大人とは

 子どもの頃、大人とは、とてつもなく大きな存在であった。身体だけの話ではない。何でも知っていて、何でも出来る。賢くて正しい、そんな存在だと思っていた。
 今、自分が大人と呼ばれる年になって思う。
『大人って何やろ…?』
 大人になったら、色んなことが出来るようになると思っていた。夢が叶ってなりたい自分になっている…それが私の大人像であった。キラキラ輝いていて素敵な存在。子ども心に憧れていた大人の世界は、私にとって夢が叶う場所であったはずなのに…。
 私は今、自分が想像すらしなかった〝大人〟になっている。
 憧れた夢は叶わなかった。
 思ったほど体も大きくならなかったし、見方によってはまだ子どもの様だ。
 好きな仕事に就けなかっただけでなく、綺麗なウェディングドレスを着た花嫁として愛する人と結婚し、幸せな家庭を築くことも、可愛い名前を付けた子どもを育てる母親になることも、未だ私の人生には起こっていない。
 周りを見渡してみる。
 大人って…人が嫌がるようなことはしないと思っていた。
 誰もが平和で心穏やかに暮らせるように、皆が配慮しながら生きているのだと思っていた。
 マナーを順守し、規律正しい生活を営んでいるのだと思っていた。
 子どもを教え、諭す立場の大人が、意地悪だったり自己チューだったりするはずがないと思っていた。
 嘘をつかず、約束を守り、他者に優しく接するのが当たり前だと思っていた。
 それから、それから、それから…。
 大人という社会に生きて、思いがけない壁にぶち当たる度、私は同時に『大人なのに何故?』という壁にもぶつかった。自らが大人になる為に、大人達から教わって来たことが、現実の大人の世界では、公然と無視されている。それが理解出来なかった。
 大人になるということは、子どもの頃には不可能だったことを可能にしていくことだと私は思っていた。子どもの頃に未熟過ぎて叱られたことを克服し、正しさへと軌道修正して、正義感と誠実さを重ね合わせて成長して行く。出来なかったことが出来るようになるだけでなく、人としてひと回りもふた回りも大きくなって、器も幅も広げて行く。大人になれば人の悪口など言わないと思っていたし、個人の気分や好みだけで他者を攻撃することなど、有り得ないことだと信じていた。
 しかし…踏み込んでみた大人の世界は、子どもの世界と大して変わらない。子どもの世界に居る方が、無知で邪心が薄い分、ずっと単純で清らかだ。未熟さ故に許されることが、どれだけ得なことなのか、改めて実感する。
 複雑に絡み合った負の感情が、大人の世界には泥沼のようにそこかしこに点在する。経験を積めば積むだけ、狡くなっていくのも大人だ。キラキラ輝いて見えた世界は、本当にこの場所だったのだろうか…。
 大人になって、私は幸せとは言えない。子どもの時でさえ幸せでなかったのに、何故なのかと思う。
 理解し難い他者からの攻撃を受け、打ちのめされていた私に対し、ある人は言った。
「〝大人〟に対するハードルが高すぎる。大人が皆、あんたの思っているような人間なわけがないやろ」
 ハードルが高い…。
 私は自分が大人になる為に、大人から教わって来たことを実現出来るような大人になろうとして生きて来た。夢が叶わなかったからといって、人を傷つけるような真似はしなかったし、むやみに何かを攻撃するようなこともしなかった。マナーの悪い人間や、見ていて恥ずかしくなるような行いを目の当たりにしては、自分はそうならないよう気を付けた。俗にいう〝反面教師〟というやつだ。一方で、素敵な行いや態度に触れては、それらを尊敬し、自分もそうなろうと努力した。この世は生きる手本に事欠かない。私にとっての大きな信念、それは〝自分に恥ずかしくないように生きる〟ということへと繋がって行った。
 しかしこの世は不条理である。
 私が決してしないようなことを、他人は私に対して行う。傷付けないように気を付けているのに、攻撃を受ける。尊重しているのに命令される。蔑まれ、馬鹿にされ、私は自分が他者にとってどういう存在なのかわからなくなった。私はいつも人から大事にされない。自分は大事にしているつもりなのに…。自尊感情はずたずたになった。
「大人になれ!」
「大人やねんから…!」
 そんな言葉で戒められたことも沢山ある。しかし私にはわからない。
『大人って何やろ?』
 本音を隠して建前で生きることが大人か?
〝嘘も方便〟とのたまって、他者を欺き、自己弁護するのが大人か?
 弱者に跨り、強者に取り入るのが大人か?
『大人って何だ?』
 私の憧れた大人の世界……今此処に、そんなものは存在しない。醜く穢れたこの場所は、真摯で正義に溢れた世界ではないし、正しく生きよと牽引し続けたかつての大人でさえ、沢山の間違いを犯している。
「大人になれ!」と言った大人よ、あなたは真に大人か?
「大人やねんから!」と戒めた大人よ、あなたの言う大人とはどんなものか?
 私には〝大人〟がわからない。大人を求める大人が、必ずしも〝大人〟でないばかりか、其々の定義する〝大人〟自体が、一律ではないからである。
『大人なのに…』と訝しがる私自身が〝大人〟を定義することでさえ、間違っているのかも知れない。
 出来ることは限られている。
 自分が変わらず、〝自分に恥ずかしくないように生きる〟こと。そして、人間社会に踏み出したばかりの子ども達に、『大人なのに…』と思われるような生き方をしないこと。そして、〝大人になっても未熟であり、間違いを犯すことがある〟ということを、隠蔽することなく正直に伝えられる人間になること。私に出来るのは、自分がなりたくないような大人に、無理になろうとすることではなく、自分がなりたい大人になる為に、これからも生きて行こうとすることなのかも知れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?