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清水 素子歌集『生の輝き』

平成29年11月25日発行 新輯覇王樹叢書第229篇 覇王樹社刊




序 覇王樹社代表 佐田 毅

~ 後水尾院歌壇・古今伝受の研究者の待望の歌集 ~

資料に忠実で分析的な研究を続けられている清水さんの歌は、硬質なのではないかと思われる人もいるだろう。しかし、学究から離れた時の清水さんは、素直な心で純粋に自然に感動したり、学生や家族に真摯に向き合ったりして、温かな人柄を彷彿とさせる歌を多く詠まれている。

そろそろ歌集を纏めてみてはどうかとお誘いしたところ、平成十一年「覇王樹」に入会以来の歌が一五〇〇首もあるとのことであった。どのような纏め方 をすればいいのか迷われたようだが、清水さんの思い出深い歌を集めて、分類してみることをお勧めした。清水さんのこの度の歌集は、和歌の研究をされている本領が、自身の歌集を編むときにも発揮されたと言っても過言ではない。清水さんは、いわき明星大学の非常勤講師を平成十六年~二十七年まで勤められていた。定年退職された現在は、毎日文化センターの「古典和歌を楽し む」の講座を担当されている。

いわき明星大学勤務時代は、都内からの通勤のため、いわきに一泊されて二日間に振り分けて授業をされていたようだ。二〇一一年の大学の春休みに東日本大震災が起こった。大学の校舎も被害を受け、その年の授業は五月から始まったそうである。

歌集の冒頭は「いわきの四季」で、その後は「震災後のいわき」「いわきの 大学」「いわきの想い出」というように歌集の初めの方にいわきの歌が纏めら れている。これらは清水さんの貴重な思い出といわき市の復興及び卒業生やそこに生きる人々の心の平安を祈る章であると言えよう。次に何首か引いてみ る。まず、「いわきの四季」の章では、


やわらかな陽射しをあびる桜道列車から抜け歩みゆきたし

枯れ枝の残る蓮田のゴムボート若い夫婦が春の準備す

特急の車中の子らは夏休み健やかな足投げ出して寝る

夏雲の連なる下に森があり童話のような家々が建つ

背中から夕陽を受けて走るバス影が車線と戯れ遊ぶ

平野にはぐーんと膨らむ影を曳き夕陽を浴びた特急走る

特急は南に向かい光引く海沿いの家に夜を残して


右の掲出歌からは、喧噪の東京から解放されて、いわきの大学に通うときの清水さんの弾んだ心が溢れ出ていると言えよう。

次に「震災後のいわき」から、


青々と五月の山野美しく放射能とう汚染は見えず

震災後のいわきの空に鯉のぼりからだくねらせ泳ぐ六月

夏の朝余震は止まず震源は宮城と名指すラジオに聞き入る

「東北に笑みふたたび」の英字入り応援のシャツ壁に飾れり

流された家また人らの溜息がそっとたちこむ遠き海より

震災の被害哀れみ大仏は頭部を大地に落とし給うや

門を閉じ修復済める大仏が露座に座します淋しげにして


一首目は、山野は変わらずに美しいが、目に見えない放射能の無気味さを歌う。

二首目は鯉のぼりが、半ば苦悩を秘めているように、また苦悩を打ち払うかのようにからだをくねらせて六月の空を泳いでいる様が読者の心を打つ。

五首目のように、清水さんは東北の海を見るたびに流された人々の溜息を敏感に 感じ取りながら通勤していたのであった。

次に大学での学生達との交流を歌った歌を「いわきの大学」の章から引いて みよう。


授業時に秋の七草見せんとて道辺の萩と花すすき折る  

陸奥のシノブモジズリ見つけ出す小さな赤いねじれた花を  


「かかる道いかでかいまする」古典なる伊勢物語のことば通じず ・本当にあんなことばで話したの思いがけない問いかけがある

自然に囲まれた東北の大学でも、秋の七草やシノブモジズリを学生達に見せ るのは難儀だったようだ。また、古文を巡っての学生達とのやり取りもユーモ ラスに歌われている。清水さんは、学生達に優しく丁寧に教えられたことだろ う。


