現実と価値観

 仕事探しに苦戦していると、必ず誰かに言われる。
「仕事見つけるより、結婚相手見つけた方が早いんちゃうか?」。
 また、こんな風に言われたりもする。
「仕事なんて、選ばなければ何ぼでもある。選ぶから決まれへんねや」
 いやいや…普通選ぶでしょう…。
「そんなんな、生活していかなあかんと思ったら、選んでられへん!」
 それもそうだ。しかし、こちらが選ばなくても、相手が選んでくれるとは限らんだろうが…。
 
 私にとって、仕事と結婚は同じである。どちらも「妥協できない」ということに限らず、愛していなければ続かないし、積極的になれない。出来れば一回で決めてしまいたく、何度もやり直すのは嫌である。
 物事には「やってみなければわからない」というようなことがままあるが、「やってみたけど合わないからやーめた」という事態は避けたい。こと、仕事と結婚に関しては、どちらにも同じ意見を持っている。
「考えすぎるから上手くいけへんねん」
 これも時々言われることだが、失敗したくないから考え過ぎる。考え過ぎても失敗する。考えなくても失敗はするのだ。
 失敗が怖いのは、今まで失敗してき過ぎたせいだ。出来ればもう、あまり失敗したくない。いい加減疲れた…。それが本音である。
 今、私が求めているのは、〝人生の安定〟だ。
 恐らく元々、波乱に満ちた生き方は、性格に合っていない。
 比較的新しい知り合いが、「昭和歌謡を地で行くような波乱万丈の苦労をしてみたい」と言ったのを聞いて、馬鹿ではないかと本気で思った。彼(彼女?)は馬鹿ではなかったが、ちょっと特異な人だった。
 浮き沈みの激しい人生など、私の求めるところではないのだが、三十年以上生きて来て、安定していた時期というのが全くない。何故だろう。落ち着いて生きられるように努力してきたつもりだが、なかなか上手くいかない。心身共に疲弊して、ぼろぼろである。
 岐路に立ち、選択し、それに後悔したことは殆ど無い。しかし、間違っていたのかも知れない…と振り返ることばかりではある。
 恐らく立ち返ってみても別の選択はしない。けれど悔やまず選んだ道の先に、決して平安は待っていない。
 私は自ら貧乏くじを引きながら生きているようで悲しかった。
 神を信じていないせいで、運にも見放されているのだろう。しかしそもそも逆だった…と言っても、きっと誰も信じない。神に救われた記憶に乏しいから、神を信じたくなくなる。他人にそれを理解してもらうのは難しい。特に信心深い相手には…。
 
〝二兎追う者は一兎も獲ず〟ということわざがあるが、私に照らし合わせれば、〝二兎追わずとも一兎も獲ず〟となる。結局欲しい物はひとつも手に入らない。何かを望んだり、求めたりしてはいけないのだろうか…と、希望まで持って行かれる思いだ。
 毎日とても疲れている。何もしていないのに…。何の成果も上げていないのに…。
 心の風邪は治りにくい。治す意志があっても、なかなか良い薬が見付からない。良い医者もいない。結局、それを治せるのは医者でも薬でもないのである。
 覚悟を決めるって大変だ。折角決めても、夢や希望が顔を出す。思いがけず上手くいくようなシュチュエーションを、ついつい想像しては、現実と比較して落ち込む。
『どうか辿り着くべき場所に、辿り着けますように…』
 信じていないはずなのに、気付けば神に祈っていたりする。
 疲れている時は休まなければ…。わかっているのにじっとしていられない。限られた時間が〝焦り〟という名に姿を変えて、私の後ろを追ってくる。
 
 私の周りには年上が多いせいか、よく言われる。
「まだまだこれからやん!」
「これから楽しいことがいっぱい待ってるで!」
 俄かに信じ難い。
 年を重ねた人達は、それ相応に人生経験を積んでいる。就職し、結婚し、子どもを産んで育み、やがて子を送り出そうとしている。
 しかし私はどれもまともにしていない。いつまでも若いつもりで十代・二十代のように人生に迷っている場合ではないのである。
 私の未来が明るいと思っている人は、大抵が私を実年齢より若く見ている。女として若く見られるのは嬉しいことだが、人としては、精神年齢が伴っていないように感じて、単純に喜んでもいられない。「まだまだこれからやん!」という人に、実年齢を明かすと、ちょっと口篭ったりするので、
『あぁ…きっと勘違いしてたのね…』と気付く。結婚にしても、就職にしても、〝先が長い〟と悠長に静観していられる年ではなくなってきている。それが真実だ。
 個人的には〝一生現役〟を謳って元気に生きていたい。百歳になってもバリバリ働いているような年の取り方が出来たら、幸せこの上ない。しかしそこまで前向きに生きていられるぐらい、この世に私の居場所があるだろうか…。百歳まで、未だ半世紀以上あるが、既に『明日死ぬかもしれない』という気持ちで生きている人間だ。
 ある友人が言っていた。
「人生なんて、一度きりで良い。もう充分」
 苦労してきた人の言葉である。
 自分を愛せずに死んで行くのは忍びないが、自分を愛せないまま生きて行くのも忍びない。世の中は不平等で、誰もが同じだけ幸せも不幸も経験するわけではないのである。
「人生はプラスマイナス0」と言った友達もいた。良い言葉だと感心したが、私のプラスは一体いつ来るのだろうと思っている。
 美輪明宏さんが言っていた。
「自分の中にあるものを数えなさい」と…。
 確かに、何も持っていないわけではない。有り難いと感じながら、一人で生きているのではないことに感謝しながら、毎日を過ごしている。しかしこのまま此処に留まっていて良いとは思えない。手元にあるものだけ見つめながら、霞を食べて生きて行けるのなら、生活に困る人など何処にも居なくなるだろう。
 生きるって難しい。そしてとっても面倒臭い。
 生きることに疲れた時、何故かいつも思い出す。〈フランダースの犬〉のネロとパトラッシュの最期のシーンを…。
 どんなに疲れていても、私は彼らよりも恵まれている。そしてもし、私が愛犬と同じ事態に陥った時、私は彼らのように心清らかでいられるだろうかと…。
 こんなことばかり考えているから、いつまで経っても前へ進めないのかも知れない。

 

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