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【観劇】大竹しのぶ主演、林遣都、キムラ緑子出演 舞台「フェードル」

 2021年1月。シアターコクーンへ大竹しのぶさん主演の舞台「フェードル」を観てきました。


 ★とにかくチケットを予約して

 正直に告白すると!主演が大竹しのぶさん、大竹さん演じる主人公が思いを寄せる若者に私の推しである林遣都さん、そして演出は栗山民也さんという、このお名前を見ただけで私はチケットを予約してしまいました笑。

 大竹さんの舞台は2020年の新橋演舞場での「女の一生」に続いての観劇で(こちらでもレビューを書かせていただきました)2017年の「にんじん」にと合わせて3度目でさらに映画、ドラマ、シンギングパフォーマンスと拝見してきたのでその圧倒的な演技力は分かっています。。のつもりで席に座りそれから約2時間。観終わって私が観たそれまでの大竹さんはまだほんの一部だった、ということが分かりました。キムラ緑子さんもそうですが円熟を増したお二人の演技に私のマブヤー(魂)は持っていかれてしまったのです笑。


★作品「フェードル」の背景とストーリー

 大竹さんと栗山さんのタッグで描かれる今回の「フェードル」は2017年に続いての再演。その年の演劇評論で高く評価され「第52回紀伊國屋演劇賞」で個人賞を受賞したしました。この作品はフランスの劇作家ジャン・ラシーヌがギリシャ悲劇「ヒッポリュトス」に題材を得て創りあげた物語で1677年1月1日(金)にブルゴーニュ座で初演後、1680年コメディ・フランセーズ(国立劇場) のこけら落としでも上演され、悲劇へ向かう女性と破壊へと向かう止められない各々の欲情が描かれた17世紀フランス古典文学の金字塔的な名作です。

 物語の舞台は、ギリシャ・ペロポンネソス半島の町トレゼーヌ。行方不明となったアテネ王テゼを探すため息子イッポリットが国を出ようとしている中、テゼの妻フェードルは病に陥っていました。乳母のエノーヌが原因をききだすと、夫の面影を残し、夫には失われた若さと高潔さに輝く義理の息子イッポリットへの想いに身を焦がしていると白状します。苦しみの末、フェードルはイッボリットに自分の恋心を打ち明けますが、イッポリットの心にはテゼに反逆したアテネ王族の娘アリシーがいました。イッポリットは継母であるフェードルの告白に驚き恐怖し、拒絶します。思いが交錯する中、行方不明だったテゼが帰還。抑えきれないイッボリットへの愛情と自らの保身に揺れるフェードルを想うあまりにエノーヌがある行動に出たことでフェードル、そしてイッボリットは悲劇の結末へと向かいます。

 

★髪の毛の1本まで

 あらためて今回の配役をご紹介すると アテネ王妃でテゼの妻であり イッポリットの継母になる主人公フェーデルを大竹しのぶさんが、テゼの息子でフェードルと血の繋がりはない義理の息子イッポリットを林遣都さん、アテネ王家の血を引き囚われの身でありながらイッポリットと両想いになる王女アリシーを瀬戸さおりさん、 アテネ王でありフェードルの夫、そしてイッポリットの父であるテゼを谷田 歩さん、さらに イッポリットの養育係テラメーヌに酒向 芳さん、フェードルの侍女の一人バノーブに西岡未央さん、アリシーの腹心の女官イスメーヌに岡崎さつきさん、そしてフェードルの乳母で相談役 エノーヌにキムラ緑子さん、という皆さんでした。


 血のつながりはないものの愛することで夫であるテゼを裏切ることになるとわかっていても抑えきれないイッポリットへの愛情。イッポリットの姿を見ただけで「あの人だ!」と純粋に恥じらうフェードルはテゼが死んだと聞きイッポリットに隠していた思いを打ち明けるも、継母であり自分を憎んでいると信じていたフェードルの言葉に驚愕するばかりのイッポリット。フェードルはさらに「好きなの!」と魔物のような表情で追い詰め恍惚の瞳で「知るがいい、フェードルを」と野太い声を轟かせます。ステージには大竹さんはいませんでした。そこにはフェードルがいたのです。