原発が生徒を減らし苦となって命を奪うと弔辞の詞


右の歌は、清水さんをいわきの大学勤務に誘ってくれた先輩の教授が亡くなられたときの歌である。福島第一原発事故の被害を怖れて学生数が減少し、教 授の命まで縮めたという厳しい現実が歌われている。

震災後の大学勤務は厳しかったようだが、いわきの名所を訪れて楽しまれた 歌もあり、それらは「いわきの想い出」に集められていて、読者をほっとさせ る。

ところで、清水さんは日本橋中洲に住まわれている。その界隈の四季の風物 詩や自然を詠んだ歌も多く、それらは「隅田川」の章に集められている。多忙 な日々を隅田川や自宅周辺で癒されていることが分かる。時にはユリカモメを 見て、『伊勢物語』の世界に思いを馳せるひと時もあるようだ。


隅田川たらいの水を揺らすごとたゆたいあふる満潮の夕

百羽ほどの鳥舞い乱れ川下の夕べの雲に飛び急ぎ行く

川を行く遊覧船の屋上に人が混み立つ夏を探して

真夜中の川辺にひとり花火する都会の人の寂しき自由

台風の大雨たたえ河口なるこの川岸は水溢れたり

対岸と合わせ響ける声聞けば幾千の虫草むらに生く

縮緬のシワのごとくに波たちて静かに寒き朝が明け行く

河に立つ桟橋の柱いつの間にフジツボびっしり殻を寄せ合う

久しぶり水面ついばむユリカモメ陽射しの中の大群を見る

京都には見ぬ鳥なりと記された伊勢物語の鳥の末商


清水さんは、ご主人と一人娘の三人暮らしである。また、自身は法華経を信 仰されている。そのような歌が「家族」と「信仰」の章に纏められている。


胸きゆっとしめつけられる懐かしさ夕暮れどきの灯り点れば

いくつもの大きな病を克服し生き抜きし父ついに逝くなり

上掛けの布団かすかに動くかと父の死顔に手を触れてみる

秋の夜を一人静かに本の虫書斎の人なる吾をさびしむ

熱の子は眠るまぎわに「お母さん大丈夫だよ二十歳を過ぎた」と

腰痛で寝付いた我がため早速に夫買い来たる花柄の杖

縦列に黙って夫の後ゆけば風が二人をつないで過ぎる

大雪が降るとのニュースにふと出かけ夫は新型スコップ買い来る

晴れ晴れとあえて気持ちを持ちゆかん人が偉いと見えた夜半は

観音のまなざし溶けてやさしげな笑みの見えたるいわき長谷寺

信仰のままに生きゆき恵まれし人の後追い我も生きたし

山頂の寺門は夜中の雨に濡れ黒く輝き下山を見守る


右の歌からは、ご主人と成長した娘さんとの温かい心の交流や信仰の心が垣 間見られる。

最後の章「生の輝き」は、今までの項目には属さなかった歌を集め、四季に 分類して纏められている。その中から、何首か引いてみよう。


公園の内と外へとさくら木は古く寄り添う夫婦のごとし

物故者は男ばかりが四人いて生きるに厳しき世の道ならん

博士号取りしを告げれば喜びて握手しくるる友の優しさ

プリンセスミチコという薔薇オレンジの濃きときめきの色に咲きたり

まん丸い花火の輪から飛び出すは「ススキ」今年の新作なるや

スッポンはしかつめらしい顔をして水槽中でこちらを値踏み

スッポンに鼻の穴ありおどろけば知らないことの方が多いね

万葉や古今に多くの歌あれば「さほ」という名の女の子多し

地下鉄のホームにドドッと雪落とし北からの電車喘ぎて停まる

知らぬこと知りたきことを語りいるのめりこむ我ときを忘れて


博士号の取得を喜んでくれた人々への感謝の歌、スッポンに興味を抱くユー モアのある歌、飽くなき探究心の歌など、清水さんらしい歌である。

このように写実を基本とし、いたずらに技巧に走ることなく、文語と口語を 駆使しながら真摯に歌い続ける清水さんの作歌姿勢に共感を覚える読者も多い だろう。本歌集が多くの人に読まれることを祈念して「序文」の責を果たしたい。

平成二十九年五月   佐田   毅(序文より一部略)


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