路上で死んだように眠っている人や、渋谷駅に着くと車両に流れ込んでくる尖った身なりの人を見る度に君を思う。あの地獄みたいな高校で、僕らは訳アリ品のようなレッテルを貼られていたね。

種田(仮名)は太陽というものを知らないかのような真っ白な肌と少し傷んだウルフカットが目印の、いつも眠そうな目をしてニヤリと笑う、そんな女子だった。

きっと僕らは、友達ではなかった。
学校以外で会ったことはないから私服も見たことがない。
ただのクラスメイト。
勿論彼女に恋愛感情を抱いたことはなかったし、彼女も同じだったはずだ。
そんな何でもないクラスメイトとの何でもない話。

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「うるせぇよ、めんどくせぇよ!」
自席で頭を掻きむしりながら彼女は担任の教師に言い放った。時間に厳しい高校で彼女は当たり前のように遅刻してきたので注意を受けていた。
「来たくて来てるんじゃねぇし、母親が<学校に行ってください>って土下座するから来たんだよ。うぜぇよ」
僕は後ろの席で勝手にドキドキしていた。僕も大人は大嫌いだが、どちらかというと恐れの対象である。終ぞ反抗期を迎えることもなかった。そうこうしている内に彼女はカバンを持って保健室に向かった。教師の怒声が響く。彼女はそれを物ともせずどんどん遠ざかっていく―――。

僕はプールの授業が嫌いで、2回に1回はわざと水着を忘れて見学した。うちの高校は男女合同での授業だったため、異性に水着を嫌でも見せなければならなかった。僕みたいに最新のテレビのような身幅の男が白日の下、ブーメランパンツ(指定の水着…)を穿いていたらさすがにお笑い種だ。そんな中、臆病でも卑怯でもない種田は堂々と全部の授業を見学していた。お互い体育座りをしてぼーっとするだけで、特に言葉を交わすことはなかったけど、それが僕は楽しかった。

「俺、種田と付き合ったから」
学校一喧嘩が強くて、学校一お金持ちで、学校一わがままなアイツが僕にそう言ったのは席替えの日だった。僕の左隣がアイツでその前が種田。
「なー!種田!」とアイツは猫撫で声で種田を自分の膝に座らせた。そしてあろう事かアイツは種田の胸に手を伸ばしたので、僕は思わず目を逸らした。

だけれど、不思議なことに種田と話すようになったのはアイツと付き合い始めてからだった。アイツはX JAPANが大好きで自身もべらぼうに歌が上手かった。種田もその影響でXを聴いていてその流れで僕とV系の話で盛り上がった。
「はんぺんはさ、どんなの聴くの?」「PlasticTreeとかムックとか…」
「ちょっとIpod貸して。…へぇ、結構いいじゃん」

何でかわからないけど、認められたみたいで嬉しくなった。

「ねぇ、ウチらってさ、似てるよね」
「え?」
「名前も似てるし、お互いガリガリで不健康でさ、雰囲気とかもさ」
えー、種ちゃんの方が100倍カワイイよという女子の声が遠くなって、僕はただ曖昧に笑った。

ある日。
僕はアイツと2人で電車で帰っていた。「帰るぞ」と言われたら断れる者はこの学校に誰もいないし、万が一断ったら暴力で示されるだけだ。事実、歯向かった何人かが瞼を切ったり、腕を骨折していたので、僕は従う以外の選択肢を持たなかった。
ふと、携帯が震えて新着メールの受信を知らせた。種田からだった。珍しいなと思い開くと、そこにはこう書かれていた。

『お前、毎日話しかけてきてうぜぇんだよ。明日からウチに一切関わるな。』

え?

茫然としていると追っかけもう1通メールが届いた。

『はんぺん、さっきのメールはアイツに命令されて送ったんだ。ウチの本心じゃない。信じてほしい。アイツははんぺんとウチが話していることが気に食わないんだ。だからもう、ウチに関わらない方がいい。このメールも読んだらすぐ消して』

は?

全身が熱くなって燃え上がりそうだった。
「おい、どうしたはんぺん」
アイツが僕に呼び掛ける。白々しい。
「なんか種田からこんなメールが来たんだけど」
2通目を削除してから携帯をアイツに渡した。
「うわ、ひでぇな種田…。クソすぎるだろあの女。無視しとけ」
そう言い放つと、気になるからとさっき買ったばかりのモテキ1巻で食べ終わったアイスを包んで駅のごみ箱に捨てた。
僕はまた、曖昧に笑った。

それきり種田とは本当に話さなくなって、次に彼女から連絡が来たのは高3の文化祭だった。その頃の僕らは受験期を迎え、自由登校になっていたため学校に行く機会はほぼなかった。メールを開くと『文化祭、よかったら一緒に回らない?』という誘いだった。僕は久しぶりに制服に腕を通した。

下駄箱の先の踊り場に、種田は立っていた。「よっす」とヒラヒラと片手を振って眠そうな目で僕を見ていた。横に並ばずに先に歩き出した彼女の上履きはちゃんと踵が踏まれていて、それは紛れもないあの種田で、なんだか泣きそうになった。

しばらく各クラスの出し物を見ていると、
「おーい、はんぺん!お前も来てたのか!」と声が降ってきた。
振り返るとアイツだった。
僕は咄嗟に種田を隠すようにアイツの元へ駆け寄った。
「ひ、ひさしぶり」
「これからバンドコンテストがあるらしいから、見にいくぞ!」
「お、おー!行こう行こう」

僕は一度だけ彼女を振り返った。
彼女は眠そうな目で、カーディガンのポッケに手を突っ込んで、黙って僕を見つめていた。彼女の棒のような脚が広い校舎の中でひどく心許なく映った。

「なに、お前まさか種田と来たの?」
「いや!たまたまさっき会ってちょっと話しただけ!」
「ふーん、あ、そう、じゃ行くぞ」

そして今日まで僕と種田は連絡を取っていない。
打ち切り漫画のように、それっきりだ。

種田、僕はね。
君の特別じゃない一面を見て、心底失望したんだ。あんな奴と付き合う愚かさに、嫌なメールを送った後にフォローをしてくる優しさに、わかりやすい女子高生になり果てた浅はかさに。

なんでアイツを好きになったんだよ
なんで易々と膝に座るんだよ
なんでアイツの命令なんか聞くんだよ

お前はどこまでも孤高で、いつも世界に苛立っていて、自分を邪魔するすべてが大嫌いなんだよ。お前は僕と違ってそれができるんだよ。なのにこんな情けない姿見せないでくれよ。

僕はその怒りに気づいた後、何一つこの物語に自分が関わっていないことにやるせなさを覚えた。

ねぇ、種田。君は今どこでなにしている?
どうせ君はどこに行っても上手く順応できなくて、いつも何かにイラついていて、きっと幸せにはなれないだろうけど、それが僕の思い違いで、或いは何かの間違いで、今もその口角を片方あげて笑っていてよ。そうでなくとも、せめて生きていて。僕より先に死なないでね。

まだ謝ってないし、謝ってもらってないから。


2023年10月23日夜 自室にて、平日の到来に恐れをなしながら、秋。

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