 フェードルに尽くすエノーヌはどこまでも彼女を愛し、やがて自らの人生を自らの手で終わらせます。キムラさんが一言発するだけでステージの空気と温度が変わりました。エノーヌが見せた背中は止まらない悲劇へ導いてくれました。

 佇むだけで、息をするだけでその周りに高貴のオーラを生むイッポリット。テゼからの愛情を受け成長しアリシーを最後まで愛した王子を演じた林遣都さん。林さんの舞台を拝見するのは2018年の「熱帯樹」、2019~2020年の「風博士」、に続いて3回目。熱帯樹で内気な青年を、風博士で愛を知らないまま命を落とす少年を演じ、客席を魅了してこられました。今回の「フェードル」での林さんのファーストシーン。その佇まいに推しへの贔屓目を除いても視線が奪われました。イッポリットが命を落とす場面はテラメーヌのセリフ描写のみなのでセリフを聞いてイッポリットの最後の姿が客席のみなさんの脳裏に映るようにそれまでを演じたい、との思いを込めてステージに立ったという林さん。確かに語りの中に、命を落とすイッポリットの姿、血のついた髪の毛の1本まで私も見えたような気がしました。

 他のキャストのみなさんも素晴らしく、王テゼがフェードルを「あなた」と呼ぶのもとても良かった。そしてコロナ禍の影響もあるのかもしれませんが、矢継ぎ早な舞台セットの転換もなく、1シーンでステージに立つ演者の数が2~3名であったため私はよりセリフに集中できました。さらに衣装もわずかな装飾品をつけるばかりでシンプルにまとめていたことも良い意味で芝居を邪魔しておらず、もしかしたらキャストのみなさんも重さなど動きの制限も少なく見えたので動きやすかったのではないでしょうか。

 

★幕があいている間に

 ギリシャ悲劇。「悲劇」が時を経てもなぜこのように求められるのでしょう。それは多くのみなさんが仰るように人間の「裸の欲」を見ることができるからかもしれません。

 天の神々への信仰、生、愛、叫び、怒り、苦しみ、罪、敵、勝利、罪、裏切り、屈服、涙、許し、死、そしてまた愛。

 人間の中にある衣を脱いだ感情。忘れていた、または忘れたかったそれらを思い出し、幕があいている間に舞台を観る者は舞台だけではなく自分の内側も観ているような気がします。


 愛のために命を落とさなければならなかった「悲劇の物語」。現代の私たちの裁量で見ればそれは悲劇だけれどもしかしたら当時の、あの時代を生きた人々にはもっと異なる「生命観」があり幸せか否かの観念をも超え、誰とも比べることなく与えられた命を全うしたのではないか、とも感じています。それは本来の生命力を持った人間の姿に近いのかもしれません。

 

 ちなみに、数回観させていただきましたが私の中では1月20日夜公演が特に素晴らしかった。神回でした。コロナ禍で演じる舞台、ステージとそしてそれでも観たいとやってきた客席のみなさんを繋ぐ一体感。演者の実力、見えない緊迫感、純粋なストーリーが透き通るように流れていったステージ。あの回を観ることができて本当に幸せに思います。

 

 それから、大竹さんはご自身のラジオで舞台本番が終わって楽屋で林さんと挨拶を交わしたら林さんが「大竹さん(の演技)が今日も凄くて・・・大竹さんが・・・」とその先を言うのをためらっていたので大竹さんがいいよ、話してごらん、と林さんを促したら林さんが「大竹さんが『怪物』に見えました」と話されたとか笑。大竹さんは「私が『怪物』に見えたって言ったんですよ~~!どう思います~~!」と笑って拗ねておられました笑。素敵な座長と良いチームワークだったんですね☆

 

 


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