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「特別版”いれものがたり”×保井俊之」イベントレポート

2023年12月22日、叡啓大学 ソーシャルシステムデザイン学部 学部長・教授の保井俊之さんをゲストにお招きした特別イベント「いれものがたり×保井俊之」を開催しました(開催概要はこちら)。

社会を前向きに変革する人(チェンジ・メーカー)を育てるため、日々ご尽力されている保井さんの人生は、波瀾万丈です。

平日昼間は国家公務員を35年続け、夜間と週末は研究者という生活を13年間続けた後、2021年から日本初のソーシャルシステムデザイン学部を擁する広島県立叡啓大学の初代学部長となり、ご活躍されています。

当日は、保井さんがご自身の器をどのように形成していったのかというエピソードを掘り下げてお伺いました。

保井さんが壮絶な体験をどのように乗り越えてきたのか、そこから見出した大人が学び続けることの意味についてお話をいただきました。

印象的な内容をまとめましたので、当日の雰囲気を感じていただければ幸いです。


亡き叔父の生まれ変わりとして育てられた幼少期

保井さんは、母の亡くなった弟、つまり叔父の生まれ変わりとして育てられたと言います。この幼少期の経験が、自我形成に深い影響を与えました。

私の母は4人兄弟で、一番可愛がっていた弟(叔父)がいました。香川県の海沿いの街で自転車屋を営んでいて、家族は仲良く暮らしていました。叔父さんは、性格も良く、頭も良かったのですが、ある日、オートバイに乗っていたとき、トラックに引き逃げされてしまいました。それによって複雑骨折を負い、自宅で看病されながら亡くなったのです。亡くなる間際のこと、伯父さんが寅年生まれだったものですから、もし寅の年に生まれた男の子がいたら、それは自分の生まれ変わりだと思ってほしいと言って亡くなったそうです。実は私は、昭和37年の寅の年、寅の月、寅の日に生まれたんです。そのため、私は亡くなった弟の生まれ変わりだと信じて育てられました。

私は、叔父さんの生まれ変わりとして生きることを求められたので、自我を持つことが難しかったんです。母の期待に応えるため、叔父さんのようにならなければという姿勢を18年間続けてきました。自我がないというのは、本当に悲しいことで、いつも人の評価ばかりを気にしていました。自我がない子はいじめの対象になりやすいと言われますが、小学校高学年の時、壮絶ないじめに遭いました。しかし、勉強ができる子はいじめられないことを知り、勉強に励むようになりました。偶然、算数の試験で100点を取ったことがきっかけで、みんなの見る目が変わり、クラスメートの私に対する呼び方も「保井くん」ではなく「保井さん」に変わったんです。単純に暗記してペーパーテストで100点取り続ければ、いじめられないとわかり、徐々にそれをエスカレートさせていきました。すると、いわゆる試験秀才として、心理的安全性が保たれるようになりました。そのようにして、人生を方向転換させていったわけですが、一方で人間はすごく浅はかで虚しい存在だとも感じました。試験の点数や通知表の成績が良いだけで、自分の中身は全然変わっていないのに、こんなにも人の接し方が変わるんですから。ただ、当時の私は試験秀才になるしかなかったので、できる限りそのやり方を徹底して、自分にとって居心地の良い世界を作ろうと必死でした。

高校時代の吹奏楽部で得られたワンネス

試験秀才となることで、どうにか自身の存在意義を保ちながらも、どこか虚しさを抱えていた保井さんにとって、高校生時代に入部した吹奏楽部は人生の転機となりました。

小学校や中学校のときは、勉強のできる人間であり続けることが、自分の生きづらさを解消するために必要でした。しかし、本当は、そのようにして得た属性ではなく、安心して自分らしくいられる居場所が必要だったんです。その居場所が、私にとっては高校時代の吹奏楽部でした。吹奏楽部では、少し風変りな先生が顧問をしていて、彼は自分のボーナスを全部楽器代に使っていました。私はこの先生に徹底的に鍛えられ、彼のもとで学ぶことに夢中になりました。それまでの試験の成績を競う個人技の世界とは違い、みんなで音楽を作り出すという世界に次第に魅了されていったのです。ある夏合宿のときにコンクールの課題曲を練習していたのですが、一週間のうち寝る間も惜しんで練習した6日目の夜に、みんなボロボロに疲れていた中で、全ての演奏で完璧にピッチが合った瞬間がありました。そのとき、パーカッションの皮が一斉に共振し始めて、心が揺れるほどの感動を覚えました。この経験から、人間はこんなに美しいものを一緒に作れるんだと思いました。私が部分であり、部分が全体であり、全体が私であるというワンネスの感覚があって、それは他人にぶら下がることでもなく、自分ひとりで独創的なアートを作ることでもなく、みんなと心を通わせながら自分のことを一生懸命にやることによって一つの美しいものが作れるのだと身をもって知りました。

9.11テロ事件での生き残りと自己探求

保井さんは大学卒業後、国家公務員として財務省で勤務し、2001年にワシントンD.C.に赴任しました。そして、9.11のテロ事件のときに、出張のためニューヨークのワールドトレードセンターの中のマリオットホテルで行われた会合に出席していたと言います。

突然、大きな爆発音がして、パラパラと金属片が降る音が聞こえて、外を見ると煙が上がっていました。ワールドトレードセンターでは過去にも爆発があったので、最初はガス爆発かと思いましたが、すぐに避難命令が出されました。その後、避難する人の波に乗って、3キロほど南のバッテリー・パークに向かって走りました。その途中で、2機目の飛行機が、私のほとんど頭をかすめるように通り過ぎていき、ワールドトレードセンターに突っ込むのを目撃しました。タワーにめりこんだ飛行機から炎が上がり、そこでたくさんの人がビルから飛び降りていく姿を見ていることほどつらい光景はなかったです。バッテリー・パークに着いた時、2つのタワーがスローモーションのように倒壊して、アスベストを含んだ爆風が一面に吹き付けると、私の全身は真っ白になりました。

その後は完全なPTSDに陥り、何も考えられない状態でした。サイレンの音が聞こえるだけで震えが止まらなかったんです。そして9.11のメモリアルを見ると、涙が止まらないような状態でした。しかしその時、テロリストを恨むという気持ちは全くなく、ただ、なぜ自分がこんな目に遭ったのかを知りたいと思い、救いを求めるようにリサーチを開始しました。テロの原因となった貧困・憎悪・復讐といった悪循環を止める方法を探していたところ、全体を俯瞰し因果を考えるシステム思考やありたい未来を実現するデザイン思考という手法があることを知りました。システム思考やデザイン思考を4年間ほど必死に勉強していると、ある方に声をかけていただき、そのとき新設された慶應のSDMという大学院で教壇に立って教えられる機会にめぐまれました。このときの経験が9.11から始まった私の転機でした。私は、「神はその人が背負えるだけの重荷しかお背負わせにならない」という箴言(しんげん)を信じています。だから、どんなにショックな出来事に直面しても、それは自分が受け止められるからこそ、こうした経験をしているのだと思うようにしています。

自己決定と学び続けること

ここまでのお話を踏まえて、保井さんは自己決定と学び続けることの重要性を強調し、これらがウェルビーイングに近づく鍵であると述べました。

ウェルビーイングに近づく一つの鍵は、自分で何かを決めること、つまり自己決定です。多くの場合、自分の将来を自分では決められないと考えがちかもしれません。幼少期の私も自我がなく、どこか自分で決断することができませんでした。自分の気質として決められないこともあるし、周りが制約をかけていることもありますが、それでもまずは自分で決めて良いのだと気づくことが重要です。私たちは、自分自身や周り、さらには社会を変える力を持っているのです。この自己決定の力がウェルビーイングにとって非常に重要な要素だと思います。

もう一つの鍵は、絶えず変化する世界の中で、生涯にわたって学び続けることです。VUCAの時代においては、問いを立てる力を持ち、成長し続ける力としてのグロースマインドセットが重要となります。私の場合、9.11を経験した後、必死になって勉強をすることによって、つらい状況を乗り越えることができました。大学を卒業したら学びを終えたと考えがちですが、そうではなく、何歳になっても常に学び続ける姿勢が大切なのです。

そして、自己決定力と学び続ける力というスキルセットは、ソーシャルシステムデザインに結びつきます。システム思考は、世の中にある全体の繋がりを見つけ、システムとしてどう変えていけばよいかを考えるものです。そしてデザイン思考は、自分や社会の未来を変える力です。これらを社会に応用することで、社会全体にとってのウェルビーイングに近づくことができます。私は、このスキルをみんなに知ってもらい、それを使って自分たちがひょっとしたら変えられないと思い込んでいる「運命」を変える力や社会を変える力を持ってほしいと考えています。自ら問いを立てることができず、他人が作った仕組みに依存してしまい、自分で何かを変えようとすることを諦めてしまっている大人も多いと感じています。でも、自己決定と学び続けることのスキルセットさえ持っていれば自分や社会を変えることもできるのだと、みんなが前向きになれるように背中を押していきたいです。

自己認識と内省

最後に、自己と他者の器を見るということに関連して自己認識の重要性について語っていただきました。

財務省には非常に個性的で大きな器を持った人々がいて、彼らの器を覗かせてもらえる機会が得られました。そうした経験を通じて、まるで幽体離脱したように、自分の器に関しても客観的に外から見られるようになりました。もともと私の先祖は瀬戸内出身で、その縁で今は広島に来ていますが、瀬戸内の海の潮と風に吹き寄せられる感覚が大好きなんです。あっちの島に行こうと思っても、風が吹いて別の島に行ってしまうということがあり、そのように大きなものに吹き寄せられる感覚を大切にしています。メタ認知をすることで、自分の力ではどうにもならないことでも、外から見ると、風が吹いたからこう動いているんだと理解できます。独りで器をつくってきたのではなく、環境や他者との関わりの中で、潮や風という自分を超えたものに吹き寄せられて器も変わっていくという感覚が、私の器づくりを支えてきた要因の一つだと思います。

内省に関しては、みんなで深い海に飛び込むような感覚を大切にしています。対話を行う目的の一つに、自分の心の内側を深く覗き込み、心の淵に”どぼん”と飛び込むような体験をすることがあります。一人で飛び込むのは誰しも怖いものですが、複数で手を取り合えば安心して飛び込めて、共に深い内省ができるようになり、これこそが対話の力だと思います。そして、私は過去に何度も大きな挫折を経験しましたが、そのたびに、心が折れた自分を外から見るようにしてきました。そのような弱い自分を見つめることは、独りでは怖くても、仲間と一緒ならできるかもしれません。自分を外から見て、半分はかわいそうだと見ていても、もう半分では好奇心を持ってその状況を面白がることができれば、そこから一歩前に進むうえでのモチベーションを得られるのではないでしょうか。

当日の参加者からの感想

  • 壮絶な人生とそれを第3者目線で捉え、自己変容に向かう心と頭の逞しさに感嘆しました。私自身「なんで私はこんな目に遭うんだろう」と悲観することが起こる人生を歩んでいると感じていますが、自分及び他人から見た自分を別の角度から見る機会をいただけました。自分だからこそできる何かがあるのかもと淡い期待を抱いた夜です。

  • 深く潜る経験があるからこそ、海面に上がってきたときに吐く息も見える景色も違ってみえるのかもしれません。手をつないで一緒に潜り、深い海に入っていく怖さを和らげられる人でありたいと思います。吹き寄せられる感覚に身を委ねることにも、とても共感しました。

  • 器は壊れても金継ぎの技術をコツコツ覚えて施せば、より素敵に甦ります。保井先生のお話を拝聴して、改めてそう思いました。

  • 「自分を外から見て面白がっている」とメタ認知のお話がとても興味深かったです。自分自身の中での気づきが大きく人生に影響していることを知りました。素敵な時間をありがとうございました。

まとめ

上記のほかにも、魅力的なエピソードをたくさん語っていただきました。

私は、保井さんのお話を聞きながら、自分の将来を自分で決めていくことへのエールをいただいた気持ちになりました。

また叔父さんの生まれ変わりとして自我を持つことができなかった保井さんが、高校時代に得た仲間と一緒に美しいものを作り上げるというワンネスの経験は、保井さんの現在のお取り組みにつながっているとわかり、とても共感しました。

私たち「人としての器」研究チームも仲間とともに深く通じ合える社会を目指しており、そこに取り組むことへの思いをより強くする機会となりました。

みなさんも、ぜひ保井さんの器のエピソードをきっかけに、ご自身の「人としての器」の在り方について思いを巡らしていただければ嬉しく思います。


※本イベントのアーカイブは、「人としての器」のクローズドコミュニティ内で共有しています。通常の金曜の夜は”いれものがたり”への参加者限定でコミュニティにご招待いたしますので、アーカイブ視聴をご希望の場合、まずは”いれものがたり”にご参加くださいますと幸いです。


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